第129話 交錯する思惑
国の危機への対策を講じるべく開かれた会議から数日が経った頃、王宮のとある廊下。
ヴィクトルやアンセルムを連れたグザヴィエはある部屋へ向かって歩いていた。
長い廊下を進む最中、彼らの進行方向からは別の者がやって来る。
「殿下」
艶やかな水色の髪を丁寧に結い上げた、上品な佇まいの女性――王妃ブリュンヒルデ。
グザヴィエの後ろに控えていたヴィクトルとアンセルムは無言で頭を深く下げる。
グザヴィエもまた、彼女に一礼をしてから挨拶を口にした。
「ご機嫌よう、王妃陛下」
「ええ。……相変わらずお元気なようで、何よりですわ」
「陛下もお変わりなきようで」
グザヴィエは普段と変わらぬ笑みを貼り付けて王妃の言葉に応える。
そんな彼を琥珀色の瞳がしっかりと捉え、細められる。
ブリュンヒルデは整った顔に柔和な笑みを浮かべているものの、その目は酷く冷たいものであった。
「それに比べ、国王陛下はお体が優れないようですね」
「陛下が? 何かお伺いしたのですか」
グザヴィエは目を丸くし、驚いた反応をする。
何も知らないようなその振る舞いに、ブリュンヒルデの目尻が僅かにつり上がる。
「直接お伺いした訳では。ただ、最近は殿下に公務を任せて公の場に姿を現さないものですから。てっきりお体が悪いのかと」
「確かに最近の陛下はあまり表に姿を見せませんが……。それは一時的に仕事を私に一任する事で器を測っているからかとばかり。私とお話しする時も至ってお元気な様子でしたが、王妃陛下がお会いする時はまた違ったお姿であるという事でしょうか」
心から案じているような顔をしながらも腹の底を見せず、白々しく傾げられる首。
それはブリュンヒルデの憤りを煽る反応であった。
「私は残念ながらまだ、陛下とお話ができておりませんから」
「そうだったのですね。何かお考えがあっての事なのでしょうか」
「さぁ、どうでしょう。陛下のお考えはいつも難しいものですから」
努めて笑顔でいるものの、ブリュンヒルデの口角は僅かに引きつっている。
それを碧眼に映したまま、グザヴィエは人の好さげな微笑を見せる。
「私から国王陛下にお伝えしておきましょうか。王妃陛下が心配なされていたと」
「ええ、お願いできますか」
「勿論です。しかし、どうかご安心ください陛下。国王陛下は至ってお元気そうなご様子ですから」
「……それが聞けただけでも安心ですね。どうもお気遣いありがとうございます」
「それでは、国王陛下をお待たせしておりますので、私はここで」
グザヴィエは再度深く頭を下げるとヴィクトルとアンセルムを連れてブリュンヒルデの脇をすり抜ける。
去っていくグザヴィエへ振り向くブリュンヒルデの視線はとても鋭いものであった。
「王妃陛下だけではなく、王宮関係者の中でも国王陛下のお身体が優れないのではという話は出回り始めています。そろそろ隠し通すのは限界でしょう」
「そうだね」
周囲に人がいなくなったのを確認してから、アンセルムが囁く。
グザヴィエがそれに小さく頷いた頃、三人は目的地に辿り着く。
豪奢で頑丈そうな扉。
それをノックし、グザヴィエは口を開く。
「陛下、グザヴィエが参りました」
「入れ」
「失礼いたします」
ヴィクトルが扉を開け、グザヴィエが部屋の中へと入る。
広々とした空間に備えられたベッドの上には体を起こした国王の姿。
そしてその隣には用意された椅子に腰を下ろしたクロエの姿があった。
「陛下、お身体の調子は」
「問題ない。随分と楽になった――彼女のおかげでな」
国王がクロエを一瞥し、クロエは緊張した面持ちで小さく頭を下げる。
「病気の原因は、けせたと思……います。ただ、病におかされていたときにすり減った寿命などまでは、わたしの力では……」
「充分だ。念の為医師にも診てはもらったが、公務をする事も問題ないだろうと告げられた。万が一の時は私が動く事もできるだろう」
「無事回復なされたとの事、安心いたしました。……クロエ嬢も、ありがとう」
「い、いえ」
グザヴィエとクロエの会話の様子を国王は眺める。
そして徐に厳しい顔つきのまま口を開いた。
「今回の件、私の不調の可能性を好都合と捉える輩もいるだろう。それを炙り出すには絶好の機会だ。そして、お前が王太子である事の説得力を持たせるにも」
「継続して私が陛下の代理となれば良いのですね」
「ああ。そして民がお前へより強い信頼を寄せるに足りる功績を作った時、私はお前へ国王の地位を譲ろう」
今、レグリアス王国が抱える問題。
それを解決した先でグザヴィエは国王の地位を得る。
現国王が提示したその約束は近い未来を想定したものであった。
「光栄に存じます。必ずや、陛下のご期待に応えてみせましょう」
グザヴィエは笑みを浮かべ、国王へ深々と頭を下げるのだった。
***
グザヴィエは国王との面会を終え、自室へと戻る。
アンセルムは共に退室したクロエを客室へ送るべく一度グザヴィエの傍を離れている。
この場にいるのはグザヴィエと、ヴィクトルだけであった。
「……殿下」
暫く互いの間には沈黙が流れていた。
それを破ったのはヴィクトルだ。
「万が一の手札は多いに越した事はないでしょう。一度検討いただいたことではありますが、やはり」
「……君が引き下がらないのも珍しいね。それにそういう話し方をする時の君がそれだけ真剣だという事も理解している。だが」
ソファに腰を下ろし、目を閉じていたグザヴィエが瞼を持ち上げる。
普段は優しげな目元もこの時ばかりは目尻がつり上がり、青い瞳には冷たさが宿っていた。
「たとえ君の提案であっても、こればかりは不可能だ。譲る事はできない」
グザヴィエはヴィクトルを静かに睨んだ。
「長年の国の在り方を覆すつもりはない。国王とその後継にしか告げる事を許されない情報を、護衛や側近に話す事など許されない。ましてやそれが……全ての国を敵に回しかねない事であるならば」
「……左様ですか。申し訳ありません、出過ぎた事を」
「構わないよ。私へ提言するのが君の役割の一つでもある。君が口を噤めば途端に、こちらは力を失ってしまうだろう」
一時見せた厳しい表情を解き、グザヴィエはいつもと変わらない微笑みへ戻る。
彼はヴィクトルから視線を逸らすと、ソファの肘掛けを指で叩きながら静かに考えを巡らせた。
(王家の秘密だけは、誰にも話してはならない。この――王宮の地下の秘密だけは)
国王と自分だけが知る『秘密』。
それについて思考を働かせながら、グザヴィエは小さく息を吐く。
一方のヴィクトルは表情や振る舞いに変化はなかったが、グザヴィエを見つめる彼は心の内で呟く。
(正攻法は不可能。ならやはり……一人で、動くしか)
静かな眼差しの奥で、確かな決意が孕んでいるのだった。




