模擬戦イベント ―― 緊急離脱案件発生
───【本話のウォークスルー対象】───────
■ Section 01 ナナシノ視点:学院・被捕捉貴族子弟
■ Section 02 ナナシノ視点:学院・不敗条項案出
■ Section 03 ナナシノ視点:闘技場・未敗不停止戦
────────────────────────
─── ■ Section 01──────────────
◆ ナナシノ視点:学院・被捕捉貴族子弟
────────────────────────
今日のお昼は、シズお嬢様とピンク髪少女と三人でお弁当タイムだ。シズお嬢様がリハビリから回復したので今は隔日通学に戻している。仕事量は不変なので学院にずっといると仕事が滞ってしまうからだ。シズお嬢様の送り迎えはできるだけ対応するように心がけているが、仕事のスケジュールの都合上、イーダ先輩に代わってもらうことも多い。
あまり学院内で悪目立ちしたくないので、この三人でのお弁当タイムは週一回とさせてもらっている。週3日の通学日の残り2日はシズお嬢様の個室でランチをご一緒したり、ピンク髪少女の個室にお呼ばれしたりいろいろだ。でもピンク髪少女のご学友たちとの同席は少々気まずいので、お呼ばれはシズお嬢様と自分の2人だけの招待にしてもらっている。
ベンチでのお弁当タイムを十二分に堪能してから、シズお嬢様は呼びに来たデイジーと、ピンク髪少女は大型犬を伴ってそれぞれ午後の授業へ向かった。
デイジーは12歳の帝国からの留学生だ。髪色はミントグリーンよりややハイトーングリーンに近い感じ。いかにもアニメ髪のライムグリーンではなかったのはちょっと残念だ。商家の末娘で、中屋敷と下屋敷の中間ぐらいにあるカフェでアルバイトをして留学費用の足しにしているらしい。まあ、シズお嬢様とデイジー、教室でも少々浮いているであろう2人がいつのまにか行動を一緒にする様子はだいたい察しがつく。
そんなことより自分は、あれこれ思いつくまま書き溜めてきたメモがずいぶん増えてきたので、そろそろ賢者様へのレポートに仕立ててから清書しないといけない。
自分もそろそろ図書閲覧室へ戻ろうとした矢先、後ろから突然声がかかった。でも最初は自分に向けられた声とは気づかなかった。視覚認識阻害の補助具の効果は実証実験で十分に発揮されたのは検証済みだったから、学院内を歩いていても好奇の目で見られることはほぼなかったからだ。簡単に声をかけられる状態にはそもそもないのだ。
それにかけられた言葉が、
「おい、そこのガキ、お前だお前、ちょっと止まれ、止まれって言っているだろ!」
だったから。
自分が「ガキ」と呼ばれることはもう数十年(前世感覚)なかったことだから、最初「ガキ」と呼ばれても自分のこととは露にも思わなかった。自分がここではまだガキに見えることは完全に失念していた。
それに最近は周りの大人たちからは「少しばかり大人びた口調の世間知らずなちょっと可哀そうな子」扱いをされていたので、突然の「ガキ」呼ばわりが自分を指していることに気づくのに時間がかかったのも仕方がないことだった。
声の主を辿るように振り返って、いかにも貴族のおぼっちゃま軍団を視認したとき、かなりまずい状況になっているようだと悟った。声をかけられたのが本当に自分かどうか、周囲をきょろきょろ見回し周りに誰もいないことを確認。お坊ちゃま集団の視線・態度、お互いの距離感も念のため再確認し疑念が確信に変わった時、
「あッ、自分にお声がけされた感じでしょうか? 何かご用件の方になられましたー?」
(間違った敬語を使うコンビニ店員風)
と、無意識に出る営業スマイルとともに反応して見せた。
おそらく、平民が貴族の子弟にみせる一般的な態度・応答ではなかったらしい。彼らの表情・態度に困惑やこちらの非礼に対する怒りがあからさまに見えたので、
「申し訳ありません。田舎出の平民でお貴族様への礼儀も教え込まれておりませんので何か失礼があったとは存じますが、この場はどうかご容赦頂きたく。これ以上非礼を重ねたくはございませんのですぐに立ち去ります、どうかご勘弁ください。では失礼いたします。」
「いや、まて。そこに控えよと言っている」
かなりきつめに呼び止められたので、しばらく様子を見ることにした。
彼らの用件は、
沈黙姫(シズお嬢様)が復学された。お近づきになりたいと思ってタイミングを計っていたが、常に見慣れぬガキがつきまとっている。調べるとガキの正体は沈黙姫が身をお寄せになっているニーブルン家の使用人だった。
学院長が黙認した沈黙姫のボディーガードだと大目に見ていたら、レンヴァッテン家の公爵令嬢(ピンク髪少女)とベンチで粗末な食事をしている姿を何回か目撃する。
年頃の男子中学生からすれば、憧れの公爵令嬢は共和国の貴族社会のしきたりから、自分たちが結婚相手と看做されることは決してない高嶺の花。でも憧れの公爵令嬢とは親密な仲にでもなれば新たにその派閥に迎えてもらって自家を優遇してもらえるかもしれない。それにあわよくば情人になれるかもしれないと。
ピニャプラート侯爵家は正執政官を代々務めるデュグドエルヴ家の御連支(一門・血縁)。こちらとの婚姻は他家にも広く門戸が開かれている。あわよくばシズお嬢様と婚姻できれば正執政官家の一門に入ることができ、こちらも将来の出世が確約される。
昔から口数の少ないシズお嬢様は、おとなしい性格から嫁にするのに無難(悪く言うと人畜無害)で、大出世まちがいない優良物件中の優良物件だそうだ。
そういう男子中学生の垂涎の的である2人の近くをウロチョロする平民、しかもマスクで顔を半分隠している怪しい存在。そんなものは共和国の将来を支えるおれたち次世代の高貴な血を持つ者が排除してやる、という感じ。
いかにもお約束のパターン。平民、貴族が通う学院でお坊ちゃま軍団に絡まれる。
これをどう乗り切るか。定石から導かれる行動パターンをできるだけ複数洗い出し、望ましい結論から逆残してベストな行動指針を選択しよう。
これは、社長から何でもいいから何かやれと曖昧な命令をされたり、業績悪化をなんとかせねばと思ったりしたので、どうしたらいいか分からないけどとりあえずコンサル呼んでみました状況ではないか。
軽く既視感を覚える。
であれば、これは現状分析によってAs-isを明確化し、将来の目指すべき姿を見定めてTo-Beを描き、その実現のためのソリューションを提案し、場合によってはソリューション実行を支援する大型プロジェクトである。
これは腕の見せ所というものだ。
彼らは高嶺の花の2人に近づく自分が気に食わない。2人から自分を遠ざけたい。自分にぎゃふんといわせたい(実際に「ぎゃふん」と言って見せても決して彼らの溜飲が下がることはないけれど)。「ぎゃふん」といわせて自分の気持ちを挫きたい。
そうすれば自分から進んで2人との距離を開けると本気で思っている。こちらとしては業務命令と不可抗力な自然災害なので、自分の意思ではどうにもすることができないんだけれどね。
であれば、なにか勝負事をして決着つければいい。思春期真っ盛りの中坊の脳内プロトコルなんてそんなもんだ。自分が勝負に負ければそれだけで留飲を下げてくれる。万一自分が勝つかもという心配は不要だ。だってこっちは魔法がちっとも使えないのだから。
─── ■ Section 02──────────────
◆ ナナシノ視点:学院・不敗条項案出
────────────────────────
唐突だが、自分が現世で生きていくにはたくさんのものを読む技術が必要だった。読めれば読める程、コミュニケーションが楽になっていく。
①外国から入ってきた表意文字
②自国でつくった表音文字その1(助動詞等)
③自国でつくった表音文字その2(外来語等)
④外国から入ってきた数字(大字・小字)
⑤万国共通語で使う表音文字(横文字)
⑥速記文字
⑦絵文字
⑧手話と指文字
そして
⑨空気(行間、場の雰囲気)
だ。
しかし、どんなに習得に努力しても、自分はとうとう空気を読むことができなかった。
そのうえ、この地では自分は魔力探知で周囲の人間の魔力量や魔力の色、魔力による思念派も読めない。辛うじて万能翻訳ツールを使うことで音声情報のみ相手とやりとりできている。この2つのハンデ、この状態に追い込まれると相当きついね。
勝負事……。2チーム(といっても自分の方は孤立無援だが)に分かれて対決。決闘、対峙、競争、競技……うん、競技選択として「じゃんけん」、は運任せになるから勝敗決着の納得性が低い。できれば体を使わず頭を使う方向性なら「将棋」「チェス」。こいつらは道具の準備と競技ルールの統一が難しいから却下。「MCバトル」「ディベート」なら準備の手間が不要だけど、知的競技そのものにクレームが入りそう。うん、やっぱり肉体を使う系でないと納得してくれないか。
空気が全く読めないので、この中坊達がどんな勝負事を考えているか全く理解できない。おもにエンタメ作品から学習した社会的文脈から類推すると、中坊なら体力を使った勝負事を考えていると結論付けた。
では何か肉体系のスポーツか模擬戦辺りにしておくのが無難か? 腕を組みウンウン頭を捻ってアイデアを絞り出す。
「これは何の騒ぎだ」
「このものが学院の秩序を壊しているので、秩序とは何たるかを教育してやろうと思いまして」
「私には貴族の子弟たちがよってたかって一人の平民をいたぶっているように見えるが」
なんか外野がうるさいな。ちっとも思考に集中できない。
フットサルの件があるからスポーツ全般はルールの事前徹底が難しいだろう。そしたら模擬戦スタイルの物しか残らなくなるな。攻撃用武器(刀剣)を使うのはだめ。自分は武器を操れないし、そもそも死傷率が高くなる。魔法は火や水といった放出系だけでなく硬質化など防御系や回復魔法もダメ。魔術具の使用も禁止。理由は同上。
では模擬戦の方に決まりだが、身の安全を考えて「体術」のみの格闘戦にした方が無難か。体格差なし、時間制限あり、禁じ手(目つぶし、喉付き、金的)は提示しておくか。ただし金玉握りだけは明示しないようにしておくか。これはいざという時の奥の手だ。
よし模擬戦(体術のみ)の勝利条件の定義は、
・ノックアウト
・ギブアップ
・反則負け(禁じ手使用、オーバーキル(死んじゃったら分からないけど))
・時間切れ(試合時間5分)⇒審判の判定
・審判の判断で試合中断(引き分けか優勢勝ちかは審判次第)
辺りにしておこうか。
よし、体術のみの格闘技ということで、ゆるゆるの総合格闘技ルールでも何とかいきそうだ。
「それでは、体術勝負の模擬戦に致しましょう。残念ながら私は剣などの武器は一切使えませんし、平民ですので魔法は皆様の足元にも遠く及びませんから。」
ようやく、考えがまとまったところで頭を上げ、おぼっちゃま軍団を見据えてどうにか捻り出した良案(と自分では思う)を告げる。そして周りを見て気づいた。
あれっ、いつの間にか人影が増えているような?
ああ分かった。一平民がおぼっちゃま軍団に絡まれている所に、ご学友とともにイーリス・フェルトルン公爵令嬢が通りかかる、そしていざこざを目にして仲裁に入る、というところだったらしい。なら渡りに船だ。このイーリス公爵令嬢におんぶにだっこでこの場をしのいでもらって、自分は図書閲覧室へ急ごう。
「では、今のはなかったことに……」
「この国の貴族にとって2つ大事なものはなんだ」
んっ? 声がかぶってしまった。何か会話が始まったぞ。
「『高貴なる者の義務』と『忠誠の誓い』の2つです。」
(ぐっ、どちらも現世の母国語からみたらほぼ似たような言語かもしれないけど、厳密には違うんだよなあ。)
「ここに執政官閣下はいらっしゃらない。であれば諸君が絶対の忠誠を誓う相手は誰だ」
「イーリス・フェルトルン公女殿下です」
「ならば諸君にイーリス・フェルトルンの名において命じる。高貴なる身分の者はそれ相応の責任と義務を下の者に負う。正々堂々と下の者が出したルールで競い、決着を得たらそれに従う。それでよいな」
あつ、ほんの一瞬の差で模擬戦やることが決まっちゃったよ。最悪のタイミングだ。
でも、うんうん、イーリス様はきりっとして、こういう美少女がひょんなことで素を出してデレるとそれはそれで見ててたいへん美味しいものがある。あっ、まだデレてもいないし、少なくとも自分にデレることもありえないか。
よし、一瞬頭の中に書き込まれたイーリス様のタグ付けは即時・適切に訂正しておこう。クール系美少女に。うん、ボーイスカウト・ルールの実践は大事。
db.登場人物.updateOne(
{ 名前: "イーリス", ヒロイン属性: "クーデレ" },
{ $set: { ヒロイン属性: "クール" } }
);
「この勝負私が預かった。今の時間、闘技場が使える。諸君、そこへ移動だ。この勝負は彼が言う通り体術だけの模擬戦とする。そこのキミ、キミもご同行願おうか」
えっ、準備よすぎませんか? 模擬戦今決まったばかりですよね。
─── ■ Section 03──────────────
◆ ナナシノ視点:闘技場・未敗不停止戦
────────────────────────
とぼとぼと貴族たちについていく。本心は早く図書閲覧室に戻りたい。
体術のみの格闘技にしたのは、安全性の確保: 刃物や鈍器、または強力なスキルを使わないことで、怪我のリスクを最小限に抑えられる、という理由が一番大きいが、
実は自分の中ではこれが一番勝率が高いと踏んだことも影響している。
この身体はまだ経験前で不安が残るが、かつて中学では柔道部に所属していた。当時は一番体重が軽い階級の「軽々量級」に所属していた。小中高のクラスでの身長の順は大体いつも真ん中位でそんな上背もなかった。
小柄な選手はとにかく腕力が弱い。組んだらすぐ動く、相手の意表を突く工夫をする、を心掛けないといけない。釣り手(襟を持つ手)と引き手(袖を持つ手)をうまく連動させて相手を崩しに行っても、たいていの場合、体格差からくる腕力・体幹の強さに跳ね返されてうまく崩すことができない。
身長差を逆手にとり、相手の腰の位置よりも体勢を低くすることで技がかけやすくなる担ぎ技だけを集中して磨いていた。投げる瞬間相手に背を向ける「前回りさばき」が前提になるので、相手に後ろから抱えられ、裏投げなどで返されたり、畳にころがされて、後は体格差・体重差に任せて抑え込み、締め技とかで負けるリスクも大きい。
担ぎ技は思い切り、勇気、タイミングの見極めが重要だ。一回技をかけて失敗したら、体格差で抑え込まれるか締められるかで終わり。だから試合では本気の投げを仕掛けられるのは1試合につき1回だけと思っている。日頃の練習を信じてたった1回の投げに全力を賭ける3年間(正確には3年生の夏の大会で部活は引退だから2年半)を過ごした。
後は細かい点だが、背負い投げは利き腕の肘を相手のわきの下辺りに入れるので相手の体重がもろにかかって大怪我しやすい。だから、右肘を壊してからは一本背負いに転向した。
そして闘技場という名の試合会場に到着する。試合構成を再考し、最終確認をする。
・公正な判定が期待できる風紀委員長ことイーリス公女殿下に審判をお願いする
・魔法は筋力増強・自動回復など非放出系も禁止する(念押し)
・試合時間は5分とする
・審判の信頼性頼みで判定勝ちを勝利条件に追加する
・体格が同等の者を選出してもらう
・命に係わる・部位欠損につながる緊急時は試合を即時中止とする
会場に着くと風紀委員長の指示で、何やら準備しだす者、どこかに走っていく者、砂時計みたいな魔術具を取り出して何やら調整を始める者、みんなてきぱきと働く。みんな準備慣れしている。風紀委員長も妙に集団への命令の下し方が様になっている。
マスクを外して靴を脱いで準備運動をする。軽く関節ぐらいは動かしておかないと後々大怪我するからね。
嫌な視線を感じるなあと思い、お坊ちゃま軍団の方を見ると、自分のストレッチの動きが見慣れないものだったらしく、何か薄気味悪いものを見るような目で見てくる。中にはひそひそ声で隣と何かささやきあったりしている。実に感じが悪い。
その後、裸足ですり足をして地面の感じを確認していたら、大口を開けて笑い出すものもいた。ふんっ、笑いたい奴には笑わせておけ。
お坊ちゃま軍団からとりあえず、おなじ体格の相手が選出された。好戦的な蒼い目が特徴の赤毛の子。便宜的に自分の脳内では「赤毛君」と呼ぶこととする。
「それでは体術のみによる格闘模擬戦をこれより開始する。両者前へ」
自分と試合相手が前に出る。
下はこの時代のコンクリなのだろう、畳じゃないからもし投げつけられでもしたら相当痛そうだ。このコンクリはヴィクトルさんとこのスケートリンクでも見たことがある。土魔法師による仕上げもあるだろうから、耐久性も十分なのだろう。
闘技場はだだっ広く、柔道の試合場より広い。場外にでて「待て」頼みでちょっと休憩という手も使えそうにない。
よし、異世界で主人公が絶体絶命の大ピンチになった。普通ならここで隠された真のチート能力が「開放」されて(いや「解放」の方が適切か)、敵をぶち倒す展開だ。
「さあこい、ステータス画面オープン」
「覚醒せよ、『原初の炎』。我が血肉を糧とし、この絶望を灰燼に帰せ!」
「……」
うん知ってた。何も起こらないって。
「始め!」
1試合目開始(そうこれは紛れもなく1試合目だったのだ)。
相手は赤毛君。間合いを詰める。赤毛君は様子見でジャブを打ってくる。こんなことなら打撃禁止にしておけばよかった。ボクサーズ・バウンスなんてしてやいない。
赤毛君はこちらの様子を最初はじっくり見ていたが、こちらが打撃技を繰り出さないことで攻勢に出る。こちらはとにかく紙装甲を自覚しているので一発でも当てられてたまるかとバックステップで大きく間合いを取る。
赤毛君と野次馬から盛んに卑怯だなんだと挑発の声があがるが無視。赤毛君、どんどん腕の振りが大きくなる。隙を見せるのもお構いなくキックも出してくるようになった。
そこから直線的に間合いを詰める。多少相手の左側にずれてね。足の運びから右利きだと判断したから。赤毛君、テイクバックして大きく体を捻りながら再度右フック。はい、これを待っていました。というより、これが唯一の自分に残された勝機なのですよ。
相手の右腕を掴んで、前回りさばき。体勢を低くして自分の腰を相手の腰の下へ。そのまま腰にうまく相手の体を載せることができたので、思いっきり腕を掴んだまま体を捻る。
腕力と体幹には自信が無いので勢いをつけてそのまま自分も背から地面へ倒れ込むことで非力をカバー。相手はそのままなす術なく背中から地面に激突。相手の体が上手くクッションとなって自分の体への衝撃は幾分和らぐ。ああ、これが柔道の試合だったら一本勝ちなのになあと嘆息しながら、次の一手を考える。抑え込みルールはないから袈裟固めは却下。
ここは無難に締め技か関節技か? 右手をとっているから腕を固めるか、相手の首に手がかかっているからこのまま裸絞に行くか悩んでいると、審判の「それまで!」という声が聞こえた。
気絶はしていないけど、悶絶している赤毛君を見て、試合続行不能という判断に至ったらしい。いや、これで向こう10年分ぐらいの男気と体力を使い果たしてしまったよ。さあ、呼吸と衣服を整えて図書閲覧室へ直行だ。
マスクの紐を耳にかけ、靴を履こうとしたら、野次馬から「ちょっと待て」という声の後、大ブーイングが飛んできた。いや、こっちは10年分の男気(以下省略)。
結論から言うと、勝負は無効だとクレーム。赤毛君が右フックを繰り出したとき、自分が前にかがんでパンチを避けたため、力余って赤毛君が転んで背中を打って自滅しただけだと。だから自分は試合には勝っていないんだと。
そんな言いがかりこそ無効ですよね、と期待を込めて審判の顔を見ると、もうひと試合できるかと聞いてきた。いやできるかできないかじゃなくて、試合結果が有効か無効かこそが問題ですよね。
できるかできないかを問われて、「できない」と答えると、例の魔力探知能力で嘘がばれるかもしれない。いくら受け流し機能付きの魔力探知阻害の補助具を装着しているといっても、この距離で公爵令嬢ほどの高位魔法師なら簡単に自分の嘘に感づいてしまうリスクは十分に考えられる。
しかたなく「できなくはないです(二重否定)」と回答。そして2試合目への流れとなった。
今度はあきらかに赤毛君より上級生(いやこっちに学年の概念はないけど)と見受けられるキャラメルブラウンの髪色で上背のある少年が目の前に近寄ってきた。しかし、なんでこいつらは言葉を口に出してもいないのに示し合わせたように次の選手を選出できるのだろうか?
もしかして自分にいちゃもんをつける前からこの流れは既定路線で試合に出る選手もあらかじめ決まっているのだろうか? まあいいか、このやたら上背のある先輩は「リーチ君」と呼ぶことにしよう。
(なに、この次の相手は手足が異常に長いだと。『リーチ君』か。なになに、戦闘力は53万、それに引き換え自分の戦闘力は53に過ぎない。こんなもの「カウンター」が無くても手に取るように分かる。自慢の勘ピューターが備わっているからな。)
2試合目:
リーチ君と試合場の中央で向き合う。審判が始めの合図を出す。その瞬間二人の間合いが詰められ、互いの腕を取り合った。1試合目を見て、打撃系攻撃を最初から回避し、組手で勝負を挑もうということか。そもそもこの勝負を吹っかけてきた目的を果たすか、ここは徹頭徹尾ひたすら合理的に勝利を目指すか。その選択に直面した時、お坊ちゃま軍団はは前者を選んだということだ。
試合目的を果たすか、勝敗結果に拘るかの二択ね。
それは時計メーカーや家具メーカーが、ブランドのステータスや技術力を向上させるために手の込んだ高級品を作りたいという想いがあっても、経営基盤を支える利益を稼ぐためには一般大衆向けの安価な量産ラインを手放せないというジレンマに似ている。
少年たちは自分との試合をただ勝ちたいだけではなく、自分を叩きのめしたいのだ。そのためには、自分の土俵で戦って勝たねばならないことを知っているだけだ。だが、それは自分にとっての唯一の勝機にもつながるわけだが。
リーチ君と組みあって分かった。このリーチ君は格闘術を得意としているのだろう。そして明らかに自分の背負い投げを待っている。いやあ、自分の武器がなぜ背負い投げだけだと知っているのだろうか。いや知らないだろうな。
なぜならリーチ君を次の選手に指名したことで、自分の投げ技全般をある程度警戒していると予想がつく。リーチ君の上背があるということは、自分との身長差があるということ。つまり、下がコンクリのときの一番費用対効果が高い投げ技を封じてきたのだ。
それは大外刈り。背負い投げと真反対に相手に正対したまま相手の首を前から右手で抱え(自分が右利きだから)、右足を相手の左足の後ろに出し、全力で相手を後ろに倒す。そうすると相手の後頭部をコンクリに叩きつけられるので、最悪致命傷になるくらいのダメージを相手に与えることができる。
裏を返すと、リーチ君は自分にその技、大外刈りをかけやすいということでもある。だから今度は多少無理目でも先に動くしかなかった。1試合目の所要時間が3分程度だったがほぼそれでスタミナを使い果たしている。ああ、やっぱりあそこは「できない」と答えておくべきだった。
でもコンサルは若い頃に「オレンジジュース・テスト」の精神を叩きこまれるから、安易に「できない」と発言することに抵抗が大きいんだよな。
仕方がない。リスクは最初から承知だが担ぎ技をやるしか道は残されていない。時間はあまり残されていない(スタミナが持たない)。できるだけリーチ君の両足が左右に一直線になる瞬間を探る。
今だ! 思い切って今度は一本背負いではなく、右肘が壊れるかもしれないことも承知で背負い投げにいく。案の定、リーチ君はそれを読んで自分が前回りさばきをして背を向けた瞬間に狙いを定めるようにして腰を後ろに引き、上から自分の体を抱える。
通常の柔道の試合なら、体格差(リーチ差)のある相手に後ろから抱えられたら、裏投げをやられるか、持ち上げられて畳にころがされておしまいとなる。
(自分の方が)万事休すと思ったんだろうね。リーチ君が自分の体を抱えた時、野次馬は一斉に歓声を上げた。完全アウェーは本当にやりにくいね。
自分はここで起死回生の一発を入れることにした。まあ、正直に言ってこれは1回しか使えない捨て身技だからね、ここで使わねば何処で使う。自分は、ぐっと腰を落としたリーチ君の股の間から彼の右足の後ろに自分の右足を差し入れる。そしてそのまま全体重をかけて後ろ向きに倒れる、右足をリーチ君の右足に後ろから絡ませながら。担ぎ技が防がれたときの自分の唯一の捨て身の逆転技、巻き込み小内刈りが決まった瞬間だった。
多分貴族社会にどっぷりつかっている少年たちは、組手でもこんな姑息な捨て身技はあまり喰らったことが無いんじゃないかな。だって相手に背を預けたまま後ろに倒れるなんて、地面の上に仰向けになったまま相手から後ろから羽交い絞めにされるんだぜ。
もし友軍が近くにいたら、剣でむき出しの腹部を刺されて致命傷か、後ろの奴から絞殺か喉を描き切られて終わりだ。でもこれ模擬戦だから。普通に戦っていれば命まで取られる心配はないよ、よっぽどのことが無い限り。さあ、リーチ君にも一矢を報いた。後は煮るなり焼くなり好きにしてくれ!
あれっ、リーチ君の体から力が抜けている。恐る恐る起き上がって後ろを振り返ると、泡を吹いて白目をむいているリーチ君の顔が目に入る。あっ、忘れていた。地面は畳じゃなくてコンクリだった。リーチ君は運悪く、後頭部をしたたかにコンクリに打ち付けてしまい気絶していた。
審判が自分の勝利を告げる。ふうー。これでやっと図書閲覧室に向かうことができる。ゆっくりと立ち上がり、今度こそと思いマスクと靴を置いてあった方へ歩こうとする。さあ、今日はこの後、何の本から読もうか、あれこれ読書計画で頭をいっぱいにしていると、再び「ちょっと待て」と制止する声が。
3試合目:
本当にいい加減にしてほしい。こっちはもう2連戦しているんだ。それに、自分は平民で身体は12歳(もうすぐ13歳)の子供で、たった一人で完全アウェーの中で模擬戦をしたんだ。そっちはお貴族様で大勢いて、完全ホームグランドじゃないか、冗談じゃないよまったく。運がいいだけで2試合消化できたけど、もう本当に無理だから。
それでも審判の裁定には従うしかなかった。なんたって『忠誠の誓い』だからね。今この場の秩序維持はすべてこの風紀委員長の手の中にある。彼女の「もう1試合だけできるか」の問いに、「ええ、インターバルとして30分程度休息を頂けるのでしたら」と答えてしまった。
何度も言ってしつこいかもしれないけど、コンサルは安易に「できない」を言ってはいけないのだ。
もし「明朝の会議に、700人分の搾りたてオレンジジュースを用意してほしい」と言われたら、「深夜2時から追加で20名のスタッフの配置と、500万円の追加予算の確保さえ頂ければ、確実に手配が可能です」」と答えなければならないのだよ。
30分と聞いてなにやらあの魔術具の調整を始めた学生スタッフ、気絶したリーチ君を試合場の脇まで引きずって移動させる者、お互いに顔を見あいながら次の選手を誰にするか相談しているように見えるその他のお坊ちゃま軍団。
次の試合の選手はもう決まったようだ。彼らは黙ったまま目線だけ交わして意思疎通できるみたいで、ひとしきり目線交換した後、全員が納得した顔をしていた。休憩時間が終わるギリギリまで次の選手が誰か自分には教えないつもりなのだろう。ほう、今度は手段を選ばす勝ちにこだわってきますか。
インターバルの30分が過ぎ、自分と相手選手が試合場の中央で相対する。あ、これだめなやつや。だって制服が高等部で高身長でブロンドで目が碧い「イケメン君」だもん。こんなの強キャラに決まっているじゃん。しかも生まれ育ちも結構いいみたいな、天が二物も三物も与えたような絶滅危惧種並みの特別天然記念物的存在!
でも大丈夫。審判は分かっているみたいだ。目線だけでイケメン君をそばまで呼び寄せ、近づいたイケメン君に何やら耳打ち。試合前に相手選手と審判のコソコソ話は、普通は気分が悪く試合の不正を予感させる忌むべき行為だ。しかし、この時の自分はそれが非常に心強かった。
「あきらめたらそこで試合終了ですよ」(心の声)
(そうですよね、安東先生。)
でも自分はこの試合……
審判の「はじめ!」の合図の後、1秒も経たず自分は気を失った。気を失う前の最後の記憶は、イケメン君の顔のどアップ、それから青空が続き、そして暗転だった。




