第58話 やっかみ
闘技場が近づくにつれ、大会終わりの観客と多くすれ違う。
その中でいくつか、冷たい視線を感じた。
「あれはニコレット様ではなくって?」
「本当だわ。一体どちらへいらしていたのかしら」
「婚約者のヴィクトル様が大会でご活躍なさっていたというのに……可哀想だわ」
同級生の令嬢達だ。
私は声の聞こえる方へ視線を向ける。
視線が合うと、彼女達はびくりと肩を跳ね上げてから肩身狭そうに私から目線を逸らした。
私はにこりと微笑んで一礼し、彼女達から離れようとする。
(まあ、剣術大会後に一時的なやっかみを買うのは去年もあったけれど)
普段はグザヴィエ殿下やアンセルム様に女性の関心が向きやすいお陰で、恋愛的な注目を浴びる事が少ないヴィーだけれど、この時期は流石に彼に惹かれる異性が増える。
大会前からその前兆はあるが、実際に彼が剣を振るう瞬間を目の当たりにした直後であれば尚更、彼の事が気になる者も現れるだろう。
去年ならば、それに対して何か思う事もなかった。
大会後に私に向けられる鋭い視線や言葉は全て、嫉妬心から来る、根拠のないものばかりだったから。
けれど今回は違う。
(婚約者の参加する試合を応援しないどころか観戦すらしない。事情を知らない者から剣術にも婚約者の活躍にも興味がない、冷たい人間だと言われるのは仕方がない)
側から見れば非があると思うような行動をしている自覚はあった。
だからこそ私に批判的な意見が向けられるのも仕方のない部分はある。
けれど、私が試合を観戦していないのは、何もヴィーをぞんざいに扱っているわけではないのに。
そんな思いが募った。
その時だ。
「あっ、ニコルッ!!」
大勢の中から明るくよく通る声がした。
顔を上げると、満面の笑みを浮かべ、大きく手を振りながら近づくヴィーの姿があった。
「ヴィー……!」
「ニコル! 俺優勝したぞ!」
「そう。おめでと――」
正直、彼が負けるとは思っていなかった。
それは本人とて同じだろうが、あまりにも嬉しそうな顔で報告してくる彼の姿が愛おしくて、直前まで強張っていた頬が自然と緩んだ。
そうして告げた彼を祝う言葉は、飛び込んできた胸に遮られた。
私を腕の中に閉じ込めたヴィーは私の頭に自分の頬を擦り寄せる。
「ちょ、ちょっと」
「ってか、大丈夫だったか、ニコル!」
彼の胸に顔が押し潰されて窒息するのを何とか避けながら、私はヴィーを咎める。
しかしそのすぐ側から、より大きな声がした。
「え?」
「体調が良くなかったのに応援しようと思ってわざわざきてくれたんだろ。無理までしてさ」
一体何が『大丈夫』なのだろうか。
そう思った私が顔を上げれば、間近から私の顔を覗き込むヴィーと目が合う。
彼は何かを悟っているかのように、不敵な笑みで私を見下ろしていた。
視界の端で、先程の令嬢達がハッとし、バツが悪そうにそそくさと去って行くのが見えた。
他にも、私へ敵対的な視線を向けていた者達が一斉に私から目を逸らす。
ヴィーはこの場の状況を理解した上で、私が大会を見られなかったのは仕方のない理由だったと主張できる材料を用意してくれたのだ。
「ええ。医務室で休んでいただけだから、問題ないわ。応援できなくてごめんなさい」
だから私は――それに乗っかる。
体調が優れない中、婚約者の応援の為に何とか観戦しようと努力した健気な令嬢として振る舞った。
「んなの別にいいって! ニコルの体調が最優先に決まってるだろ? てか、明日もしんどいなら無理して来なくていいから」
「いいえ。確かにまだ回復はしていないけれど、明日も直前まで粘ってみるわ。……貴方を一番応援したいのは私なんだから」
「ニコル……」
これでヴィーの計画通り。
本人が公認しており、寧ろ観戦を控えた方がいいとまで言っている事実と、体調不良というどうしようもない理由。
これらの要素が重なれば、殆どの人は私を悪とは見做さないだろう。
これでも尚、仮病を疑って私を責める者がいるとしても、それが言い掛かりであることは周囲の者の目から見ても明らか。
その主張は相手にされないか、寧ろ発言者の立場を危うくして終わりだ。
ヴィーに感謝をしながら、私はいつも通りに『仲睦まじい婚約者』として振る舞う。
彼も普段通りに芝居を打とうとしたのだろう。
困ったような顔で私の頬に触れ、近くから覗き込んできた。
「気持ちは嬉しいけど、ホントに無理はしないで欲しいんだ」
翡翠色の瞳が私を捉えて離さない。
彼の瞳に映る自分の姿がよく分かるほどに詰められる距離。
側から見れば明らかに近いのだが、『剣術バカ』の彼の距離感が近い事など、今に始まった事ではない。
私もとっくの昔にこの距離感に慣れていた。
だというのに。
視界いっぱいに映る真剣な面持ちの彼の顔が、どうしようもなく動揺を掻き立てる。
彼の美しい顔を視認するや否や、私の心臓は大きく跳ね上がった。
「応援されないよりも、辛い中、ニコルが無理してる事の方が俺は――」
(だ、だめ……っ)
想定外。イレギュラー。
制御できない自分の体の反応に困惑しつつも、何とか動揺を抑え込もうとするけれど、そんな悪足掻きは無駄だった。
真剣な時の少しだけ低い声や綺麗な色の瞳、アホっぽさが薄れた真面目な面持ち……それらを意識すればする程、私は自分の思考が上手く働かなくなっていくことを自覚する。
そして耐えていた昂りは、突然堰を切ったように爆発し……私の顔はカッと熱くなった。
どう足掻いても、私の顔色は平常ではないだろう。
その証拠に、頬を撫でながら顔を近づけていたヴィーの目が大きく見開かれた。
非常に気まずい沈黙が流れる。
側から見れば互いに至近距離から見つめあったまま動きを止めたおかしな男女だ。
しかし、おかしな様はそれには止まらない。
真っ赤になっているだろう私に気付いたヴィーは何度も瞬きを繰り返してから
「…………へ、えぇ……?」
無理矢理作り笑いを浮かべようとして失敗したような、片方の口角だけを持ち上げた笑みから、間の抜けるような声を絞り出す。
それと同時に、ボン、と音でも出たのかと思う程突然、ヴィーは顔を真っ赤に染めたのだった。




