第126話 どんな事だって
グザヴィエに擦り寄っていたジュリエンヌは、彼に顔を埋めたまま口を開く。
「わたくしでは、貴方を心を癒す事はできませんか……?」
想定外の言葉だったのか、その問いの返答には僅かな間が空いた。
そしてやがて
「そんな訳がないだろう?」
と言葉が返される。
しかしグザヴィエの優しい微笑みはやはり変わりないもので、まるでその言葉には彼の心が存在していないかのようにジュリエンヌは感じる。
それが、自分自身の無力感を更に大きく広げていった。
「どうすれば、貴方の力になれますか?」
「こうして一緒に過ごせているだけで充分だよ」
グザヴィエの言葉は模範解答のようだった。
彼の心に触れようと言葉を尽くせば尽くす程、ジュリエンヌは彼の真意がより深い闇に呑まれて遠のいていくような気がしてくる。
ジュリエンヌの胸の痛みは鋭く、激しくなる一方であった。
グザヴィエが宥めるようにジュリエンヌの頭を撫でる。
その動きにすら、彼の感情は存在していないのでは……そのような疑念が過る。
やがてジュリエンヌは己の胸の痛みに耐えきれなくなった。
「っ、わたくし、グザヴィエ様のお力になれるのであれば、どんな事だってできますのよ」
なるべく平静を装おうとしても、声が震えて上擦る。
ジュリエンヌが胸を痛めている事にはグザヴィエもすぐに気付いた。
だが何がそうさせているのかはわからないといった不思議そうな様子で、グザヴィエはジュリエンヌの頬を撫でる。
「ジュリ――」
「御免遊ばせ」
その時だった。
ジュリエンヌはグザヴィエの肩を軽く押す。
軽やかな音と共にグザヴィエの体がソファの上に倒された。
グザヴィエを押し倒したジュリエンヌは彼を囲うように両手をついて顔を覗き込む。
「本当ですのよ、グザヴィエ様。わたくし、貴方の為ならどんな事だっていたします」
ジュリエンヌはグザヴィエの手を持ち上げると、それで自分の頬を撫でさせる。
その顔に浮かんだ笑顔はあまりに大きな悲痛さを孕んだ、無理矢理作られたものであった。
「どんな事でも構いません。貴方の心を救えるのなら。だってわたくし――貴方の、婚約者ですもの」
ジュリエンヌの潤んだ瞳が大きく歪む。
「だから、グザヴィエ様……どうか……」
どうすれば、彼の本心に触れられるのか。
仮面のような笑顔を取っ払えるのか。
そんな想いが先行したジュリエンヌはあまりに必死で、だからこそ冷静さは欠いていたのだろう。
それ程までに、ジュリエンヌがグザヴィエを想う気持ちは強かった。
「貴方の心に、わたくしを」
持ち上げたグザヴィエの手を、ジュリエンヌは自分の頬から首へと動かす。
そして更にその先へと導こうとした、その時の事だった。
「ジュリエンヌ」
いつも通りの穏やかな声がジュリエンヌを呼ぶ。
それからグザヴィエは上半身を起こし、空いていた方の手で彼女の頬に触れ――唇を重ね合わせた。
長い口付けの後、グザヴィエはジュリエンヌの頬を撫で、彼女の顔を覗き込みながら言う。
「……すまない。どうやら私が何か……君を不安にさせるような事をしてしまっていたんだろうね」
自分を映す青い瞳に、ジュリエンヌの瞳は吸い込まれる。
僅かに開かれた彼女の口から空気が鋭く吸い込まれていく。
「ありがとう、ジュリエンヌ。でも私は大丈夫だよ。けれど、もし今後何かがあれば、その時は君の優しさに甘えさせて欲しい」
ジュリエンヌの気持ちを尊重し、寄り添った優しい言葉だった。
だが仮にも交際を重ねた男女の口付けの後、彼が見せたのは、やはり一切変化のないいつも通りの笑みだった。
故にジュリエンヌは悟る。
(今のは……わたくしを満足させる為だけにしたもの)
ジュリエンヌの必死の訴えも行為も、何一つグザヴィエの心には届いていない。
寧ろ彼は自分の心の内を明かすどころか、ジュリエンヌの気が済むであろう選択をした。
こうすれば彼女も落ち着くだろうと……そんな義務のような、少なくとも愛情ではない何かの意図を、ジュリエンヌは彼の表情から汲み取ってしまった。
「…………かしこまり、ました」
小さく掠れた声で、ジュリエンヌは何とかグザヴィエの言葉に答える。
それから彼女はソファから離れる。
「申し訳ございません、このような端ないことを」
「構わないよ。君が言った通り、私達は婚約者同士なのだから」
「……本日はそろそろ失礼いたします。随分遅くなってしまいましたし」
「そうだね。会議もあったから……送っていこう」
「必要ありませんわ、この部屋は比較的入口に近いですし、グザヴィエ様もお疲れでしょうから。見送る時間があるのでしたらどうか少しでもゆっくりお過ごしくださいな」
「……そうかい。じゃあ、お言葉に甘えさせていただこうかな」
グザヴィエの申し出に、ジュリエンヌは笑顔で首を横に振る。
それから彼女は出口の扉へと近づいてから、グザヴィエに向かって美しいお辞儀を披露する。
「それでは、失礼いたします。おやすみなさいませ、グザヴィエ様」
「ああ、おやすみ。気を付けて帰るんだよ」
グザヴィエの言葉に笑顔で応えてから、ジュリエンヌは退室する。
その後、王宮の使用人に馬車寄せまで案内されるジュリエンヌは公爵令嬢らしく背筋を伸ばして凛とした佇まいを見せていた。
(私はファリエール公爵家の娘で、王太子の婚約者だもの。人前で簡単に心を乱してはならない)
気高くあらねば。
そんな気持ちがジュリエンヌの心を強く保っていた。
しかし。
「ジュリエンヌ様?」
屋外へ出て暫く歩いた先。
馬車の前に立つニコレットとカミーユ、ヴィクトルの姿をジュリエンヌは見つける。
平静を装っていたつもりのジュリエンヌの心は、見知った人物達を見つけた途端に大きく揺らいでしまうのだった。




