第131話 お茶目な王太子
「まあまあ。皆、そろそろ席に着こうか」
ひと騒動起きてから数分が経過した頃。
私とジュリエンヌ様はグザヴィエ殿下の言葉に従って席に着く。
しかしヴィーとアンセルム様は未だに揉めていて、アンセルム様はヴィーの胸倉を掴んで彼を捕まえると、その顔を手探りで弄る。
だが残念なことに、アンセルム様の眼鏡は既にヴィーの顔にはない。
嫌な予感がしたのだろう。
アンセルム様は視力の悪い目を細め、眉をこれでもかという程寄せてからぎこちない動きでグザヴィエ殿下の方を見やった。
「……あの、殿下。つかぬ事をお伺いしますが」
「何だい、セル」
「俺の眼鏡の所在って」
「ああ」
グザヴィエ殿下はにっこりと笑んだまま自分の目元を指で差す。
「私の顔に掛かっているね」
細められる瞳の手前にはアンセルム様の眼鏡が掛けられている。
少し前にヴィーがグザヴィエ殿下の顔に眼鏡を退避させていたのだ。
本来であれば王族の顔に触れたり細工をする行いは不敬に当たるが、ヴィーの行動の意図を理解して顔を差し出したのは当人なので、勿論この一連の流れはグザヴィエ殿下が容認した結果である。
「で、殿下……っ」
普段と変わらない表情の顔なのに、心なしか楽しそうに見えるのは気のせいだろうか。
いつもは王太子という地位に相応しい振る舞いをするグザヴィエ殿下だが、悲しきかな、彼もまた幼少からやんちゃに駆け回っていたヴィーの幼馴染である。
時折見せるグザヴィエ殿下の茶目っ気は当人の本質的な要因のほか、ヴィーに影響された事によるものでもあるのだろう。
彼はアンセルム様の訴えかけるような言葉の意図に気付かないふりをしている。
一方でヴィーの性格の影響をあまり受けなかったアンセルム様はというと、グザヴィエ殿下から無理矢理眼鏡を奪う事を選べるわけもなく、困り果ててしまっていた。
さて、私の隣に座っているジュリエンヌ様はというと。
「め、眼鏡のグザヴィエ様……」
グザヴィエ殿下の眼鏡姿を横目でちらちらと見やりながら小さく呟いていた。
頬を赤く染めもじもじとしながら顔を伏せているその様子は誰がどう見ても恋する乙女そのもの。
とはいえ、つい数分前に同じような感情を抱いてしまった私も当然、人の事は言えない。
内心でジュリエンヌ様のお気持ちに共感しつつ、緊張感のない現状の空気が落ち着くまで大人しく待っていようという結論に私は至った。
そんな折の事。
ふと辺りを見回した私はとある疑問を抱く。
「あれ……カミーユはどこへ……」
「ああ、先程出ていったよ」
生徒会室まで共に来ていたはずのカミーユの姿が見当たらない。
遅れてジュリエンヌ様もその事実に気付き、アンセルム様も私の言葉からある程度の状況を推察してか、真剣な面持ちに変わる。
そんな中、グザヴィエ殿下が涼しい顔で答える。
ヴィーも気付いていたのか特に驚いた様子はない。
「カミーユさんが退室した時、リュカも一緒にどっかに行ったみたいだなぁ」
(リュカが私の元を離れる時は『獲物』を見つけた時くらい。カミーユもきっと同じはず。となれば……)
「ま、だいじょーぶだろ」
ヴィーは出入り口に当たる扉を見やりながら呑気に言う。
カミーユもリュカも護衛や騎士としての手腕に優れた者達だが、二人と比べてもヴィーの実力は恐らく頭一つ抜けている。
そんな彼がカミーユやリュカが気付いた『何か』に気付かない訳もない。
という事は二人ならば安心して任せられると判断した上で何も気付かずにふざけているふりをしていたのだろう。
「万が一の際の安全確保の為に護衛が学園の敷地を跨ぐ事を認める……この学園の判断自体は正しいものだと思うけれど、残念ながら私達にとっては都合の良い事ばかりという訳でもない」
「王立学園の先生達や研究員は皆魔法や武術のどっちかに優れた人達だし、リスクを考えるとそんなに可能性が高い話ではないけど、護衛に扮した『何者か』が紛れ込む可能性や、貴族が協力して護衛と銘打って間者や刺客を連れ歩く可能性もなくはないからなぁ」
「外部の武器を携えた者が学園内を歩けてしまう環境は、グザヴィエ殿下に敵対する勢力がいる現状を鑑みると望ましい形とはあまり言えないでしょうね」
「けれど、そこまで悲観する必要もありませんわね」
男性陣のそれぞれの言葉に耳を傾けていたジュリエンヌ様は持っていた扇で口元を隠して不敵に目元を細める。
「この場にはヴィクトルがいますし、わたくしの騎士だって、信頼に足る腕を持っておりますわ。特に学園は閉塞した空間が多いですし、そのような場では――カミーユは滅法強い」
「リュカが本領を発揮できるのも障害物が多い場所ですから、多くの建物が集まった学園という場は彼にとっても動きやすいはずです」
「二人の言う通りだね。学園の事はカミーユとリュカがいれば事足りるだろう。……さて、二人が追っている『何者か』については後程当人らから確認するとして、私達は先に話を進めておこう」
私達はグザヴィエ殿下の言葉に一斉に頷きを返す。
しかし、その場の空気に呑まれて首を縦に振ったアンセルム様はふと思い出したように、そしてとても気まずそうに、おずおずと口を開くのだった。
「あの……そろそろ眼鏡を」
決してアンセルム様のせいではないのだが、今日の生徒会室の空気は何とも締まり切らないものであった。
***
昼休憩で人通りが多い廊下を歩きながらカミーユは右耳の傍に手を添えて耳を澄ませながら、鼻歌を歌う。
時折すれ違う女子生徒に声を掛けられ、手を振って応えるも、その足が止まる事はなかった。
「二時の方向、焦げ茶の髪の男、右足にやや重心を傾けて歩く癖あり。先回りお願いできますかぁ?」
すれ違う人の並みが途切れた瞬間、カミーユは小さく囁く。
それに返される声はなかったが、代わりにカミーユの視界の端を瞬き程の間の内に通り過ぎる影が一つあった。
「さぁて。愛しの我が君の視界に入り込もうとするのは、一体どこの不届き者ですかねぇ」
カミーユは腰に携えた剣に手を伸ばす。
その髪や服はどこからともなく撒き上がる風によってはためいていた。




