第59話 勘違い
ヴィーは顔を真っ赤にしたまま視線を彷徨わせる。
(な、何、その顔……)
見た事もないような顔に私の目は奪われる。
ただでさえ煩い鼓動がこれでもかという程に跳ね上がった。
彼の胸に触れたままの手が、私のものと同じくらいに激しい鼓動を拾っている。
(そんな反応、まるで)
――恋に落ちた、私のような。
そんな考えが過る。
「あ、あー…………その、やっぱ顔色良くなさそうだから、帰って休んだ方がいいって」
思考が追いつかない私を置いて、ヴィーは私から離れるように数歩後ろへと下がる。
「んじゃ」
彼はきっと、そのまま離れるつもりだったのだろう。
私から背を向けたが、このまま行かせるわけにはいかない。
シャルル様の件は何よりもグザヴィエ殿下へ伝えるべきではあるけれど、ヴィーに会えたのなら、彼にも伝えておくべきことではあったから。
それに、私よりもグザヴィエ殿下や彼の周りの護衛に話を通しやすい立場であるのも間違いない。
ヴィーに言伝を頼んだ方が、話も早く進むように思えた。
「ま、待って……!」
「おわっ」
「貴方に伝えたい事が――」
私はヴィーの服の裾を掴む。
しかし私から離れようとしていたヴィーとの距離を詰めようとした時、足元が疎かになった私はそのまま躓いてしまう。
「っ、ニコル」
ヴィーは咄嗟に手を伸ばし、そんな私の体を支えた。
「ご、ごめんなさい」
「……いや。やっぱ、俺が送ってく」
きっと、呼び止めた私の言葉が聞こえていたのだろう。
彼は私を立たせると、代わりに手を引いてその場を後にする。
言わずもがな、様子のおかしい私達には周囲の視線が集まっており、居た堪れなさがすごい。
そんな空気から逃げるように私達は足早にその場を去ったのだった。
***
互いに林檎のように顔を赤くした知人らが離れていく姿をグザヴィエは離れた場所から見送る。
「……楽しそうですね」
傍にいたアンセルムはグザヴィエへそう声を掛けた。
グザヴィエはというと、必死に口を引き結びながらも、口角を上げ、細かく肩を震わせている。
「いや、だって……彼があんなに取り乱すなんて、初めてじゃないか」
「まぁ……言わんとしている事はわかりますが」
グザヴィエはくすくすと品の良い笑いを溢す。
「ニコレット嬢へ話を伺うのではなかったのですか」
「今日観戦していなかった彼女が何か気にしているようだと、ジュリエンヌから聞いているからね。詳しく聞こうと思ったのだけれど……遣いを出すから問題ないよ。遣いより先にヴィーが来るかもしれないし」
なかなか笑いが収まらない様子のグザヴィエは一頻り笑ってから深い溜息を吐いて、ようやく落ち着いた。
そんな彼を見ていたアンセルムはやれやれと小さく肩を竦め、眼鏡を押し上げる。
「少し前まで、彼女はヴィクトルに心を開いていないと思っていたのですが」
「うん、私もさ」
グザヴィエの相槌に頷きを返し、アンセルムは眼鏡の奥で金色の瞳を細める。
彼の視線は、ニコレットとヴィクトルが消えていった方角へ向けられていた。
「……あれは、脈アリのように見えませんか」
「さぁ、どうだろうね?」
楽しむような声音で返された言葉に、アンセルムは「悪いお人だ」と苦笑するのだった。
***
ヴィーに連れられた私は馬車を止めているロータリーではなく、人気のない校舎方面へ足を進めていた。
「わ、悪ぃ」
やがてヴィーは廊下の角まで辿り着くと、謝罪と共に私から手を離す。
周囲に人の姿は一つもない。
ここでならば、他の者に聞かれる事なく話をする事ができるだろう。
「あのままだと、変に注目されるかと思って」
「いえ、助かったわ。ありがとう」
顔の熱も随分と落ち着いた。
今ならば冷静に話もできるだろう。
「……それで、伝えたい事って?」
「えっと、その」
一方のヴィーの顔には未だに僅かな赤みが見られ、彼とは相変わらず目が合わない。
普段落ち着きのなさを装いながらも冷静さを欠かない人物とは思えない、珍しい姿だった。
「シャルル様の事なのだけれど」
「……へ?」
「シャルル様の……ほら、私が研究棟周りを見張るって話、したでしょう?」
彼に限って、昨日話し合った事を忘れているなどあり得ない。
聞き取れなかったのかと思い、私は言い直しつつ、補足を付け足す。
……何故か、妙な沈黙が訪れた。
ヴィーの動きが止まる。
そんな、微妙な空気が十秒程続いて。
沈黙に耐えきれなくなった私は怪訝に思いながらヴィーの顔を覗き込む。
「……ちょっと、ヴィー?」
「……えっ、あ…………ああ! ハイハイハイ、今日、ニコルが手を打ってくれてた件だろ? わ、悪ぃ、考え事してて……っ」
「え、ええ……」
私の声掛けを合図に、突然高速の頷きを繰り返しながら早口で捲し立てる彼は明らかに様子がおかしかったのだけれど、一先ずは伝達すべき話の共有が最優先。
私はヴィーにシャルル様から聞いた話を伝えるのだった。
***
「それじゃあ、殿下によろしくね」
「おう、伝えておく。ありがとな」
「いいえ。明日も頑張ってね」
ニコレットからの共有を受けたヴィーはその後、彼女を馬車まで送る。
真面目な話題を投げ掛けられてからの彼はすっかり顔の熱も冷めていた。
ニコレットを乗せた馬車が遠ざかり、姿が見えなくなるまで見送る。
そうして一人になると、ヴィクトルは足早に移動し、何とか人気のない建物の裏に飛び込み――
……ガクリ、としゃがみ込んだ。
落ち着いていたはずの顔は再び真っ赤に染まり、心臓は飛び出しそうな程に忙しなく動いている。
冷や汗が噴き出すのを感じながら、ヴィクトルは自分の顔を両手で覆った。
「っう、あ゛あ゛ぁぁ〜〜〜〜……」
彼は途轍もない羞恥に襲われながら、堪らず呻き声を漏らす。
ヴィクトルの脳裏を過ぎるのは、顔を真っ赤にしたまま自分を呼び止めるニコレットの姿だった。
(こ、告白されるのかと思っ……っ)
「っ、だっせぇ〜〜〜…………………」
誰もいない建物の裏。
彼は羞恥心に苛まれ、暫く動くことができないのだった。




