第四章 貴族たちの嘘
武闘大会の会場は、朝から熱を孕んだ喧騒に包まれていた。 巨大な石造りの闘技場には、王都中の人間が集まったかのような人だかりができている。 立ち上る屋台の肉の匂い、混じり合う汗の臭気。地鳴りのような歓声と怒号。 そのど真ん中で、俺は場違いなほど安物の服を着て立っていた。
「帰りたい」
「今さらですか」
隣で、エリシアが呆れた顔をする。
「だって見ろよ。あっち、鎧がキラキラしてるぞ。絶対高いやつだ。俺の服なんか昨日ガロンの店でもらったやつだぞ」
「似合ってます」
「慰めが雑」
会場の入り口には、出場者たちが並んでいた。
貴族の息子。騎士見習い。傭兵。いかにも強そうな奴ばかり。
その中で、俺を見るなり笑う声がした。
「おい、見ろよ」
「アルヴェイン家のハズレ息子じゃないか」
「家を追い出されたって聞いたぞ」
「武闘大会に出るって、本気か?」
本気だよ。こっちだって驚いてる。
俺は登録札を握りしめる。
逃げる気はない。
逃げたら、また『無能』のままで終わる。
「レオン様」
エリシアが俺の袖を引く。
「手、震えてます」
「武者震いだ」
「嘘ですね」
見抜くな。お前まで俺を鑑定してるのか。
開会の鐘が鳴る。
どおん、と腹に響く音。
観客席が一斉に沸いた。
俺の第一試合の相手は、王都の騎士見習いだった。
年上。体格もいい。しかも、剣を構えた瞬間に分かる。
『評価:★★★』
『真面目。だが右足に癖あり。踏み込みが遅い』
見える。
相手の弱点が。
だったら、勝てる。
試合開始。
相手が突っ込んでくる。
速い。
でも、右足が遅れる。
俺は半歩だけ横にずれて、木剣を叩く。
相手の体勢が崩れる。
そのまま腹に一撃。
「ぐっ!?」
続けて足を払う。
騎士見習いは派手に転んだ。
観客席が静まる。
「しょ、勝者! レオン・アルヴェイン!」
うおおお、と歓声。
いや、歓声というか、ざわめき。
『誰だあいつ』って顔ばっかりだ。
俺も同じ気持ちである。
会場の外に戻ると、エリシアが小さく拍手した。
「やりましたね」
「まあな」
かっこつけて言った瞬間、膝が笑った。
危ない。今さら足が震えてきた。
でも、その勢いのまま第二試合へ向かう。
相手は大柄な斧使い。
『評価:★★★』
『腕力は高い。だが怒りっぽく、挑発に弱い』
よし、分かった。
俺はわざと笑う。
「その斧、重そうだな。飾りか?」
「何だとォ!?」
単純だ。
斧使いは怒鳴って突っ込んでくる。
振り下ろし。
避ける。
横薙ぎ。
避ける。
『次は左』
見える。
だから、また避ける。
そのまま足を引っかけて転ばせる――
はずだった。
がつん。
「うぐっ!?」
思いきり肩に斧の柄が当たった。
吹っ飛ぶ。
背中から地面に叩きつけられて、息が止まる。
痛い。ものすごく痛い。
観客席が笑う。
「何だよ、弱いじゃねえか!」
「調子に乗ったな!」
くそ。
見えたからって、全部その通りに動けるわけじゃない。
俺は、自分が強いと勘違いしてた。
レビュー能力があるから勝てる。
そう思ってた。
でも違う。
俺はただ、見えるだけだ。
動くのは、自分だ。
斧使いが迫ってくる。
立て。
立てよ。
でも、体が動かない。
そのとき。
「レオン様!」
エリシアの声が聞こえた。
「あなた、また人の評価だけ見てるんですか!」
頭が真っ白になる。
「え……?」
「相手の弱点ばかり見て、自分で決めてない!」
会場のざわめきの中で、彼女の声だけが妙にはっきり聞こえる。
「あなたはどうしたいんですか!」
どうしたい。
そんなの、決まってる。
勝ちたい。
兄を止めたい。
無能じゃないって、自分で決めたい。
俺は立ち上がる。
足は痛い。肩も痛い。たぶん、明日は最悪だ。
でも。
「……俺が勝つ」
斧使いがまた突っ込んでくる。
今度は、レビューに頼りすぎない。
呼吸を見る。
肩の動きを見る。
俺自身の感覚で、相手の間合いに踏み込む。
斧が振り下ろされる。
半歩。
踏み込む。
懐。
木剣を握って、全力で振り抜く。
どん、と鈍い音。
斧使いの腹に入る。
相手の目が見開かれる。
次の瞬間、巨体が崩れ落ちた。
会場が揺れる。
「勝者、レオン・アルヴェイン!」
今度は、本当に歓声だった。
俺はその場に座り込む。
痛い。死ぬほど痛い。
でも、ちょっとだけ笑えた。
会場の裏手。
水を飲みながら休んでいると、ガロンが腕を組んで現れた。
「情けねえ試合しやがって」
「うるせえ」
「でも、最後は悪くなかった」
ぶっきらぼうにそう言って、俺の肩を叩く。
危ない。痛い。そこ痛い。
エリシアも隣にしゃがみ込む。
「最初から、ああやればよかったんです」
「できるなら苦労しない」
「ですね」
くすっと笑う。
その顔を見ていると、不思議と呼吸が楽になる。
午後。
準決勝の組み合わせが発表される。
そして、そこで俺は兄を見つけた。
ディルク。
闘技場の端に立つ兄は、昨日より顔色が悪かった。
目は血走り、首元の聖遺物は、青白く嫌な光を放っている。
『評価:★1』
『侵食率:68%』
『危険。使用継続で人格崩壊』
ぞっとする。
兄はもう、かなり危ない。
「兄上」
俺が声をかける。
ディルクがゆっくり振り向いた。
「何だ」
「もうやめろ」
「……またその話か」
「その聖遺物、おかしい。兄上、自分でも分かってるだろ」
兄の指が、首飾りをぎゅっと握る。
「黙れ」
「顔色、ひどいぞ」
「黙れ!」
怒鳴り声。
近くの選手たちが振り返る。
兄の息は荒い。
その目には、焦りと怒りと、何か別のものが混ざっていた。
怖い。
いや。
怖がってるのは、兄の方だ。
「お前にだけは……お前にだけは、言われたくない」
兄は吐き捨てるように言う。
「無能なお前が、最近ちやほやされてるから何だ。父上に認められたから何だ」
「認められてなんてない。……俺が今見てるのは、父上じゃない。兄上だ」 「黙れ!」 兄の肩が震えている。 その瞬間、彼の首元で聖遺物がドクン、と不気味に脈打った。 兄の体がビクリと跳ねる。 そのまま、背を向けて去っていく。 止められない。 今の兄には、俺の言葉なんか届かない。 遠ざかる背中は、昨日よりも一回り小さく、そしてひどく脆そうに見えた。
その日の夕方。
大会会場の貴賓席に、ひとりの男が現れた。
黒い服。
細い目。
どこか蛇みたいな笑い方。
周囲の貴族たちが、一斉に頭を下げる。
「ベルゼイン宰相だ」
ざわめきが広がる。
王国の宰相。
父より偉い。たぶん王様の次くらい。
でも、俺はその男を見た瞬間、背筋が冷えた。
『評価:???』
『危険度:最大』
『レビュー阻害を確認』
見えない。
初めてだ。
レビューが、途中で止まる。
昔のテレビの砂嵐のような映像が・・・
男はゆっくりと立ち上がり、まっすぐ俺の方を見た。
そして、笑う。
嫌な笑い方だった。
試合の後。
人気のない通路で、その男は本当に俺の前に現れた。
「やあ、レオン・アルヴェイン」
低く、よく通る声。
「噂は聞いている。なかなか面白い力を持っているそうだな」
「……あんたが宰相か」
「ベルゼインで構わない」
距離が近い。
近いのに、妙に遠く感じる。
目の前にいるのに、人間じゃないみたいだ。
「君は賢い。だから、提案をしよう」
ベルゼインは笑う。
「私の下に来い。金も地位も、欲しいものは何でもやる」
「断る」
即答だった。
ベルゼインの眉が、ほんの少しだけ動く。
「即答か」
「俺は、あんたみたいな奴が一番嫌いだ」
「ほう?」
「人の価値を勝手に決めて、偽物を本物みたいに売りつけてる」
空気が、冷える。
ベルゼインの笑みが、少しだけ薄くなった。
「君は、思ったより愚かだ」
「そりゃどうも」
「世界は価値で回っている。誰が本物か、誰が偽物か。私が決める」
「違う」
俺は睨み返す。
「俺が決める」
一瞬。
ベルゼインの目が細くなる。
その中に、はっきりと敵意が見えた。
「……なるほど」
宰相は静かに笑う。
「やはり君は、唯一の誤算だ」
そう言い残して、男は去っていく。
残ったのは、嫌な汗だけだった。
夜。
大会の決勝戦の組み合わせが発表される。
観客席がどよめく。
『決勝戦』
『レオン・アルヴェイン対ディルク・アルヴェイン』
兄弟対決。
最悪だ。
でも。
俺は震える手を、ぎゅっと握りしめる。
逃げない。
兄を止める。
今度こそ、自分の意思で。




