第99話 公爵令嬢の布石
研究棟の件が終わって程なくした頃の事。
「え。ニコレット様の見張り?」
「ええ」
ファリエール公爵家のタウンハウスで、主人ジュリエンヌから命じられた言葉にカミーユは目を見張った。
ジュリエンヌは就寝前のナイトティーを嗜みながら頷いた。
「ええ……。ボクはジュリエンヌ様の護衛ですよ? それに、学園には入れませんし……そもそもニコレット様にだって護衛はいますし、何ならヴィクトルさんがいるじゃないですか」
「原則、学園には護衛が入れない。だからこそ護衛の殆どが護送の後、一度学園から離れる事は知っているでしょう? ヴィクトルだって、グザヴィエ様が学園にいる時は持ち場を離れる事もできないし」
タウンハウスから登校する貴族の殆どは、行きと帰りの時間をある程度定め、その時間に護衛を呼びつけている。
でなければ学園の馬車寄せはあっという間に人で埋まってしまうし、意味のない人員の拘束になってしまう為だ。
グザヴィエやラガルドのような王族であれば学園の内部の護衛の配置や、突発的な公務による移動に備えて護衛を馬車寄せに控えさせるといった事もあるが、それは例外的だった。
「つまりジュリエンヌ様は想定外の時間帯にニコレット様が学園を出入りすることを懸念していらっしゃると?」
「ええ。最近のあの子は少し危なっかしいし、それに……彼女自身が望まない形で何かに巻き込まれる可能性だってあるでしょう」
「相変わらず、ジュリエンヌ様はニコレット様が大好きですねぇ」
「当然でしょう。彼女はわたくしの、かけがえのないお友達なのだから」
ジュリエンヌは恥ずかしそうに頬を赤く染めると、その顔を誤魔化すようにカップを口につけた。
それを普段と変わらぬ満面の笑みで眺めていたカミーユは、ジュリエンヌが茶を飲んで一息吐くのを待ってから話し始める。
「つまりボクには暫くの間、ジュリエンヌ様をお送りした後も馬車寄せ近くに待機していて欲しいと」
「ええ。ゆっくりする時間を減らしてしまって申し訳ないのだけれど」
「いやいや、それ自体は別にいいんですけどねぇ。問題なのはボクがジュリエンヌ様の護衛であって、これはグザヴィエ殿下からの命でもあるという事ですよぉ。そもそも、研究棟の件だってボクはあんまり納得してなかったんですから……」
つらつらと言葉を並べていたカミーユは、ジュリエンヌの表情の変化に気付いて言葉を止める。
彼女は眉を下げ、上目づかいで、期待に満ちた視線をカミーユに向けていた。
「我が家の護衛なら他にもいるし、こんな風に柔軟な対応をお願いできるのはあなたくらいなのよ」
「……う~~~~ん」
笑顔のまま固まったカミーユはやがて頬を引き攣らせながら軽く両手を上げた。
「わーかりましたよ、わかりましたっ! ボクの代わりが用意されるのはちょっといただけないですけどね」
「カミーユ……っ」
「けど、ボクが気に掛けるのはあくまでジュリエンヌ様が学園にいる時間だけですからね。その間に何もなければボクはジュリエンヌ様と一緒に離れます」
「ええ。それで構わないわ。……よろしくね、カミーユ」
ジュリエンヌはよっぽどカミーユの騎士としての腕を信用しているのか、首が縦に振られると同時にほっと胸を撫で下ろした。
信頼の証とも取れるような、分かりやすい安堵を見せる主人の様子を見て、カミーユは肩を竦めるのだった。
***
「……で、本当に言ってた通りになる、と」
馬車寄せの隅から辺りを観察していたカミーユは、ニコレットがラガルドにつれられて馬車に乗る姿を目撃する。
「全く~、ニコレット様も罪なお人だなぁ」
カミーユはポケットから紙とペンを取り出して走り書きを認めると、紙切れをハンカチで包み、万が一自分が抜ける場合に際して共に控えていたファリエール公爵家の騎士に差し出した。
「少し離れます。学園関係者に、ジュリエンヌ様の忘れ物だと言って渡してください~」
それからカミーユは、馬車寄せに残していた護衛用の馬に跨るとニコレット達を乗せた馬車を追いかけるのだった。
***
視線の先で手を振っていたカミーユは満面の笑顔のまま、両の掌を上向きにして、『気にせずどうぞ』の身振りをする。
(自分の事は気にせず続けるように、と……。カミーユがここにいるのはきっと、ジュリエンヌ様の計らいね……)
最近の私が厄介事に関与しがちである事を懸念し、事前にカミーユに話を通していたのだろう。
ジュリエンヌ様に心配を掛けてしまっている事を申し訳なく思いつつも、ラガルド殿下や彼の味方である護衛達の監視下に置かれた中で味方の顔が確認できたのは、精神的にも非常に大きな救いだった。
私はカミーユの指示通り、視線をラガルド殿下へと戻す。
カミーユの存在は万が一の事があった際の盾のようなもの。
私にとって最も望ましいのは、カミーユの手を借りる事無くこの時間をやり過ごす事だった。
「ラガルド殿下」
「なんだ」
私に喜んで欲しいのか。その問いをラガルド殿下は否定しなかった。
彼は私の望む事に確かな興味を示していると言えるだろう。
ならば彼を満足させる方法は明白だ。
「次は、私に付き合っていただけませんか」
私はそう提案し、ラガルド殿下の返答を待つ。
彼の青い瞳が意外そうに見開かれるのだった。




