第95話 疑念
夜を迎えた王宮。
その廊下の一角に立っていたカミーユは曲がり角から近づく足音に気付いて視線を移す。
そして真剣な面持ちをパッと明るい笑顔に変え、カミーユは曲がり角から飛び出した。
「ジュリエンヌ様」
「きゃ……っ!」
突如眼前に現れた騎士の姿に驚いたジュリエンヌが思わず悲鳴を上げる。
遅れて、視界に飛び込んだのが自分の騎士だと気付いた彼女は目を何度も瞬かせてから苦笑と共に溜息を吐いた。
「もう、カミーユ。驚かすのはやめて」
「あははっ! すみません。……お元気が、なさそうでしたから」
軽く頭を下げたカミーユは、上目でジュリエンヌの顔を覗き込む。
何かを見透かしたような視線を受けたジュリエンヌは困ったように肩を竦めた。
「本当に、あなたにはお見通しね」
「ジュリエンヌ様は特別わかりやすいですよ」
「それが事実ならば、上位貴族としては恥ずべき悪癖だわ」
ジュリエンヌが出口へ向かって歩き出し、カミーユはその後ろに控える。
「それにしても、あなたは本当に優秀ね。足音の違いだけで心情まで汲めるなんて」
「流石に毎回わかる訳ではありませんよ。それなりに深い関係にあたる人物であれば分かる時もありますが」
「充分過ぎると思うけれど。剣の事はさっぱりだけれど、耳が良いというのは大きな強みになるとグザヴィエ様から聞いたわ」
「まあボクの場合、体格差を別で補う必要がありますから――」
会話の最中、ジュリエンヌとカミーユの視線は前方の一点へ向けられる。
反対側からやって来る、見覚えのある人物の姿。
赤髪の騎士は二人を見つけると頭を下げた。
「ヴィクトル」
「ジュリエンヌ様、カミーユさん、こんばんは」
「どうも~」
「こんばんは。今からグザヴィエ様の元へ?」
「あ、はい。護衛の仕事と、ちょっと報告しなきゃいけない事もあって。ジュリエンヌ様は殿下に会った帰りですか?」
「ええ。最近は学校にもあまりいらっしゃらないし、今日も忙しそうで少ししかお話しできなかったのだけれど」
「ああー……」
ヴィクトルは自分が向かおうとしていた方角を見やって眉を下げる。
学園への登校頻度が減ってからというもの、グザヴィエは何とか時間を見繕っては婚約者のジュリエンヌと会う時間を設けていた。
しかしその時間も僅かなもので、それに対する寂しさや多忙なグザヴィエに対する心配などを抱える彼女の表情は曇っていた。
「あ、じゃあ俺から言っときますよ。ジュリエンヌ様が寂しがってますよって」
「ひ、必要ないわ! わたくしの為にお手を煩わせたい訳ではないもの」
「そうなんですか?」
「ええ。それよりも」
ジュリエンヌはふと、先ほど会ったグザヴィエの姿を思い出す。
普段と何ら変わらない微笑み、そして自分を気に掛ける優しい振る舞い。
少なからず彼の環境は変化しているはずにも拘らず、彼自身から微塵も変化を感じられない、僅かな違和感。
(彼が変わったのは、一体いつから……)
次いで、感情表現豊かで、様々な姿を見せてくれた幼少期のグザヴィエが突如過った。
(……変ね。今まで、気にするような事もなかったのに)
過去と今の乖離が、ジュリエンヌの胸を騒めかせる。
「ヴィクトル」
「んぁ、はい」
「……グザヴィエ様を、お願いね」
真っ直ぐとヴィクトルを見据え、ジュリエンヌは自身の想いを彼に託す。
王太子従きの護衛騎士はゆっくりと目を見開いてから、快活な笑みを浮かべて頷いた。
「勿論! お任せください! なんたって俺は、殿下の騎士ですから」
「……ええ。ありがとう」
彼の明るさにジュリエンヌの心が軽くなっていく。
「それじゃあ、わたくし達は失礼するわね」
「はい、お気をつけて!」
頭を下げるヴィクトルの脇を、ジュリエンヌとカミーユは歩いていく。
その時、ヴィクトルは視線を感じて上目でその正体を探る。
はたと、カミーユと目が合った。
カミーユは日頃の軽薄そうな笑みとは打って変わり、何かを考えるような、探るような面持ちでヴィクトルを見ていた。
そのまま、二人は彼から遠ざかっていく。
ジュリエンヌ達がある程度離れた頃、ヴィクトルはグザヴィエの執務室へ向かって歩き出した。
しかしそこへ――
「あ、そうだ」
後方からカミーユの声が飛ぶ。
「おーい、ヴィクトルさん」
名を呼ばれ、ヴィクトルは足を止める。
彼は一瞬苦く笑ってから、あたかも何も考えていないかのようなきょとんとした顔を作り、振り返った。
「お? 何ですかぁ?」
振り返れば、足を止めてヴィクトルを見るカミーユと、それを意外そうに見ているジュリエンヌの姿があった。
カミーユは普段通りのヘラヘラとした笑みのまま問う。
「剣術大会の三日目の十三時頃って、どこにいました~?」
十三時。
その時間はニコレットや王宮の騎士――それこそカミーユ達と研究棟の騒動の後始末をしている頃だった。
勿論、素直に答える事は出来ない。
だが想定外の問いに対し、即座に正確な返答をすれば逆に怪しい。
『剣術バカ』であれば猶更だ。
それを踏まえた上ヴィクトルは一芝居を打つことにした。
ヴィクトルは不自然な間が空かず、尚且つ普段通りの音を取り繕って声を出す。
「んぇ、十三時ぃ? えっとぉ……あの日は十六時くらいまで大会だったんで、闘技場ですかね」
カミーユは彼の様子をまじまじと観察してから、頷く。
「あ、そーですよね! すみません、変な事聞いちゃって」
「いーえ」
「じゃ、今度こそ失礼しますー」
軽い会釈と共にカミーユは前を向く。
ジュリエンヌと共に去っていくその背中を見つめながらヴィクトルは小さく肩を竦めるのだった。
***
「全く、カミーユったら、突然変な事を聞いて。彼が大会で優勝したのはあなたも知っている癖に」
「あはは。そうでした、そうでした」
ジュリエンヌからの呆れ交じりの溜息にケラケラと笑いを返す。
(そもそも彼とは深い関係ではないけれど。力み、震え、高低、テンポ……動揺や嘘らしい特徴はなかった)
ジュリエンヌの背後。
カミーユは研究棟の騒動で相まみえた外套の男を思い出しながら顎を撫でる。
(……流石に考え過ぎか?)
そう結論付けながらも、カミーユの胸の内には僅かな疑念が残っているのだった。




