第123話 秘められた危うさ
ジュリエンヌ様と別れた私はカミーユを追う。
廊下を進んだ私がカミーユの背中を見つけたのは、二人の男女がカミーユを笑いながら去っていく瞬間だった。
男女のうち、女性の顔にはあまり見覚えがなかったが、男性の顔には覚えがあった。
――ウスターシュ・ド・ドナシアン。
ドナシアン辺境伯家の嫡男であり、最近家督を継いだ、現ドナシアン辺境伯だ。
そして……カミーユに関するとある噂に大きく絡んでいる人物。
そして、カミーユと対峙していた男性がウスターシュ様であると知っていれば、覚えがない女性の正体にも自ずと私は行き着く。
恐らくはウスターシュ様の今の婚約者だろう。
(何故彼らがここに……。いえ、今はそれを考えるよりも先に……)
ドナシアン辺境伯家は国の軍事の根幹を支える大貴族だ。
故に王宮へ赴く機会があること自体はおかしな話ではない。
だがこのタイミングでグザヴィエ殿下が彼を呼び出すことはないことを踏まえれば、他に彼を呼びつけられる程高位な立場の者が王宮に招いた事になる。
そしてそれはグザヴィエ殿下にとって都合が悪い話につながる恐れもあったが、それについて考えを巡らせるよりも先にカミーユが足早にその場を離れてしまったが為、私は考えを切り上げた。
(カミーユ……)
男女を見送り、足を進めるまでの間、カミーユはいつもと変わらない笑顔を顔に貼り付けている。
しかしそれでもカミーユの隠し切れていない動揺に私は気付いていた。
移動を再開する手前、カミーユは周囲を牽制するように辺りを見回すような素振りを見せた。
しかしカミーユは私に気付かなかったのだ。
私は胸騒ぎを覚えながら、カミーユの背を追う。
そして少し遅れて屋外へと出た瞬間。
私はカミーユが本来の目的地から逸れて人気のない道を進むのを目撃した。
また、背が遠ざかる速度は徐々に上がり、やがて何かから逃げるように必死に駆け出したその背中を私は見失ってしまう。
カミーユは日頃から体を鍛えている騎士である事に加え、周囲に比べ、背丈はやや低めで細身という、戦士にとっての弱点を速度や身軽さで補っている。
そんな人物が本気を出した足にただの一令嬢が追いつける訳もなかったのだ。
結局私は、人気のない庭園の入り口付近でカミーユを見失い、立ち尽くす事となった。
「……カミーユ」
日頃軽薄な振る舞いを取る、美麗な騎士。
その腹の底や抱えるものの大きさは私などでは汲み取る事もできないだろうが、それでもカミーユが過去に大きく傷ついただろう事実は知っていたし、今のカミーユのどこか危うげな空気も感じつつあった。
だからこそ、今のカミーユを一人で放っておくべきではないと思う。
ジュリエンヌ様の頼みがなかったとしても、私とカミーユは同じ陣営に属し、手を組む味方同士であるのだから。
私は確かな意志を持って庭園を進む。
そして暫く間カミーユの姿を探っていると、離れた場所から何やら声が聞こえてくる。
「……リュカ、離れていなさい」
恐らくは私の声が届く範囲にいたであろう護衛に遠のくよう指示を出す。
私はヴィーのように人の気配とやらを察知する事はできないので、リュカがどこにいたのか、すでに遠ざかったのかそうでないのか、その判別もできない。
しかし彼が主人の意見を尊重する姿勢を持ち、また万一応えることができない時はしっかり異を唱える性格であることを理解している。
数分程時間を置いて、リュカが離れただろうと判断してから声のする方へゆっくりと近づいた。
距離を詰めていけばわかる。
それがカミーユの声であると。
しかし聞こえてくるのは普段の余裕に満ちた声とは正反対の、悲痛な声だった。
私の足は自然と早くなる。
この悲鳴を放っておいてはいけないという、一種の危機感のような感情が私を襲ったのだ。
私は庭園の隅、とある生垣の隙間からその先へ抜けた瞬間、両膝を突いて蹲るカミーユの背中を見る。
小さく震えた体と、正常ではない息遣い。
しかし私はそれらに注意を割くことができない程カミーユの悲鳴のような声と行動に意識が吸い込まれていた。
カミーユは同じ言葉をなん度も繰り返しながら、自分で作った拳で自分自身を殴り続けている。
それが大きく動揺している自分を律する為の行為なのだろうという事はかろうじて理解できたが、当然、自分を簡単に傷つけ続けるその姿を放っておく事はできなかった。
私はすぐにカミーユへ距離を詰めると、丁度大きく振り上げられていた手を強く掴んだのだった。
***
「へ、ぁ……?」
冷や汗を浮かべながら、カミーユは困惑した声を漏らす。
突如として腕を掴まれた事、そして私に背後を取られていた事。
それらが想定外であると、その顔は告げていた。
カミーユは優れた騎士である事に加え、人より耳が良い。
ましてや私の接近に気付かないなどということはありえない。
そんな人物が今、ただの令嬢に不意をつかれたという事実こそが、カミーユの心の乱れの大きさを物語っていた。
「……やめなさい」
「ニ、コレット……さ、ま……?」
かたく握られていた拳から徐々に力が抜けていく。
カミーユは掴まれた自分の手と私の顔を交互に見て、それから遅れて口角を上げる。
「あ、ははは……」
その笑顔はあまりにぎこちがない。
取り乱した姿を見られ、それを誤魔化せる上手い言い訳も思いつかない。
そんな動揺や困惑、後ろめたさの中見つけた唯一の選択が、笑って誤魔化す事だったのだろう。
けれどそれすら、普段のカミーユの振る舞いに比べればあまりに陳腐で浅はかな選択でしかなかった。
青ざめ、冷や汗を浮かべる顔に、未だ続いている引き攣ったような呼吸と、掴んだ手から伝わる震え。
誰がどう見たって、これで問題がないと流す事はできない状況だ。
私は、上手く呼吸ができないまま肩を上下させて喘いでいるカミーユに手を伸ばし、その両頬を包み込むのだった。




