第94話 蠢く影
その晩。
隠れるようにして地下室に存在する賭場。
そのさらに奥に用意された個室の中でラガルドはソファに腰を沈める。
「なら、現状は滞りなく進んでいると」
「ええ。こちらは既に、いつでも動き出せるだけの準備を進めております。後は……殿下次第かと」
「それはさっさと動けと僕に指図しているのか?」
「滅相もございません」
肘を突き、足を組むという尊大な態度のラガルドは自分の前に立つ、外套を纏った男を見据えていた。
「生憎と、こちらには複数の問題が控えている。やる気に満ちているところ悪いが、貴様らが動くのはまだ先だ」
「問題、ですか」
「白々しい奴だ」
ラガルドは長い溜息を吐いた。
彼の目つきが鋭くなる。
「貴様らが送った『聖女』。あれが偽物であるという事くらい見当がついている」
「ほう、偽物ですか」
「アレが本当に聖女だったというのならば、貴様らが国唯一の宝を預けずとも奴は勝手に信仰され、称賛されただろう。端からそうしておけば貴様らは『宝』の奪取の為に僕を使う事もなく、またそれを僕に奪われたまま気が気ではない日々を送る必要もなかった訳だ」
ラガルドと男は静かに睨み合う。
男は肯定も否定もしなかった。
「まあいい。貴様らの国に聖女がいない事、そして恐らくは我が国に聖女がいる事――父上、もしくは兄上が何らかの根回しをしているであろう事も分かっている」
「レグリアス王国に?」
「アレが本物の聖女であると信じていたのならば、公にし、大々的に調査を進めたはずだ。大罪人とはいえ相手は聖女。世界に一人しかいない強力な力を持つ存在を生かしたまま利用するべきであるし、それを暗殺という選択によって台無しにした存在がいれば、それこそ国が力を持つことを面白いと思わない連中の存在を疑い、何としても捕らえようとするはず。だが」
ラガルドは考えを巡らせながら空いている側の指で肘掛けを叩く。
彼と男の二人しかいない空間に、淡々と言葉を紡ぐ声が反響していた。
「そうはならなかった。大罪人を捕らえていた厳重な牢獄、その管理不行き届きが公になる事で少なからず生まれるだろう国や王族へ対する不信感を避ける事を優先させたんだ。まるでより優先すべき事でもあったかのような……或いは脅威となり得る勢力に『聖女は死んだ』と思わせておく方が都合が良かったとでも言うようにな」
「そういえば……彼女やマリオット男爵からの報告では『聖女』がどれだけアプローチをしても王太子は全く靡く事がなく、それどころか『聖女』の力を手中に入れる為に肩入れするような姿すら一切見られなかったと」
「兄上の事だ。貴様らが間者を用意した頃には既に『聖女』の居場所を突き止めていたのだとしても不思議ではないし、そうであるならば、端から偽物を取り締まる方向で動いていたとしてもおかしくはない」
「では、問題というのは……本物の『聖女』が王太子側についている可能性がある事でしょうか」
「ああ」
ラガルドが首を縦に振る。
彼が提示した可能性は外套の男にとっても都合の悪い展開。故に男は思案するように顎を撫で、口を閉ざした。
「『聖女』がどこかに身を隠している場合、貴様らの企てが全て水泡に帰す可能性がある」
「そうですね。せめて、素性だけでもわかれば、いくらでもやりようはあるのでしょうが」
「ハッ、随分と簡単にアレが偽物であることを認めるんだな」
「殿下も勿論お分かりかとは思いますが、我々が目指すべき場所は同じであり……余計な疑念を招いたり、敵対する事ではありません」
「賢明な判断だな。今後もそれだけ利口でいてくれるのならばこちらとしても楽でいいのだが。……まあいい。とにかく、貴様らの計画を本格的に進めるのは、どれだけ早くとも『聖女』の所在が明らかになった後だ。それと」
はたと、ラガルドは言葉を切る。
「それと?」
男が続きを促す声を聞き流しながら、ラガルドは表情を険しくさせる。
彼の脳裏を過ったのは仮面舞踏会の夜や研究棟で遭遇した、正体不明の敵の存在だった。
「恐らく厄介な手練れがいる。警戒しておくに越した事はないだろう」
「どの様な人物なのです?」
「さあな」
ラガルドは服装や数少ない容姿の特徴、そして遭遇時の状況など、『謎の男』に関する情報を男へ告げた。
「二度遭遇したが、いずれも奴は顔を隠していた。恐らくは意図的に素性を隠し、兄上の裏で暗躍しているのだろう。お陰で素性については明確な情報が掴めないでいる」
「それではこちらで調べる事も難しいと」
「現状はな。だが……無駄骨を覚悟で一度くらい賭けをしてもいいだろう。こちらで探っておく。それより、貴様らにはこの件の調査より優先すべき事があるはずだが?」
「殿下、生憎ではございますが、ご心配されるような事はないかと。そちらも順調に手配が進んでおります故」
男は仰々しく膝を突き、醜悪な笑みを浮かべる。
「被検体による研究も順調と言えるでしょう。ですから、いつでも動き出せるだけの準備を進めている、と」
膝を突き、自分を見上げる男の顔をラガルドは無心で見下ろす。
彼の冷たい視線に怖気づく事もなく、男は話し続けた。
「我々は貴方様が新たな王となるその瞬間を心待ちにしております。全ては――ラガルド殿下の御心のままに」
「心にもない言葉だな」
相手の言葉はラガルドの心を一切動かさない。
彼は自分に向けられた言葉を簡単に切り捨て、先で自分の護衛や男の連れ達が控えているであろう扉を眺めるのだった。
***
月が出ない深い夜。
その裏では大国の破滅を招かんといくつもの影が動き出しているのだった。




