第122話 崩壊
カミーユと鉢合わせたウスターシュとドロテは、投げ掛けられた挨拶にすらまともに返事をしなかった。
「これはこれは。一体どんな色物かと思えば、まさか傷物だったとは」
「ちょっと、やだぁ」
代わりにウスターシュは鼻で笑い、ドロテもくすくすと声を上げる。
カミーユはヘラヘラとした笑みを崩すことなく、二人の話を聞き流していた。
直接的な侮辱を受けても表情一つ変えず、言い返す様子もないその反応は、ウスターシュにとってつまらないものに映ったのだろう。
「元から気に入らない奴だとは思っていたが、気色の悪さには一層拍車が掛かったようだ。ああ、でも物静かなところは分を弁えていると言えるのかもしれないな」
彼は鼻を鳴らしてそう吐き出した。
ウスターシュは値踏みするような視線でカミーユを見ている。
「初めからそうやって大人しくしておけばマシな人生を送れたかもしれないのになぁ。顔だけは悪くないんだから」
「あら、ウスターシュ様? お言葉ですけれどお顔が整っているだけで気に入られるというのでしたら、カミーユ様だってこんな所でおままごとなんてしていないでしょう?」
(……疲れるな)
押し黙っていても一向に話を止める気配がない二人の様子に、カミーユは嫌気が差してくる。
それでも溜息一つ吐かず、自身の本音を胸の奥に押し留めた。
この場で自分が怒りを露わにしても何も得られない事、寧ろ不快感を増幅させるだけだと言う事を理解していたのだ。
「ああ、確かに。それもそうか」
だからただ耐える。
ぺちゃくちゃとよく回る舌で話し続ける二人の気が済むのを。
しかし。
「先ほどの理屈が正しいのだとすれば、一度だけで捨てられる訳もないか」
わざと他者の琴線を探り当てようとするかのような言葉の数々。
その一つが、カミーユの心を大きく揺らした。
「そうですよぉ。どのような形であれ、カミーユ様と今こうしてお話しできているのが奇跡じゃありませんか」
沸々と煮えたぎるような感情を、カミーユは腹の底に押し留める。
それでも二人の前で感情を出さずに済んだのは、単なる意地であった。
「少しは他を見習えば……ああ、失礼、努力ではどうにもならない部分もあるものな」
ウスターシュがカミーユの顔から視線を落とす。
彼は実に様々な侮辱を尽くしたが、カミーユはそれら全てに眉一つすら動かさず、相槌一つ返さない。
「……本当につまらない奴だ。もういい、ドロテ、さっさと行こう」
「お待ちください、ウスターシュ様」
その場から離れようとしたウスターシュをドロテは止める。
そして彼女はカミーユの手を取ると、満面の笑みで告げる。
「私達、今度結婚しますの。勿論、式を挙げますから、お祝いに来ていただけますか?」
ドロテの言葉の真意が別にある事を悟ったのか、ウスターシュは瞬きを繰り返した後に大きく笑う。
カミーユは握られた手からドロテの顔へ視線を移し、相変わらず軽薄そうな笑みで答える。
「それはそれは! おめでとうございます〜。主人に確認してみますが、可能であれば是非お伺いさせて欲しいものですねぇ」
「ああ、よかった! ではまた後日、招待状をお送りいたしますね」
「は〜い。……と、わざわざすみません〜。一度去ろうとしていた所で足を止めていただき。ドナシアン辺境伯は先を急いでいるようですし、どうぞこちらの事は気にせず」
「どうもありがとうございます。……ウスターシュ、行きましょう」
「全く、お前という奴は」
ドロテはウスターシュと腕を組み直すと、移動を促す。
ウスターシュは最後にカミーユを一瞥してから、鼻で笑い、ドロテと共にその場を去っていった。
彼らの姿が廊下の曲がり角の中へ消えていくのを確認したカミーユは、自分に集まる周囲の視線に気付いた。
自分へ向けられる奇異の視線達へカミーユが目線を返せば、誰もが目を逸らした。
(気まずくなるくらいなら、もう少し上手く潜んで覗き見ればいいのに)
彼らに対する小言を心の内で述べてから、カミーユは馬車寄せへと向かって歩き出す。
いつも通りの笑顔で、足取りで、何事もないように進む。
しかし五分、十分と経ってもウスターシュ達と遭遇してから乱れ続けている鼓動が落ち着く事はなかった。
それどころか心臓の音はどんどんと大きく、激しくなっていく。
カミーユは屋外へと出る。
しかし出入り口付近や馬車寄せには人の気配があり、カミーユはそれを煩わしく思った。
カミーユは人の視線を避けるように、王宮の庭園へ向かう。
夜間の庭園の手前には警備が行き交っているものの、奥まった場所には人気がない。
庭園へ足を踏み入れ、周囲に人がいなくなったのを確認してから、カミーユはそれまで一定の速度を保っていた足を漸く早める。
少しでも遠く、人気のない場所へ姿を消そうと焦り、庭園の隅まで必死に駆ける。
そして生垣の影の先に飛び込んだカミーユは漸く足を止めた。
「〜〜〜っ、は、ぁ……っ」
(落ち着け、落ち着くんだ)
いつの間にか息を詰めていたせいで酸素が足りなくなり、カミーユは悲鳴のように鋭く息を吸った。
膝に手をつき、肩を上下させて呼吸を乱す。
(仕事に戻らないと。ジュリエンヌ様より先に馬車にいなければ心配をかけてしまう)
しかし呼吸が少し落ち着こうとも、心臓は未だ煩かった。
カミーユの優れた耳に、当人の心臓の音だけが大きく響き渡る。
まんまとウスターシュ達の思惑通りに乱された心と、思い通りに制御できない自分の感情にカミーユは大きな苛立ちを募らせる。
カミーユは拳を握ると、言い聞かせるように自分の胸を殴りつける。
「っ、煩い」
爆ぜそうな程に忙しない心臓。
自分が動揺していると思い知らされる程、過去の不快な記憶がカミーユの頭を埋め尽くしていった。
「止まれ」
胸を強く叩く。
収まらない。
「止まれ、止まれ」
耳障りな音への苛立ちをぶつける。
顔や体から冷や汗が噴き出し、過呼吸に陥っている事にすら、当人は気付いていなかった。
「止まれ、止まれ、止まれ、止まれ、止まれ、止まれ、止まれ……!」
強く激しく、けれどテンポだけは淡々と一定に、無理やり体にわからせようとするように自分を殴り続ける。
収まらない。
「っ、止ま――」
声が、震えた拍子に僅かに上ずる。
そして、拳を振り上げたその時だった。
乾いた音が響いた。
カミーユの振り上げた手を、別の手が掴んでいた。
驚き、見開かれた瞳がその手の持ち主を映す。
いつの間にかカミーユは両膝から地面に崩れ落ち、這いつくばるような姿勢になっていた。
だから、自分の手を掴んだ相手を見ようとすれば必然的に少し身を捻るような姿勢となる。
そしてカミーユの視界に入り込んだのは、黒髪の少女――ニコレットだった。
慌てて駆けつけたのか、彼女は髪も呼吸も乱し、汗を掻き、肩を上下させていた。
そうして姿を現したニコレットは、何か大きな感情に耐えるように顔を歪めて、カミーユを見つめていたのだった。




