第96話 性悪王子
翌朝。
教室移動の為、私はジュリエンヌ様や他の友人と歩いていた。
そしてはたと、窓から外を見た時。
裏庭へ向かう人影を見つける。
(あれは……ラガルド殿下?)
見覚えのある後ろ姿に私は疑問を抱く。
彼はヴィー達と同じカリキュラムを選択しているはずで、今の時間は別の校舎にいるはずだった。
――少々面白い事を思いついたんだ。
昨日のラガルド殿下の言葉が脳裏に過る。
嫌な予感がした。
(ヴィーやグザヴィエ殿下達は近くにいない。かといって警戒の対象であるラガルド殿下の元へジュリエンヌ様を連れていくわけにはいかない)
「すみません。少し忘れ物を」
「あら。一緒に戻る?」
「いいえ。遅れてしまうかもしれませんから、先に向かってください」
ジュリエンヌ様の気遣いを断った私は、代わりに彼女の耳元で囁く。
「私が戻らなければグザヴィエ殿下達にお声掛けを」
視線を窓の外へ向ければ、ジュリエンヌ様も遠ざかっていくラガルド殿下の姿を見つけたのだろう。
彼女は顔を強張らせ、私へ視線を戻した。
相手は『夢の香霞』を所持した危険人物。行かなくてもいいとジュリエンヌ様の顔は言っていた。
そんな彼女の言葉を聞くより先、私は一度だけ笑い掛けてから深く頭を下げ、その場から離れたのだった。
私は急いで外へと出る。
先ほどラガルド殿下を見かけた場所には既に人の姿がなかったが、彼が向かった方角は見ていた。
そちらへ私は足を速める。
(一体彼が、どういう意図で私にあんな事を言ったのかは分からない。けれど彼が言った『面白い事』が誰かに危害を加える可能性があるものだとすれば……それを知っている私が動かない道理はない)
どうか、彼が何かを犯す前に追い付くように……そんな願いを抱いたまま裏庭へ近づいた、その時だった。
大きく咳き込む音が建物の陰から聞こえる。
(咳……?)
疑問に抱きながら、私はそちらへ足を踏み入れる。
そして、驚かされる事になった。
裏庭へやってきた私の目の前、建物の壁に凭れながら蹲るラガルド殿下の姿がそこにはあった。
口を押え、激しく咽る彼の足元にはいくつかの血痕が散っていた。
「ら、ラガルド殿下……っ!」
私は彼へ駆け寄り、その体を支えようと手を伸ばす。
しかしその瞬間、青い瞳が鋭く私を射抜き、彼は私の伸ばした腕を掴んで止めた。
「……っ」
その反射速度と勢いに思わず身構えてしまう。
ラガルド殿下はというと、私の顔を眺めて何度か瞬きしてから深い溜息を一つ吐いた。
「何だ。ニコレットか」
「な、何だって……。殿下、その血は……」
彼は相手が私だと分かるや否や、険しい表情を消していつもと変わらない不敵な笑みを浮かべる。
しかしどれだけ普段と同じように振る舞われようと、彼の口元やそれを覆っていた掌の血がなかった事にはならなかった。
空いている手で私はハンカチを取り出し、ラガルド殿下の顔に付着した血を拭ってからそれを彼に握らせる。
「人を呼んで来ますから、殿下はそのまま――」
「待て」
いくら敵対勢力であり、大勢を害した罪を抱えていたとしても、相手は王族。
ラガルド殿下の不調に気付いていながらそれから目を逸らせば、現状罪に問われるのは私側だった。
それに、喀血する程の不調を抱える者を放っておく事への純粋な罪悪もあった。
しかしそんな私の動きを止めたのは他の誰でもないラガルド殿下だった。
彼は私の腕を掴んだまま笑みを深める。
「必要ない。そんな事より、少し付き合え」
「そんな事って……何よりもお体が最優先でしょう」
「ああ、これは問題ない。それよりも、いいのか? 僕の言葉を拒絶しても」
「どういう事でしょう」
「何、簡単な事だろう。この場ではお前よりも僕の方が高い地位にあり……僕が偽りをでっち上げたとしても、それが正として認められてしまうというだけの話だ」
意味深長に笑みを歪めた彼はハンカチを受け取った方の手で、掴んでいる私の手を示す。
私の制服の袖は、彼の手に付着していた血で汚れていた。
「僕が血を吐いた現場に居合わせながら一人にするなど、その間に容体が悪化すればどうするつもりだ? 僕がお前に腕を振り解かれ、見捨てられたとでも訴えればお前の立場はあっという間になくなる訳だが」
「……であれば、共に向かいましょう。ご負担をお掛けする事にはなりますが」
「いいや、僕はお前の言葉には従わない」
(な、何なの、この王子は……)
ラガルド殿下の言う通り、彼が嘘をでっち上げれば私の立場が危うくなるような状況にあるのは事実。
であるならばそれを封じた上で彼を連れて第三者を探しに行くまで、と思ったのだが、何故か命を左右する状況であるかもしれない当の本人がどこか楽しげな様子で助けを拒絶する。
(私を脅し、何か思い通りに動かしたいという意図があるのでしょうけれど、自分の体に無理を強いてでも優先したい事って、一体……)
「ところでニコレット。最近の歌劇では小道具も随分と手が凝るようになったらしい」
「はぁ……?」
「まあ聞け。ただのハリボテを舞台に設置するだけではなく役の手荷物や……果てには、死人役に赤黒い糊を付けて血液を模したりなどもするとか」
嫌な予感が突然膨らむ。
冷や汗が流れていくのを感じながら、私は自分の袖や彼の足元に落ちている血痕など、血液だと思われる汚れを交互に見やった。
「ま、まさか、殿下」
「――言っただろう? 必要ないと」
底意地の悪さが際立つような歪な笑みを私へ見せつけるラガルド殿下。
私は自身の中に生まれた予感が確信へ変わっていくのを感じた。
――だから、趣向を変えよう。
――少々面白い事を思いついたんだ。
昨日の彼の発言を思い出した私は思わず呆けてしまう。
思考が止まり、言葉を失った私を見て、ラガルド殿下はくつくつと喉で笑った。
「さて、大人しく僕に従うんだな」
どうやら私は、ラガルド殿下の策にまんまと嵌ってしまったらしかった。
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