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大賢者

 とりあえず、自分がなぜここにいるのか、辛うじて状況は理解したものの、まだ脳内の情報処理が追いついてこない。正面に対峙する龍神様の圧が強すぎて頭がよく回らない。


 龍神様は自分との会話をご所望されていらっしゃる。自己保身のため、そして情報収集のため、このQ&A継続は是非もなしといったところ。Q&A継続中にいろいろと不明な点が明らかになっていけば、その内、今後の行動指針について妙案を思いつくかもしれない。今暫くは流れに身を任せるとするか。


 さて、そうこうしているうちに、龍神様との対話から分かったことがいくつかある。


 龍神様が行使する不思議パワーの元は、龍神様ご自身の生命エネルギーそのものだそうだ。一度(ひとたび)召喚のために不思議パワーを消費すると、生命力の回復のためにかなりの期間休眠せざるを得ないらしい。もちろん、召喚後の休眠期間の長さは、直前に消費した生命エネルギーの大きさに比例する。さらに、1回の召喚にどれだけの生命エネルギーを消費するのか、召喚実施前には全く持って不明なのだそうだ。


 今回に限っては、直前の休眠期間はとても短かったらしい。ほんの2,3日程度のことだから、大してエネルギーは消費していないみたいなことをいっていたが、6000万年以上も生きている存在からすれば、2, 3日も20, 30年も誤差みたいなものだ。実際にはどれくらいのインターバルだったのも怪しい。


 事ここに至り、なぜ自分がこの異世界に来たのか(ようや)く原因が判明した。はい、「2-2. 異世界召喚」でした。


 しかも、タイムリープというおまけ付きの。異世界召喚については、実現に至る過程も仕組みも原理の何も分からないけれど、この龍神様の仕業だという点だけはなぜかすとんと腑に落ちた。しかし、今回に限ってタイムリープのおまけまでついてきたのは、一体全体どうしてなんだろう、解せぬ。


 龍神様との一問一答が、異世界召喚の仔細に及んだ際、これ幸いと逆にこちらの質問を回答に巧妙に織り交ぜる形で投げてみることにした。これまで、龍神様は異世界召喚を数えきれないほど頻繁に行ってきたらしい(正確には何回召喚したかは完全に興味外だからそもそもカウントすらしていないとのこと)。


 召喚対象者から、タイムリープしたという申告があったのは前代未聞だそうで、これが初の快挙達成だと、その原因追究については興味津々の御様子であった。


 龍神様との対話から考察するに、龍神様の側にタイムリープを引き起こす特別の意図もなければ、原因についても思い当たる節はとんとない、ということだけは分かった。責任問題を問うたわけではないが、タイムリープはこっちの自業自得だと突き放されてしまい、いささか閉口してしまった。


 龍神様の見立てでは、召喚されるにあたって、自分が召喚に抵抗したことの反動が原因で、意識と身体の時間軸がずれてしまい、そのままこの世界まで飛ばされてきたらしい。あくまで現時点での推測にすぎないが、という注釈付きだが。


 だけど自分としては、「異世界召喚(タイムリープ付き)」という事態発生について、そもそも現実感が無い。龍神様のお姿を実際にこうして拝見しているから、目の前で起きている事象をそのまま受け入れざるを得ないとのあきらめの境地があるだけだ。


 エンタメの中の “異世界”や“召喚”という概念に対する耐性が平均以上にあるという自負は持っているが、現実世界でそれがどのような仕組みと作用によって引き起こされるのかについては理解も想像も覚束ない。


 そこに、“タイムリープ” が起こるなんて異常事態だといわれても、焼け石に水である。ちっとも納得度が高まりもしなければ、1ミリも問題解決に役立つ気がしない。


 加えて、パラレルワールド的なものの存在証明や、世界線を超えるための手順や原理などの説明は一切施してもらえなかった。自分が想像できる範囲で、可能な限り現状をそのまま現実として受け止めよ、全ては“覚悟”の問題に過ぎない、とまでいわれてしまった。


「そんな殺生な~」と独り言ちるも、龍神様に響くわけがない。何とか現状打破につながる手掛かりはないものか? 先ずは寄って地に立つこの大地について問い合わせをしてみた。


「この惑星は気候が穏やかなのでしょうか? 夜だというのに全然寒さを感じません。それに、この土地の地盤はしっかりとしています。柱状節理というんですか、地面に描かれた模様も実に美しいです。」


(なんじ)は当たり前のことをいうのじゃな。吾の背中に乗っているのじゃから、寒いはずがなかろう。外環境から保護するために、吾は常に全身をオーラで覆っている。まあ、吾の鱗が美しいとほめたことで先の失言はチャラにしてやるわい」


 吃驚しすぎて、腰を抜かしそうになった。龍神様の背に乗っているとだと? そんなの不敬極まりないじゃないか。それにしても、自分を背に乗せつつ、まっすぐ顔と顔とを対面させているのは一体どういう構造になっているんだろう? 背中がよじれるわけでもなく(もしよじれているのなら、自分が平然とその背に乗っていられるわけがない)、自分と龍神様はきちんと正対している。


 も、もしかして、龍神様の首関節はとても柔軟で、身を捩ることもなく180度くるっと回すことができるのだろうか?


「吾は首だけが特別柔軟なわけではないぞ。実体としての肉体はヒト族の目でも見えるようにするための一形態に過ぎぬ。相手が感知できる形態を示しておいた方が何かと都合がよいからな。首についても汝の目にはそのように見えているだけのことじゃ」


「それは大変申し訳ありませんでした。できましたら、不敬罪で裁かれる前に地面に降ろして頂けると幸いです。」


「汝を吾の背の上に召喚し、そのまま背に乗せているのは、汝の身体がこの東大陸の大気組成や重力に十分に耐性が持てるように調整する猶予を確保するためじゃ。もうしばらくそのまま我慢せい」


 龍神様のオーラで包んで保護してもらえば、神力か何かの力で自分の身体が無事にこの惑星の環境に順応できるようになるらしい。個人的には、身体改造より、テラフォーミングの方が有難かった。だけど、そんな面倒くさいことが必要になるんだったら最初から召喚のような面倒くさいことに巻き込まないでくれればよかったのに……


「ツーアウトじゃな、残り後ひとつ」


 もう野球のルールも覚えられたのですね、しかも日常会話への応用も半端ないっす。



 黙読レベルの速度で意思疎通できるものの、龍神様の知識欲が満たせるまでまだまだ時間がかかりそうな気配。思い切ってその旨を尋ねたところ、この会話スピードを維持していれば、残りは2,3年程度()()かからないらしい。自分の脳内メモリに記憶されている現世知識の総量と未読部分の比率について、かなりの精度で感知できるとか。


 ちょっと待ってほしい。このまま不眠不休、飲まず食わずで2,3年の間、テレパシー通信し続けるなんてどんな無理ゲーだ。自分には到底不可能だ。どう考えても身が持たない、いや、その前に精神が持つわけがない。


 恐る恐るその旨切り出してみたところ、龍神様にも思い当たる節があったようで、「そうだったそうだった、ヒト族は驚くほど脆弱な存在じゃったな」ということで、近くにある、ヒト族がその昔作った龍神様を奉る祠まで移動して続きを行うことになった。


 祠の傍には作務所が置かれており、そこでの適宜補給と休息を許された。やれやれ一安心である。その作務所には、一応の暖房器具と当座の保存食糧が備蓄されているとのこと。それを早く言って欲しかった。


 こちらが何も言いださなかったから休息も食料も今回はヒト族には珍しく不要なのだと思ったとのこと。いやあ、このお願いを口にしてよかった。これからは人並みの生活を保証してくれるそうだ。


 早速、龍神様の背に乗っけてもらったまま、作務所まで運んでもらった。作務所まではヒト族の足なら歩いて2か月程度はかかる距離らしい。その距離感でここからすぐ近くなんだって。もういちいち驚かないことにした。


 最早お約束である、龍神様の加速度のせいで、背中から転げ落ちるというドラゴンあるあるを予想し、必死な形相で龍神様の背に摑まっていたところ、龍神様から滑稽がられた。龍神様はオーラごと移動するから、そのオーラ内に取り込まれている自分もそのまま無反動で移動できるのだとか。


 先に言ってよ(でも、以前はそういう配慮に欠けていたため、知らない内に背に乗せた御伽衆の何人かは行方不明になったことがあると聞いて肝を冷やした)。


 作務所に到着したのはそれから約15分位後だった。早速作務所の中に入り、衣食住の確認を実施。残念ながら、衣服は見つからなかったが、ベッドと毛布を確保。一番大事な食に関しては、カチコチに固められたD・レーションもどきの非常食を見つけることができた。


 飲み水は、作務所脇に樋を使った湧き水と井戸の両方が完備されていたことを確認。幼い頃、実家で井戸水を口にした記憶はあったが、大きくなってからは完全に上水道とペットボトルに切り替わっていたから、安全性に多少の不安を覚えた。


 火きり板も見当たらないし、竈も見つからないため、ここで火起こしは宗教的な何かで厳禁なのかもと思い、ひたすらお腹を壊しませんようにと神様に祈りつつ生水を飲みつづけた(後から知ったが、現地の人は魔法や魔術具を使って当たり前のように火を使っていたらしい。竈が見つからなかったのはたまたま探し方が悪かっただけとのこと)。


 ◆


 朝日が出た頃から日付が変わる深夜まで、適宜休憩を挟んだものの、休日なしで1か月余り、現世知識についての質疑応答を繰り返した。漠然とサラリーマン時代の感覚が残っていたが、稼働時間については何ら違和感が無かった。おそらく元職場は相当ブラックだったのだろう。


 やがて、龍神様が現世知識をこれほど貪欲に求める理由を知ることとなる。この世界では、保持する知識量が多ければ多いほど、魔力量も上がるという正の比例関係が存在するらしい。


 現世でも人気のファンタジー世界の魔法の代名詞といえば四大魔法だろう。それは古代ギリシャ哲学や錬金術に由来する「四元素」の考え方に基づくもので、四大元素魔法とも呼ばれる。あの「火」「水」「風」「土」にちなんだ、火魔法・水魔法・風魔法・土魔法に分類される属性魔法だ。


 例えば、火魔法を操る場合、単に熱いとか燃えているという現象を捉えるだけでなく、物質の急激な酸化に伴う燃焼の仕組みや炎の構造を知っていると、火魔法が操りやすくなるし、威力もより大きくできるそうだ。うん、知ってた。それはレレイから教わった。


 龍神様の飽くなき知識欲は、己の魔力を極限まで高めたいとする純粋な貪欲さ故であり、なぜそこまで魔力を高めたいのか理由を尋ねても、「どうして魔力を高めたいという本能的欲求に理由が必要なのじゃ、生きとし生けるもの、須く己の力を高めたいと思うのは自然の摂理じゃろ」という素朴な回答で返されただけだった。


「本能的欲求」といっている時点で自明じゃないか。ああ、生物が生存競争に勝つために抱く生命の根源的な欲求なのね。マズローの欲求段階説的には、最も基底に位置する「生理的欲求 (Physiological needs)」に該当するものだろうと素直に理解した。


 なるほど、この惑星の人たちは皆、魔法については脳筋なのね(まあ神様は厳密には人じゃないけれど)。そこの機微にはこれからも触れずにいた方が身の安全が図れるだろうと悟った。


 ついでに、この惑星における魔法の位置づけというか、魔法を体得・会得・使用する感覚についても尋ねてみた。返ってきたのは、「心・技・体」の三要素だと非常にシンプルで分かりやすい回答だった。


 魔法における「心」とは精神力で、精神力は魔力の大きさで測れる。その魔力の大きさは、純粋にその人の知識量に比例する。従って、この惑星基準では、現世知識に依拠する自分の魔力量はべらぼうに多いらしい。作務所の造りと備品の品揃え一目見ただけで、彼我の文明レベルの差は歴然としていた。


 詳しく事情を聞くと、まだ実用的な銃は発明されていないし、産業革命にも至っていない。活版印刷の普及すら覚束ないレベルだ。電池の原理は知られてはいるが、電磁石や電気回路はまだ誰も知らない。顕微鏡が存在しないから、まだ細菌やウイルスなどの存在が観察されたこともない。ハーバー・ボッシュ法は知られていないし、プラスチックも存在しない。


 ああ、もし今の自分に魔法が使えたなら無双(チート)できたのに。残念でならない。


 次に、魔法における「技」とは、魔法技術を指し、極シンプルに魔術とも呼ばれることもある。自身が保有する魔力を一定の形質を保ったまま外部に放出したり、自然界に存在する火・水・風・土に直接作用するものだ。体を硬質化して、外部からの攻撃を防御したり、土魔法なら鉱物から成る(つぶて)を相手にぶつけるなどの物理攻撃を可能にしたりするものだ。


 要は自然の物理法則を魔力によって作用させることが重要なのであって、いわゆる詠唱が必須という訳でもなかった。魔力という精神エネルギーを意図した物理エネルギーに転換する原理を体得し、それを発揮するコツが分かっていれば良いそうだ。


 転換イメージ強化のために詠唱行為が有効な人だけが詠唱するという感じ。術者によっては完全無詠唱の場合もあるし、技名だけ小声で唱える人から、物理作用の全要素を処理ステップごとにいちいち唱える必要がある人まで千差万別らしい。


 その処理ステップを魔法式とか術式に落とし込み、スクロールなどに紋章や魔法陣の形で事前に刻み込んでおき、必要な時、必要な場所で、そこに魔力を流し込むことで魔法を発動させる術者もいるそうだ。


 勿論、スクロールなど魔術具の事前準備と運用管理も大変だし、そうした魔術具に最適タイミングで、瞬時に魔力を注ぎ込むこと自体がひとつの特殊技能であり、それだけでも特別な訓練が必要だ。


 当然、使い捨ての魔術具もあれば、メンテナンスを施してさえいれば、魔力充填方式で半永久使用を可能にする魔術具も存在してるらしい。


 最後に、魔法における「体」とは、魔法を行使できるだけの体力の保持と魔力回復力を備えておくことだ。同時に魔力耐性も鍛錬を必要とする。例えば、火魔法を行使するなら、熱や光源に対する耐性を鍛えておかないと、我が身を自分が行使した魔法で損なってしまいかねないそうだ。


 このことは、複数の属性魔法の使い手になるのが難しい理由のひとつとしても一般に知られている。長い期間をかけてひとつの元素魔法専念し、その魔法に対する耐性を習得するわけだから、もし仮に、2つの元素魔法を習得しようとした場合、単純に2倍の習得時間を要することになる。生まれつき魔力量が多い人であっても、複数の元素魔法の使い手となってチート級の強さを示すことはなかなかに難しいらしい。


 属性魔法の発現速度、発現威力、発現時の自己保保護力、効果持続力などの増加は、全て訓練の賜物であり、成長期後期までにある程度の修練を積んでおかないと、大人になった後の訓練でも大きな成果は望めないそうだ。


 これは、現実世界における「言語獲得の臨界期仮説」になぞらえることができる。母国語を習得するには、幼児から成長前期までにトレーニングを積んでおく必要があるというものだ。


 痛ましい事例だが、オオカミに育てられた幼児をその後人間社会で保護して再教育したものの、言語はおろか、社会適用能力まで著しく低いままで、ある一定水準以上伸びることはなかった有名な話を反証にすれば理解しやすいだろう。


 6000万年以上かけて知識収拾に努める龍神様は、きっと生後すぐに魔法行使の修練を始めたのだろう。そして現在に至るまで弛まぬ努力を継続してきたからこそ、今でも増やした知識量に比例して魔力も高め続けられるし、使える魔法の種類も増やすことを可能にしている。


 それは、ある一定年齢までに母国語の習得を終えた人ならば、大人になった以降であっても、第二言語・第三言語習得を容易にするという事実にも似ている。


 一方で、成長期の開始までに魔法の修練に一切着手しなかった自分は、いくらポテンシャルとして魔力量が膨大であっても、それを使いこなすだけの技が身に着くことは決してない。


 これは、ハーフ(ミックス)の人で、いずれの言語習得にも困難性を持つに至ってしまったという「ダブル・リミテッド(セミリンガル)」の問題としても知られている事象になぞらえれば理解しやすい。


 暫くの間、魔法に関する「心・技・体」の考察に(ふけ)っていると、龍神様から思わぬ注意の言葉を頂戴した。「汝、『惑星』という言葉は使用しない方がよかろう。『この星』という表現も避けた方がよい」


 ◆


 当初は、その注意事項の意味が全く理解できなかった。龍神様は続けてこうおっしゃった。

「もうすぐ、この東大陸におけるヒト族代表がここに到着する。汝のいう『この惑星』には大陸はひとつしか存在しない。それが『東大陸』だ。だから、汝が想起するような『この星』『この惑星』という含意で『この大地』『この世界』と言いたい場合、彼らに倣うならば『東大陸』という言葉を使うのが最も相応しいといえる」


 いくら同じ文法から成る言語を用いるから理解しあえると考えたとしても、誤解を生じさせかねない言葉、またはあまり使われない言い回しを不用意に用いることは円滑なコミュニケーションの妨げとなる。さすが「亀の甲より年の功」。伊達に6000万年も長生きはしていない。


「彼らにとって『星』は天空にて輝いているものを意味する。この大地が球形であることは科学者や教養ある知識人・政治家どもなら知ってもいようが、その他大勢の民衆はほとんど知らないことだ」

「『惑星』の字義的な意味合いは、天球上の定位置から動いて順行・逆行の様を見せるが故の名づけじゃろ。未だ天体観測中心のここの住民にはこの大地もまた『惑星』のひとつであるという事実は理解の外であろう」


 ひとつひとつが実に“ごもっとも”である。いずれも大変貴重なアドバイスで有り難い。


「いや、そういう受け止めではなく、汝の身分というか出身を隠せと言っている。『東大陸』の者ではないと知れれば、それだけで不穏分子、理解不能者として汝の命が危ういからの」


 これには正直参った。一種のテレパシー通信が便利でもあるし、同時に命の危険に及ぶほど危険なモノだということに思いが至り、これからの新生活に一抹の不安が拭えなかった。


「肝に銘じておきます。」


 龍神様の意に沿う回答した矢先、龍神様の視線が自分の背後に移った。思わず振り返ると、そこには毅然とした(たたず)まいの老人が、かなり上等な生地からなる衣服を纏い、片膝をつき頭を垂れて、龍神様への敬愛と畏怖の念を全身から表していた。


「女神様、65年ぶりのご降臨、これほど歓喜に咽び泣くことはございません。生きて再び()()えたこと、恐悦至極に存じます」


 この星の第一村人発見という感銘より、龍神様に対して女神様と呼び掛けている違和感にぞわぞわする自分がいた。そしてその一瞬で、龍神様は思念的な存在で、表層的な外見など、見る人によって異なって当たり前であることを思い出した。


 この老人の文化圏において神とはすなわち女神様の形を表すのであろう。そして存在としては自分にとっての龍神様は彼らにとっての女神様と一致するのであろうと得心がいった。


 であるならば、何やら得体のしれない若造が女神様の近くに控えているのは、彼らの宗教観からマイナスポイントとなるやもしれない。彼らの第一印象をこれ以上悪化させないよう、視線を下げ、龍神様とご老体への尊崇の意を表しつつ、一人と一柱間の視線を遮らないよう、そそと脇に寄った。


 10分前後、龍神様(女神様)とご老体の会話が続いた。最初は宗教儀式的なこと、政治的なことに纏わる事務的な確認事項が中心であったが、次第に身内間の世間話のような話題に移っていった。そんな中で唐突に龍神様が、


「賢者ガイウスよ、この若者を汝の下で庇護してやってほしい。この若者とはそうじゃな、月に1回は会って話をする必要があるからの。勝手に死んでもらっては困るのじゃ」


「かしこまりました、身命を賭してこの若者を守り、毎月1度、必ず女神様の拝謁を賜れるよう万事手筈を整えさせて頂きます。つきましては……」


 それからしばらく、龍神様(女神様)とご老体の間で、自分の面会手順について事務的なやり取りが続いた。確認完了後、突然龍神様(女神様)のお姿が視界から消えた。と同時に存在自体が瞬間に消失したと感知できたのは、あのテレパシー通信が無効になったからに他ならない。


 なるほど、こんな瞬間移動のようなスピードを可能にするんだから、人間の足で2か月かかる距離も、龍神様にかかればすぐ近くという感覚なのね。改めて納得した。


 さて、取り残されたヒト族二人、ここから意思疎通し、お互いの認識をすり合わせて、龍神様(女神様)の意向に反しない行動をとっていく必要がある。そのうえで、自分には身分を隠す必要もある。


 龍神様からの先刻のアドバイスが多きに役立つだろう。この老人に対しては、真摯に向き合いつつ、それでいて身分を隠し通す必要がある。


 龍神様(女神様)からも「賢人」という尊称付きでよばれているこのガイウス老、うかうかしていると、内心まで見抜かれてしまう恐れがある。緊張八分、微笑み二分で、ガイウス老に対面した。おそらく、目下のものから自己紹介すれば、ここの礼儀に適うのだろうか。


 しかし少々まずいことがある。現時点で自分は自分の氏名を思い出せていない。偽名を使った瞬間嘘がばれる可能性大だ。嘘がばれれば同時に信用は地に落ちる。


「大賢者ガイウス様、お初にお目にかかります。手前は『(なな)(しの) 権兵衛(ごんべえ)』と申します。実は、真名(まな)の記憶が無く、難儀しております。この名は我が国で真名が不明な場合に用いられる最も有名な仮名(けみょう)のひとつでございます。」


「……」


 この自己紹介で同時に3つのことを暗に伝えることができた、と思う。ひとつは正直さ。本当に氏名を失念しており、嘘偽りなくそのことを伝えることでこちらの誠実性をアピールできたこと。もうひとつは、決して聞いたことが無いであろう「ナナシノ・ゴンベエ」という音の響きから、ご老体が知らない国からやってきた異邦人であるということ。最後は、異邦人であることは暗黙の了解として秘密にしてもらいたいこと。


 ご老体はこちらの自己紹介が終わっても、苦虫をかみつぶした何とも言えない表情をしている。何か粗相をしてしまったのだろうか。不安になりつつも、緊張八分、微笑み二分の表情を崩さない。


 暫く経って、大賢者は重々しく口を開く。

「不躾とは自分でも思うが、ふたつばかり確認させていただきたい。まずひとつめとして、其方の魔力量は半端なく膨大すぎる。ヒト族としての見た目からはどうしても規格外といわざるを得ないレベルだ。ヒト族基準では、10歳程度と見受けられるのだが、それに似つかわしくない魔力量だ。もしよろしければ実年齢をお教え頂きたい」


 これもひとかけらでも嘘が混じれば、すぐにこちらの誠実性にひびが入る。回答は慎重かつ適切に行われなければならない。


「大変申し訳ありません、大賢者様、実は真名だけでなく年齢にも全く覚えがないのです。しかし、孫がいてもおかしくない年齢まで月日を重ねた記憶はうっすらとあります。一方で、ご高察のとおり、この身体はそれほど年を取ってはおりませんよ。ただ、貴国の基準からすれば幾らか若く見られる傾向にある顔立ちなのかもしれません。この身体は正真正銘、12歳で、もう数か月で13歳になる身です。複雑ですぐには理解が難しいかもしれませんが、これ以上正しい説明は自分には現時点では不可能なのです。」


「……了解した。にわかには信じがたいが、其方が嘘をついているとも到底思えない。ではふたつめの質問を。あなたの口元の動きと、発せられる言葉が一致していないように見える。何か私も知らない魔法を常時発動させいるのだろうか」


 こちらの質問は完全に想定外だった。一気に動揺が走る。ああ、今この瞬間、大賢者様には「内心の自由」が通用していないんだろうな。心の内はすべてお見通しだろうね。


「すみません、魔法を使用したり、なにかの動機に基づいて詐術を施したりしているつもりもございません。回答の途中で質問する無礼をお許し下さい。当たり障りのないもので構いませんので、貴国の文字が書かれたものを見せて頂けないでしょうか。」


 ガイウス老は、懐から覚書のような紙片の束を取り出し、軽く吟味したうえでその中から一枚だけ、見やすいようにこちらに提示してくれた。


「大賢者様、信じがたいこととは存じますが、私はこの覚書に書かれた文字を一文字たりとも読むことはできません。しかしながら、こうして大賢者様と会話をすることは可能です。おそらく文字が読めずに会話ができることが、口の動きと言葉が合っていない理由のひとつではないかと愚考します。」


 大賢者ガイウスは、再び表情を曇らせたものの、すぐに精神を立て直した。さすが一国を代表して、龍神様(女神様)に伺候が許されている立場にいる大人(たいじん)だ。


「なるほど全て理解した。どちらも難題だがやり通さねばなるまい。女神様のご期待を裏切ることになれば、この賢者(サピエンス)の名折れだからな」


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