第63話 消えない不安
戦場へ赴く騎士へ愛する女性が武運を祈ってハンカチを贈る文化がある。
「自分の代わりに傍において欲しい」「戦場に居られなくても常に貴方を想っている」――そんな思いを込める贈り物。
この文化に則って、この剣術大会でも婚約者へハンカチを送る事が女子生徒の中で流行っている。
「貴方の事だから最終日まで残るだろうし、最終日の大会前に渡そうと思っていたの。けれど今回は応援も出来ないし……少しだけ早めに渡しておくわ」
私のイニシャルの刺繍が入ったハンカチ。
ヴィーはそれを受け取ると微笑んだ。
「……ありがとな」
「いいえ。去年とあまり変わらないデザインかもしれなけれど」
「いや、嬉しいよ。……何か、ニコルからはほんとに貰ってばっかだな」
「そんな事ないでしょ? 少し前にイヤリングだってくれたし、私の誕生日にだっていつもプレゼントをくれるじゃない。何なら、貴方の方が記念日も関係なく贈ってくれる印象があるわ」
「……いや?」
照れ隠しではない。
思っている事を素直に告げただけ。
しかしヴィーは首を横に振った。
「君からはずっと、貰ってばっかだ。いくら返しても返しきれないくらい」
その話し方や彼の穏やかな微笑は決してふざけたり謙遜しているようなものではなかった。
彼もまた、本心からそう言っていた。
けれど、彼が話す程に何かを贈っている覚えはなく、私は首を傾げる。
そんな私を見て、ヴィーはフッと笑うと私の頭に手を置いた。
「自覚ないんだろーなぁ」
ヴィーはハンカチを一瞥してからポケットにしまい、再び私へ視線を戻す。
「大事にするよ。お陰で優勝できそうだ」
「……貴方はハンカチがなくても優勝するでしょう?」
まるで私のお陰みたいな言い方をするヴィーの言葉の裏で、一日目に目の当たりにした彼の圧倒てな強さを思い出した私は小さく吹き出して笑ってしまう。
「わ、わかんねーだろ!」
「そうかしら。まあ、応援しているわ」
「おう!」
それからヴィーは私の頬を優しく撫で、囁く。
「終わったら、すぐにそっちに行く。だから、無理はするなよ」
「……ええ。私は出来るだけ動き回らず、休むようにしておくわ」
研究棟周囲の監視は既に用意している。
昨日、私を見つけた際にシャルル様からも忠告を受けているし、私自身は指示出しと定刻のシャルル様への報告に徹するつもりだった。
「ん」
そんな私の返答を聞いたヴィーは満足そうに頷きを返すのだった。
***
試合場の中央で剣術大会最終日が告げられ、客席からは歓声が上がる。
最終日は闘技場内に残る参加者が少ない事もあり、各参加者は自分の出番以外の時間も試合場へ続く通路内で他者の試合を見学することが出来る。
「楽しみですね、ラガルド殿下!」
「勝ちが決まっているお前はそうかもな。……というか、毎日ベタベタ引っ付いて来るのはやめろ。煩わしい」
試合場への入場口付近に立っていたラガルドは、当然のように自分の傍に立つヴィクトルの存在に長々と溜息を吐いた。
「だって、今回はグザヴィエ殿下もセルも大会参加してないんですもん! 次に仲が良いのってラガルド殿下だし」
「なるほど、兄上達の代わりという訳か。その事実を堂々と僕に言ってのける度胸は買ってやろう」
「あ、ちょ、何で怒ってるんですか……っ、あいででででっ」
ラガルドは吊り上げた口角をひくつかせながら、ヴィクトルの顔を片手で掴んだ。
とはいえラガルドの怒りも本心からのものではないし、その力も随分と加減をされたものだ。
それに大袈裟な反応を示しながらもヴィクトルは思考を巡らせ続けていた。
(ニコレットから共有された、シャルル様の話……あれが真実だとすれば、今日、ラガルド殿下側の勢力が何かしらの動きに出る事、そしてそれが研究棟絡みのものである可能性は非常に高い。ただ、ラガルド殿下が――『夢の香霞』の所持者がその企てに加担するか否かで阻止出来る可能性は大きく左右される)
夢の香霞への対抗手段は、この魔導具が放つ香りを吸わない事だけ。
しかしこの対策が通用するのは短時間のみ。
生命は呼吸を止め続ける事など出来ないから、実質的な対処法はないといえるだろう。
つまり、ラガルド側の勢力が研究棟を狙っていたとして、ラガルド本人が現場に駆け付けた時点でその企てを阻止する難度は大きく跳ね上がる。
(逆に、俺が彼をこの場に繋ぎ留められることが出来れば、実行犯を取り押さえる事も、証拠を掴む事も充分可能だ。問題なのは……どう足掻いたって、俺がラガルド殿下から目を離さざるを得ない瞬間が発生する事)
「――始めッ!」
「始まったか」
「おっ、みたいですね」
試合場に響く審判の声。
それを合図に剣同士がぶつかる音が響き渡り、ラガルドはヴィクトルから手を離すとそちらへ視線を移した。
ラガルドの言葉に同意するも、ヴィクトルの視線はラガルドの横顔へ注がれたままだった。
(最悪の展開を阻止するために手は打っているが、どこまで上手くいくかは未知数。……あくまで最悪を回避する為の措置でしかなく、最悪に近しい結果となる可能性だって充分にある。ラガルド殿下が動き出す機として最も可能性が高いのは観客の注目が集まる優勝候補争いの試合の瞬間で、俺が彼から目を離している時、か)
ヴィクトルは嫌な予感をひしひしと感じていた。
闘技場内の監視は必要。グザヴィエの采配は間違ってはいない。
だが、人手が足りない。
ヴィクトルと同程度に頭が切れ、動ける人材がもう一人いれば、彼の懸念の大半も打ち消されたのだろうが、残念ながら彼と同程度に優秀な者など見つかるものではない。
(打てるだけの手は打った。……こればっかりは、都合の良いように転んでくれることを祈るしかないな)
潰しきれなかった不安要素を憂いながら、ヴィクトルは静かに目を伏せるのだった。
***
「ニコレット様」
研究棟から少し離れた校舎。その空き教室を借りていた私へ、監視の一人が駆けつける。
「どうかした?」
「それが……ニコレット様から共有頂いていた情報にはない――魔法陣が見つかりまして」
「……っ!」
昨日までは報告がなかった魔法陣。
私は胸騒ぎを抱えながら監視と共に研究棟へと向かうのだった。




