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【連載版】王太子でも聖女でも悪女でもなく、一番の策士が『剣術バカ(嘘)』の私の婚約者の件  作者: 千秋 颯@3/6「選ばれなかった令嬢~」アンソロ発売!
第三章 さよならに嘘の嘘を添えて

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第60話 師弟

 一人しゃがみ込むヴィクトルは深々と息を吐き出してから、改めてニコレットの事を思い出す。


(いやでも、冷静に考えて)


 いつも通りの芝居に対し、明らかに反応が変わったニコレット。

 これまで涼しい顔で接していた彼女が真っ赤になる……それだけ心境に何らかの変化があったのは。


(……脈、あるんじゃないか?)


 人前では見せない、真剣かつ険しい表情のまま彼は優れた頭を高速で回転させる。


(いやだって、これまで全部平然と流されまくってたし、あんな風に照れる事だってなかったし、あれは俺を意識してくれてるって考えてもいいんじゃないか。何がきっかけかはわからないけどこのまま押せばもっと確実に意識してもらえるかもしれないしそうなったら一度想いを告げても……というかあの時のニコル余りにも可愛――)


 考えている事が言葉になっていたのならば、それを何者かに聞かれていたのならば、間違いなく軽蔑されていただろう速度で、彼の脳内には文字が羅列されていく。


 期待し過ぎれば思い違いであった時の羞恥や落胆も大きくなる。

 そう思うも、彼は上手く気持ちを落ち着けられなかった。


 そんな、幼い頃から拗らせ続けた初恋に心を掻き乱されたヴィクトルだったが、ぐるぐると巡らせていた思考は突如静止する。


 ――こんなにしたのは君だ。君のせいだ。


 過去の記憶が蘇る。


 静かで低い、落ち着いた声。

 けれど抑えきれない憎悪と悲しみがその言葉尻には滲んでいた。


 濁った瞳と無理矢理貼り付けた歪な笑み。

 相手は逃さないというように自分の服を強く握りしめている。


 ――責任、取ってくれるんだろう?




 ヴィクトルは我に返る。

 辺りは先程と変わらず静寂に包まれていて、遠くからは帰宅する人々の喧騒が聞こえてきていた。


 彼は長い睫毛をゆっくりと伏せる。

 その顔に、恋心に翻弄されていた面影は一切残っていない。


(……責任)


 ヴィクトルはシャツの下に隠していたネックレスを取り出し、優しく握る。

 閉じた瞼の先で、これまで見てきたニコレットの姿が過ぎる。


 彼女が見せる色々な顔に、愛おしさと恋しさを寄せる。


「――ニコル」


 憂いるように呟かれた声が、愛する人の名を紡いだ。



***



 研究棟内。

 シャルルは廊下の窓から外の様子を窺う。

 よくよく目を凝らせば、茂みや木々の影に幾つかの人影がある。


(ニコレット嬢が監視を置いていったのか。助かるな)


 シャルルはニコレットが残した監視に感謝しつつ、廊下を進んでいく。

 向かった先は自身の研究室ではなく、補佐をしている大掛かりな研究の管理をしている個室。


 シャルルは入室すると散らかっている書類などを片付け始める。


(今日も泊まっていくか。無人にするのは流石に避けたい)


 ニコレットと別れた後、改めて研究棟内を隈無く歩き回ったが、彼が不審な魔法陣らしきを見つけることはなかった。

 もし仮に研究棟内に侵入用の魔法陣が仕掛けられているとなれば、あとは各研究室内くらいしか考えられない。

 となれば、内部犯の可能性を示唆したニコレットの言葉の信憑性も増すというものだが……残念ながら、自分とは無関係の研究室に赴く事が出来ない以上、これ以上の捜索は不可能だ。


 であるならばせめて、被害を受けそうなこの研究室だけでも見張り続けよう、というのがシャルルの考えだった。


(あとは、先生が戻って来た時に――)


 散らかっている部屋を片付け始めてから十分が経過した頃。

 ガチャリと扉が開く音がする。


「――っ!?」


 シャルルは反射的に扉の方を振り返った。


「ただいまぁ〜! ……って、シャルル君!? どうしたの、険しい顔して」


 茶髪の髪を高い位置で一つにまとめた、小柄な女性。

 彼女の姿を認めたと同時、シャルルは安堵の息を吐いた。


「なんだ、先生ですか」

「なんだって何? ここは私の研究室なんだから、私か、君みたいにお手伝いしてくれる人達しかいないでしょう? どうしたの、荒んだ学生の時と変わらない、柄の悪そうな顔して」

「してません」

「えー?」


 女性――研究者テレーズ・シャリエはシャルルの眉間の皺を指で突く。

 それをシャルルは雑に振り払った。


「それにしても、研究は今日までお休みって言ったのに。どうして君がここにいるのかなぁ。……あ、お茶淹れよっか」


 テレーズは手を振り払われても気にした素振りを見せず、研究室の奥へと向かう。

 棚の上部に置かれたマグカップへ手を伸ばすが、小柄な体格のせいで、それは彼女が背伸びをしてやっと指先が届く程度だった。 


「っとと」


 何度も背伸びをし直してはバランスを崩し掛ける彼女の様子にシャルルは呆れて溜息を吐く。

 それから彼女の背後に立ち、二人分のマグカップを簡単に取ってみせる。


「いい加減、自分の身長を過信するのはやめてくださいね。足場を用意するなり背が高い人間を使うなりしてください。オレみたいにね」

「な、生意気な……っ」

「オレが淹れますよ。出張から戻ったばっかでしょ。適当に座っておいてください」


 シャルルはテレーズに背を向けると、そのまま二人分の茶の用意を始める。

 呆れ顔から一変した、優しい微笑はテレーズに気付かれていなかった。


「それとオレがここにいる理由ですけど、急ぎ相談しておきたい事があって。お疲れのところ申し訳ないですけど、お時間いただいても?」

「相談? うん、勿論」


 テレーズはシャルルが今どんな顔をしているのかを知らない。

 しかしそれはシャルルも然りであった。


 彼女から背を向け、平然を装う彼は気付いていなかった。

 普段のものとよく似た、穏やかな微笑みの中――テレーズの瞳が妖しく光っていた事に。

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