第124話 待っている
「息を吸って」
突然触れられて驚き、目を見開くカミーユの顔を覗き込んで私は言う。
息を震わせながらもカミーユがゆっくりと息を吐く。
「吐いて……そう」
頃合いを見て、今度は別の指示を出す。
吸って、吐いて、吸って……。
一定の間隔で繰り返される指示に従っていたカミーユの呼吸は徐々に深く、落ち着いたものへと変わっていく。
呼吸が安定した事で少しだけ緊張が解れたのか、カミーユは長い睫毛を伏せて深呼吸を繰り返す。
その額には汗が滲んでいた。
やがて落ち着きを取り戻したカミーユは疲れ切ったような覇気のない声を漏らす。
「……申し訳ありません。お見苦しいところを」
「謝られるような事をされた覚えはないわ。……立てる?」
「はい」
「……そんな顔色で、ジュリエンヌ様のところまで行かせられないわ」
頷いたカミーユの手を引いて立たせてから、私はその手を引いて庭園の中を歩き始める。
程なくして、休憩用に備えられたベンチを見つけた私はカミーユの腕を引いてそのベンチに横になるよう促す。
「出来ませんよぉ。ボクは騎士ですし、それを抜きにしても侯爵家のご令嬢を差し置いて横になるだなんて」
「いいから休みなさい」
「無理です~」
この騎士、中々に強情である。
侯爵令嬢としての権威をチラつかせて命じてみても全く頷く様子がない。
このままでは埒が明かない。
そう悟った私は深く息を吐いてからベンチの隅に腰を下ろすと空いている空間をカミーユへと示した。
「……全く」
カミーユは渋々、私の隣に腰を下ろした。
それを確認してから、私はカミーユの腕を引いて体勢を崩させる。
「あ、ちょっと」
「これなら問題ないでしょう」
カミーユの頭は私の膝の上へ。
私はそのまま仰向けになる様促した。
「何か気にする事があるなら、私が無理矢理させた事にでもさせておきなさい」
「そうすると余計に拗ねそうな人がいるじゃないですか」
「今にも倒れそうな顔色の人を放っている方が問題でしょう」
誇張抜きで、今のカミーユの顔色は夜の薄暗さの中でもわかる程に悪い。
決して放っておけるような状態ではなかったが、ここで新たに人を呼んで事を大きくする事をカミーユ本人が望まない事も理解していた。
だからこそこれはカミーユを最低限休ませる為の妥協案のようなものである。
「そもそも、あなたがすぐに横になっていれば良かったのよ」
「そんな無茶な」
「……まだそんなに経っていないわ。ジュリエンヌ様に心配を掛けたくないのなら、少し休みなさい」
ジュリエンヌ様が馬車まで戻るのは少なくともあと三十分は先だろう。
私はカミーユの髪を撫でながら、目を閉じる事を促す。
下手に拒絶すれば、より断り辛い状況に追い込まれる事を直前に学んだからだろう。
カミーユは大人しく目を閉じた。その口からは深い溜息が漏れた。
私は汗が滲んだ額をハンカチで拭ってやり、前髪を梳く。
その最中、カミーユの額の傷が露わとなり、私は前髪を整えてやる事でそれをそっと隠したのだった。
「分かっていると思うけれど……。ジュリエンヌ様は、あなたの今の姿を見たって気を悪くしたりはしないわよ」
「そうでしょうね」
私達の間に静寂が訪れる。
冷たい夜風に頬を撫でられるのを感じながら、私は夜空を見上げた。
「私はね、とても面倒な人間なんですよ」
私は視線をカミーユから逸らしたまま、その吐露に耳を傾ける。
下手に相槌をして、この話を途切れさせるべきではないと思ったのだ。
カミーユのような人物が自分の胸の内を明かすのは非常に珍しい事であるから。
「心配を掛けたくはない。迷惑だと思われたくはない。そういった理由も当然ありますが、それらの根幹にあるものは、もっと子供染みた、しょうもない防衛本能です」
カミーユの声色は普段よりも低く暗いものであった。
掠れた呟きでカミーユは己の事を語る。
「自分が傷ついてるって自覚する事で、どこかほっとしているんです。完全に可哀想な被害者だって体でいれば、自分の正当性と相手の不当性を誰もが理解してくれると。きっとどこかでそう思っているんでしょうね。だから、一人で抱え込みたがる節があるんです。……これは、自業自得ですよ」
(……これはきっと、目に見えないだけの自傷だわ)
確かに本人が言うような経緯で、傷を孤独に背負い続ける事を進んで選択しているとして。
私はそれがカミーユの心の最も深いところにある考えではないように感じていた。
カミーユとウスターシュ様の関係は一時期社交界で最も大きく広まった噂の一つだった。
私が知っているのは社交界に顔を出す者ならば誰もが耳にした事のあるような話だけ。
それでもジュリエンヌ様の護衛として何度も顔を合わせ、言葉を交わし、今こうしてカミーユの弱さを目の当たりにして悟る個性も確かに存在した。
(この人はきっと、助けを自分から求められないだけ……求めた先で手を振り払われる傷の深さが、今の傷の何倍もあるという事を本能的に察しているのではないかしら)
「……すみません、話し過ぎました。思った以上に堪えたみたいですね」
そう言って自嘲するカミーユの表情にどこか寂しさを覚え、胸が締め付けられる。
(だからきっと、待っている)
カミーユはカミーユなりに訴え続けているのだろう。
自分がいかに傷ついているかを自分なりの方法で叫んでいる。
それは、その痛みに気付いて、手を差し伸べてくれる『誰か』を待っているからだとしたら……この、あまりに分かり辛い訴えに気付ける可能性を秘める存在が、カミーユの一縷の望みとして存在し続けているのだとすれば。
(私との関係値では力不足でしょうね。けれどこの人が本当に待っている人が現れるまでの間なら)
偶然という形ではあるけれど、こうしてカミーユの弱さを知った私だからこそ出来る事もあるのではないか。
そんな考えが私の頭を過った。
「カミーユ」
「何でしょうか」
私は沢山の傷を抱える騎士の頬を優しく撫で、微笑み掛けた。
「私達、お友達になりましょう」




