第120話 狂い始めた歯車
会議終了後。
部屋にはヴィクトル、グザヴィエ、アンセルムが残ってた。
「言われた通り、カロラーレ王国には協力を求める文を送った。だが返事はやはり君が想定した通りのものだったよ。……ヴィー」
壁に凭れ掛かり、窓の外を眺めるヴィクトルへ、グザヴィエが話し掛ける。
ヴィクトルは小さく息を吐いた。
「レグリアスかソニストゥセ、どちらかの悪事に確証が持てるまでは中立を保つ……あちらからすれば妥当な判断でしょうね」
「レグリアスとしての言い分は、『『夢の香霞』を持ったソニストゥセの刺客が均衡を壊す為に乗り込んで来た』というものだが、ソニストゥセ側はレグリアスの国土に『夢の香霞』が存在するという事実を利用して『均衡を崩す目論みを持ったレグリアスによって『夢の香霞』が盗まれた』とも主張が出来る。……こちらは『夢の香霞』を持っているのが仮にも王族であるという事実の明言が避けたいという事もあり、充分な証拠も提示できない……というところだろうな」
グザヴィエはヴィクトルとアンセルムの言葉に耳を傾けながら冷めた紅茶を飲み干す。
彼は空になったカップをソーサーに戻した後も、持ち手に指を掛けたまま考えを巡らせていた。
「まあ、想定内さ。必要なのはカロラーレ側にも平和の終わりを示唆し、決して無関係ではいられないという危機感を持たせておく事。これでカロラーレも万が一に備えて動き出すだろうし、仮にソニストゥセが我が国へ侵攻してきた場合には、その事実を目の当たりにしたカロラーレがレグリアス側の後ろ盾となって戦ってくれるはずだ。あちらにとっても、三国間の均衡が崩れる事や、野心に駆られた国が手を付けられない程に力をつける事は避けたい事だろうしなぁ」
「だがそれでは、カロラーレが干渉するような展開が訪れた時というのは」
「――俺達が戦争を止められなかったという事になる」
ヴィクトルが窓の外から部屋の中へ視線を戻す。
薄暗い部屋の中、翡翠色の瞳が鋭さを帯びていた。
一方のアンセルムは、眼鏡の奥で憂えるように目を伏せた。
「そうなれば多くの犠牲が出るはずだ。これはあくまで、敗戦という最悪の状況を回避する為の切り札でしかない」
「大国同士の争い。それも我が国土を戦場とした防衛線だ。仮に敗戦が回避出来たとしても甚大な被害が予測される。それに、俺達の計画が失敗したとなれば……」
アンセルムの言葉は途中で途切れる。
二人の間には沈黙が流れた。
彼らの会話に耳を傾けていたグザヴィエは長い溜息を一つ吐いた。
「ヴィー」
「はい、殿下」
グザヴィエはカップから手を離し、ヴィクトルへ体を向ける。
「夕方の生徒会室。ニコレット嬢を庇ったのは何故だい」
学園から姿を消したニコレットが帰ってきた後。
グザヴィエは彼女の判断を肯定したが、ヴィクトルはそうではなかった。
だが彼はあの時点では既に、直前の会議で共有された話の内容の全てを把握していた。
故に、ラガルドの動向を探る事、怪しい動きを監視する事の選択の大切さも理解しているはずだった。
そもそもとして、幼少期から今日に至るまで、ニコレットはヴィクトルが最も信頼を置いている協力者であり、『剣術バカ』として振る舞い、必要な事を中々語らない彼の言動の真意を的確に見抜く貴重な人材だった。
それ故にこれまでも何度だってヴィクトルは王太子であるグザヴィエの為にニコレットを利用してきたはずだ。
にも拘らず、彼は今更『王宮直属の人間ではない』という理由でニコレットをグザヴィエや国の問題とは無関係であると遠ざけようとした。
そんな彼の『らしくない』行いに、グザヴィエはある懸念を抱いていた。
疑うような、警戒するような鋭い視線がヴィーへ向けられる。
しかし。
「簡単ですよ。『剣術バカのヴィクトル』ならそうするでしょう?」
ヴィクトルは一切動じることなく、あっさりとそう答えた。
何か深い意図があった訳ではないと話す彼の笑顔。
その裏に隠された本心をグザヴィエは一切汲むことが出来なかった。
「……そうかい。ならば私は当初の予定通り、彼女を最大限利用させてもらうが構わないね?」
「勿論。確かに俺は彼女を好意的に想っていますが、最も優先すべきは貴方様の御身です。俺は……王太子グザヴィエ殿下の騎士ですから」
アンセルムはそんな会話を繰り広げて見つめ合う二人の様子を眺めた後、視線を外して窓の外を見やる。
しかし彼が見ていたのは真っ暗な夜の景色などではなく、遥か昔――幼い頃の三人の記憶だった。
未来を憂える事もなく、ただ無邪気に、明るく駆け回った日々。
――今とは異なる景色。
(俺は、どうすべきなのだろうか)
この時、彼らが迎える未来について、最も正しく悟っていたのはアンセルムだった。
しかし彼ですらそれを明確に言語化する事は出来ず、『漠然とした不安』として抱えていた事。
そして、彼自身が自分の想いや考えよりも友を尊重する性格であった事から、それを口に出す事は出来なかった。
人生の大半を共に過ごしてきた者達の歯車は、少しずつ狂い始めていた。
それに気付き、悔やむ日が来るのは……まだ先の話。




