第39話 叶わない約束
「たん、じょうび……」
差し出されたケースを前に、ヴィーが呆然とする。
数度瞬きをしてから、彼はハッと我に返った。
どうやら漸く、今日が自分の誕生日であることに気付いたらしい。
「全く、その調子では将来、自分がお爺さんになった事にも気付かなさそうだわ」
「うぇ……え、これ、くれるのか?」
「そうに決まってるでしょ?」
「あ、ありがと」
未だに目を白黒とさせている彼はぎこちなく礼を述べてからケースを受け取り、それを開けた。
中に入っていたのはネックレスだ。
小ぶりの宝石が付いただけの控えめなデザインのそれは、派手ではない分、普段使いがしやすそうであった。
そしてそのネックレスにあしらわれていたのは紫の宝石。
「……ニコルの目と同じだ」
――私の瞳と同じもの。
彼の翡翠の目が何かを愛でるように細められる。
「いつ動き回らないといけないかも分からないし、見せる為のネックレスだとゴテゴテとしていて邪魔でしょう? 引っ掛かったり掴まれたりしたら危ないし。でもそのくらいなら、必要な時は服の中に隠しておけそうだし」
「ん、アクセサリーってオシャレの為につけるもんじゃねぇのか?」
「本来はそうだろうけれど、私が選んだのは別に、貴方にお洒落をして欲しかった訳じゃないから」
私はそう言いながら、ネックレスに手を伸ばす。
それからヴィーに、背を向けるよう促し、それを付けてあげた。
彼の胸元で輝くそれをそっと手で掬いながら私は微笑む。
「……きちんと、見ているから」
ヴィーが小さく息を呑む。
「いつだって、貴方の事を見守っているから」
自分の瞳の色のアクセサリーを贈るというのは、特別な意味合いを持つ。
港町まで出掛けた時にもらったアクセサリー。
貴族にとっての価値としては大層なものではないだろうけれど、私はあれがとても嬉しかった。
そして、仮面舞踏会でヴィーが初めて見せた一面。
何かに悩み、躊躇うような姿の彼。
ありのままの自分を見せる事に抵抗感を覚えていた彼を急かすつもりはない。
彼が己の中にある不安を払拭し、自ら踏み出せるようになるまで、ただ待つと決めたから。
待っていると、約束したから。
ただ、少しでも彼の中の不安や恐怖が和らいでいけばいいと私は思っている。
――どんな貴方であっても、私は傍に居続ける。
そんな想いを込めた贈り物だった。
「忘れないでね、ヴィー」
ヴィーはゆっくりと目を見開き、宝石を撫でる。
それからとても柔らかな微笑を浮かべた。
「……ありがとう、ニコル。大事にするよ」
「そうして頂戴」
私の手に触れ、その甲に口づけを落とす。
私は笑いながら、それを受け入れたのだった。
その後、私達は日が暮れるまでの数時間、彼の部屋で穏やかな時間を過ごした。
久しぶりの二人きりの時間は心地よくあっという間に過ぎてしまい、別れ際には名残惜しさを覚える。
「落ち着いたら、またどっか出掛けような」
馬車の前まで見送ってくれたヴィーがそう言った。
「ええ。今度こそ二人でね」
「っ!」
ヴィーが顔を輝かせる。
「絶対だぞ! 約束だからなっ!」
「はいはい」
相変わらず声が大きい、なんて笑いながら、私は馬車に乗る。
「ニコル」
そんな私をヴィーは呼び止めた。
彼の声につられるように振り返ると……腕を引かれる。
そして……額にキスを落とされた。
少しだけくすぐったくて身じろぎをしていると彼は少し視線を彷徨わせてから、あざとい上目遣いで私を見上げた。
「俺、誕生日なんですけど」
「……? ええ。おめでとう」
彼は唐突に分かり切った事を言い出す。
というか忘れていたのは貴方でしょう、と内心で突っ込んだ。
しかしどうやら自分が年を取ったという主張がしたい訳ではないらしい。
「……たまには、そちらからしてくれてもいーんじゃないですかね」
「え?」
謎の沈黙が訪れた。
初め、彼の言葉の真意が分からず私は呆けてしまったのだが、馬車に乗りかかっている私を不服そうに見上げる相手の顔を見つめる内、漸く彼の言いたい事を理解した。
「えぇ?」
「えーってなんだよ!」
「もうプレゼントはあげたじゃない」
「もっと!」
必死に言い返してくるヴィーがおかしくて、私はつい意地悪を言ってしまう。
子供のように不満を訴える彼の様子がおかしくて私は耐え切れずに吹き出してしまった。
「ごめんなさい、嘘よ。ほら」
「ん」
私は両腕を広げる。
素直に頷いたヴィーがその中に収まった。
私は片手で彼の頬を優しく撫でてから、空いている方の頬に口づけを落とした。
唇を避けてしまったのは……何となくだ。
ヴィーはスキンシップが多い方だし、私も大抵はそれを受け入れるけれど、何だかんだで、私達は唇を重ねた事はなかった。
彼と唇を合わせる事に抵抗がある訳ではない。
普段あまり自分からスキンシップをしないから、余計に恥ずかしく感じたというのもある。
ただ、それ以上に……初めては何となく相手からの方がいいという気持ちがあった。
何だかんだ言って、私だって乙女ではある訳だ。
そういう考え方をしてしまう事だってある。
ヴィーは頬に口づけをされ、驚いたように目を瞬かせた。
それから私の唇が触れた箇所を指でなぞりながら吹き出す。
「っ、ふはっ」
「何か不満でも?」
「っ、いーや? ありがと」
もしかしたら彼は、私の考えている事を悟ったのかもしれない。
「どういたしまして。……お誕生日おめでとう」
「おう。今日はわざわざありがとな」
別れを惜しむように、ヴィーは最後に私の髪を掬いあげた。
「……おやすみ」
そういう彼の声と表情はとても穏やかで……あの仮面舞踏会の日の別れと少しだけ似た空気を感じた。
胸の高鳴りを抱え、顔に溜まる熱を感じながら、私ははにかむ。
「ええ。おやすみなさい、ヴィー」
私は今度こそ馬車に乗る。
動き出した車内で、窓の外を――私を見送るヴィーを見つめる。
彼は私に手を振り、遠ざかる馬車を見つめてから、視線を落とした。
そっと、胸元についた宝石を手で掬い上げる。
きっと、私がまだ見ているなんて思ってもいなかったのだろう。
こっそりと笑みを深める彼の顔がとても嬉しそうで、思わず私もつられて笑ってしまった。
あのプレゼントにして……そして、私の想いを伝えられてよかったと心から思う。
(……結局、あまり一緒にいられなかったし、次に一緒にいられる時はもう少しゆっくり出来るように計画しよう)
――落ち着いたら、またどっか出掛けような。
先程の約束を思い出しながら、私はそう思った。
(どこなら、喜んでくれるかしら)
先程のような笑顔が見たくて、私はあれこれとデートの候補を考える。
願わくば、その頃には彼の新たな姿が見られればいいとも思う。
「楽しみね」
……この時の私は考えもしていなかったのだ。
当たり前のように交わしたこの約束が、願いが
――叶わない未来があるという事を。




