第97話 お金がない侯爵令嬢
「それで」
昼時の街中。
多くの店が立ち並ぶ大通りに立った私は目の前の光景をげんなりと眺めていた。
「何故私達はここにいるのでしょうか」
「文句なら、お前とまともに話すらさせない邪魔者に言うんだな」
隣にはラガルド殿下が涼しい顔で立っている。
邪魔者というのは、ヴィーの事だろう。
今日、グザヴィエ殿下が学校へいらっしゃる事はジュリエンヌ様から聞いていた。
グザヴィエ殿下が登校しているという事。
それは即ち、たとえ私がラガルド殿下の企みに巻き込まれ、学園を離れざるを得なくなった事に気付いたとしても、ヴィーはそれを追えないという事だ。
彼は王太子従きの護衛騎士。
最優先事項は王太子であるグザヴィエ殿下の護衛。
グザヴィエ殿下から非番を言い渡されたり、別の命が下される等の特殊な場合を除き、彼は護衛の任から離れることが出来ない。
どうやら、ラガルド殿下はそんな状況を利用した様だった。
「さて。まずは互いに着替えでも用意しなければな」
「は、はい……!?」
さも当然かのように近くの店で買い物を始めようとするラガルド殿下の言葉に私は驚き、彼を二度見する。
想像以上に大きい声が出てしまい、ラガルド殿下も驚いたように目を見開いていたが、彼はすぐに意地の悪い笑みを見せた。
「何だ? 無理矢理路地裏に連れ去ったり、人目のない場所で魔法の一つや二つでも見せられる方がお望みだったか?」
――魔法の一つや二つ。
その言葉から連想してしまうのはどうしたって『夢の香霞』の事だ。
とんでもない、と私は慌てて首を振る。
私の考えなどお見通しだったのだろう。
ラガルド殿下は私の反応を見て鼻で笑った。
「なら大人しくついて来るんだな。それに単純な話、今の服装ではどこを歩き回ったって悪目立ちする」
彼はそう言って、自分の胸元や私の服の袖を指す。
どちらにも、ラガルド殿下が用意したという血糊が付着していた。
このままでは互いに怪我でもしたか、もしくは私がラガルド殿下を害した後のように見えるかもしれない。
私は渋々、彼の言葉に従って服屋へ足を踏み入れるのだった。
数十分後。
私は店の中で商品である服とにらめっこをしていた。
大通りに面した店には貴族御用達の高級店も多い。
この服屋もその類だったようで、服もそれなりに値が張った。
とはいえ、私も侯爵令嬢。
普段ならば困る事のない程度の金額のものだ。
問題なのは……今の私が金銭を殆ど持っていなかった事だろう。
ただ学園に通うだけならばお金は要らないし、普段の買い物には侍女や護衛がついており、荷物は彼女達に預ける事が殆どなのだ。
こんな風に突然学園から連れ出されてしまえばまともにお金を持っていない状況に陥るのも当然である。
(勿論有事の際の為に多少は持ち歩いているし、最低価格のものであれば何とか足りる程度には持っているけれど……この先のラガルド殿下の行動が読めない以上、無駄遣いはしたくないわ)
ラガルド殿下側のメリットやリスクを考えれば可能性としては低いが、彼を振り切って民間の馬車を借りて逃げる……等という選択が必要にならないとも限らない。
そんな理由から、私は一番優しい価格帯の服が集められた区域でうんうんと唸っていた。
すると、さっさと服を選び終えて買い物を済ませたラガルド殿下が、着替えまで終えた状態でやって来る。
「まだ悩んでいるのか」
「ええ、まあ……」
(いっそ素直に、別のお店をお願いしてみようかしら)
そんな事を考えながら彼を見やった私は一瞬、言葉を失う。
向き直った先のラガルド殿下。新しい服に身を包んだその姿には華があり、思わず目を奪われてしまったのだ。
「何だ」
「いえ」
ラガルド殿下と会う時は互いに制服姿の事が多かったし、仮面舞踏会の時も制服と同系色の暗い色の服を着ていた。
今彼が着ているのは明るいグレーを基調とした服で、これまでの雰囲気とはずいぶん異なる事もあったのだろう。
意外な発見だった。
「明るい色もお似合いですね。元々端正なお顔立ちですし、似合わない物自体が少なそうではありますが」
素直に出た言葉だった。
取り入ろうとか、刺激しないように下手に出ようとか、そういう類の物ではない。
しかし、彼が驚いたように目を見開いたまま何も言わないので、もしかしたらそんな風に捉えられてしまったのではないかという不安が過った。
「あの」
故に弁明しようと口を開くが、私の声を遮るようにラガルド殿下が鼻で笑う。
「生憎、そんなおべっかは聞き飽きている。まあ、僕の顔が整っているという事実は理解しているがな」
「決して、おべっかという訳では」
「まあ、どちらでもいいさ。それより、さっさと選んだらどうだ。……こんな地味なものが好みなのか?」
やはり意図していない形で捉えられてしまったらしい。
しかしながら、想像していたよりもラガルド殿下の機嫌は良さそうで、私に対する振る舞いは変わらずだった。
気を悪くした様子もない。
ならばわざわざ何度も言及する方が却って偽りのように聞こえてしまうだろう。
そう思った私は話を戻すことなくラガルド殿下の言葉に応える。
「ああ、その事なのですが……生憎今は手持ちが少なくて」
そう言えば、ラガルド殿下はまたもや表情を硬くする。
「まさかとは思うが、自分で払うなどと言うつもりはないよな?」
「はい?」
私の反応で何かを悟ったらしいラガルド殿下が深々と溜息を吐く。
「お前の服を汚したのは僕だ。ならば僕が出すのが筋に決まっているだろう。さっさとお前の好きなものを選べ」
「し、しかし」
「僕を待たせるな。さっさとしろ。それとも、男である僕の前で敢えて支払いを済ませたり、このちんけな服装で隣に立つ事で、僕に恥を掻かせようという魂胆か?」
「いえ、そんな事は……あ、ちょ、ちょっと」
「この僕がわざわざ金を出すんだ。まさか、適当なものを選んで済ませようとはしないだろうな」
流石に交際もしていない異性に、それも王族に着替えの代金を負担させるなど、褒められる事ではないだろう。
そう思い、断ろうとするも、彼は私の言葉に耳を傾けようとはしなかった。
有無を言わさず、ラガルド殿下は私を店の真ん中へと押しやって来る。
(これは寧ろ……断った方が機嫌を損ねそうだわ)
私は渋々、彼の言う通りに服を選び始める。
正直、ラガルド殿下の機嫌ばかりが気になり、気が気ではなかった。
だからこそ、そんな自分を見張るように後ろからついて回る彼が、どこか満足そうに笑みを浮かべている事に、私は気が付かなかったのだった。




