第130話 眼鏡
王立学園のとある校舎。
騒めく廊下でジュリエンヌは呆れたように額に手を当てていた。
その視線の先では頬を赤らめる女子生徒達に囲まれているカミーユの姿がある。
「先程から熱い視線を向けているご令嬢? この一介の騎士に何か御用でしょうか」
「あ、えっと……」
相変わらず女性との距離が近いカミーユは相手の目と鼻の先まで顔を近づけ、普段よりも低く甘い声で囁いている。
……平たく言うなら口説いている。
ジュリエンヌ様が学園内の護衛としてカミーユを従えるようになってからというもの、すれ違う学生の視線は私達に集まりやすくなった。
カミーユは社交界の中でも相当な有名人である事に加え、知人や自分へ興味を示した女性に対し、息をするように口説こうとする悪癖もある。
そんな人物が美しい容貌をしているのだから猶更質が悪い。
結果、女子生徒の大半はカミーユを前に恍惚とし、男子生徒の一部からは怪訝そうな、或いは侮蔑的な視線を向けられている。
……それにしても女性に満更でもない反応を示されている時のカミーユはあまりに活き活きしているし、何だか輝いてすら見える。
とても学園での護衛を渋っていた人物とは思えない。
「貴女のような可憐な女性の視線を奪えるなど、非常に光栄で――ブ」
ぺらぺらと止まらない口説き文句に痺れを切らしたジュリエンヌ様はやがて自分の騎士へ詰め寄ると、その頬を閉じた扇の先で突いた。
同時に主人から物言いたげな視線を受けたカミーユはそっと両手を上げる。
「……カミーユ?」
「あー、ははは……ああっ、ジュリエンヌ様、扇の先で人の顔をほじくり返そうとするのはやめてください~」
ぐりぐりと扇の先を頬にねじ込まれるカミーユからは直前の貴公子らしさが鳴りを潜め、情けない声が漏れる。
更にジュリエンヌ様はカミーユの腕を掴むと集まりつつあった女性陣から引き剥がし、さっさと移動を始める。
「ああ、申し訳ない。またどこかで~~~……」
名残惜しそうに女子生徒らへ声を投げかけ掛けるその姿には、王宮での会議の際、的確に情報を整理していた知的な姿や私を体を張って庇ってくれた時の頼もしさの面影を感じない。
何だか情けなさや頼りなさを感じてしまいそうな様子の騎士が遠ざかるのを見届けながら私は苦笑するのだった。
すっかり私有化してしまっている生徒会室へ私達は赴く。
生徒会が活動しているのは大抵放課後なので昼休憩である今は空いている事が殆どである事は理解しているものの、生徒会には属していない自分が当然のように出入りしている現状は何とも言えない後ろめたさを感じる。
ジュリエンヌ様に引っ張られていたカミーユが生徒会室の扉を開け、私とジュリエンヌ様を先に中へ通す。
因みにリュカは相変わらず身を潜めており、私の視界には入り込んでいない。
一応馬車を降りた際に共に学園の敷地まで足を踏み入れてはいる為、私の声が届く範囲にはいるだろう。
「失礼いたします」
私はジュリエンヌ様に続いて生徒会室へ入室する。
そしてその先の光景に思わず私は驚かされる。
私達よりも先に生徒会室にいたのはヴィー、グザヴィエ殿下、アンセルム様……いつもの三人だ。
しかしグザヴィエ殿下が生徒会長としての席に腰を下ろす前方でヴィーとアンセルム様が何やら揉めているようだった。
「おい、返せ」
「えー、もうちょい」
「ふざけるな……っ!」
普段の数倍は顔を顰め、険しい表情のアンセルム様はヴィーの声がする方へ手を伸ばす。
そんな彼の顔には普段ついている眼鏡がなかった。
だがその代わりにとでもいうように、虚空に手を振り回すアンセルム様の先でけらけらと笑うヴィーの目元には眼鏡が鎮座していた。
「……一体二人は、何をしているのかしら」
「見ての通り、ヴィーがセルの眼鏡を奪って遊んでるんだよ」
「本当に、見ての通りですわね……。本当にヴィクトルは、いつ見ても落ち着きがないのだから」
グザヴィエ殿下の返答にジュリエンヌ様が苦く笑う。
そんな折、アンセルム様から視線を外したヴィーがこちらを見やる。
偶然にも、私とヴィーの視線が交わった。
「あ、ニコル!」
ヴィーは満面の笑みを見せると私へ駆け寄る。
そしてわざとらしい真顔で、眼鏡を押し上げてみせた。
「どう?」
私を含めた大半が日頃の行いのせいで失念している事ではあるのだが、この残念な婚約者、実は整った容姿を持っている。
そのせいもあり、彼の仕草は……悔しいかな、想像以上に様になっていた。
「賢そうに見えるだろ?」
その発言があまり賢くはなさそうだし、そんな事よりも突然正常な視界を奪われたアンセルム様が可哀想だからさっさと返してあげて欲しい。
……これまでの私ならそう言い返したはずだ。
だけどこの時の私は、普段とは違う印象を抱かせる眼鏡姿のヴィーに不覚ながら動揺してしまう。
どくんと鼓動がひときわ大きく跳ねたかと思えば、その後も忙しなく心臓が動き続ける。
またじわじわと顔の熱が溜まっていくのを感じる。
(格好良――)
ある考えが過るも、慌てて私はその場違いな感想を心の内に押し留めた。
しかしそんな私を間近で見ていたヴィーは何かに気付くように目を丸くし、瞬きを繰り返した後、神妙な面持ちで顎を撫で……
「……やっぱあと一年は借りるわ」
などと訳の分からない事を言い出したのだった。
「誰が貸すかッ!」
すかさずアンセルム様の鋭い声が飛び出したのは、言うまでもない事である。




