第118話 代価
「盗まれた薬品の行方を追う必要があるのは当然の事として、同じくらい重要な問題がある」
一呼吸置いてから、シャルル様はそう切り出した。
「グラファレの研究施設の守備だ。特にクレージュ男爵領の守りを強める必要がある」
「研究棟に保管されていたグラファレの花粉や、抽出された毒素は比較的僅からしい」
調査の結果など、恐らくは研究棟襲撃事件についてシャルル様の次に状況を把握しているグザヴィエ殿下が補足をする。
シャルル様はその言葉に首を縦に振った。
「あまりに大きな危険を孕んでいるからな。研究に必要な量だけを毎回クレージュ男爵領から取り寄せていた。裏を返せば――グラファレの生育条件を満たしているクレージュ男爵領には首都の何倍ものグラファレが存在するという事だ」
「何故、それ程の脅威を秘めた植物の危険性が公になっていないんですか。彼が叙爵された理由だって明言はされていなかったはずです」
「一つは、過度に民の不安を煽る可能性があったから。二つ目は民らの批判を集めたくない国の指示」
「当時の陛下と、重鎮らのお考えだろうね。そういう事は往々にしてあるものだ」
カミーユの疑問に、シャルル様とグザヴィエ殿下が答える。
更にシャルル様は声を低めて続けた。
「そして三つ目。現在、レグリアス王国内に野生のグラファレは存在していない。万が一見つけても、エドワールが確立させた適切な駆除工程を経て除去される」
「では、現在我が国に存在しているグラファレは全て、クレージュ男爵の管理下にあると?」
「ああ。国が用意した彼の研究施設、その地下で厳重に管理されているらしい」
投げ掛けた質問の回答に耳を傾けながらも、私は嫌な予感を感じていた。
それは、テレーズ先生の境遇を知っているからこその懸念だ。
「では、クレージュ男爵が『夢の香霞』によって洗脳されれば、あっという間に我が国は危機に晒される、と」
「ああ。おまけにグラファレの特性の問題もあって彼の領地はソニストゥセ王国の国境側にある。国境に近いレグリアスの領土で混乱を招き、生まれた隙をついて攻め入る……敵国がそんな作戦を考えたっておかしくはない。それに……『夢の香霞』に秘められた作用とラガルド殿下の性格を鑑みても、クレージュ男爵領及びそこの研究施設が狙われる可能性は高い」
『夢の香霞』の作用――これは、シャルル様が上げた二つ目の議題だった。
シャルル様は二つ目の紙束をテーブルの中央に置く。
そこには『夢の香霞』の写生がある。
「これは『夢の香霞』を実際に見たという、グザヴィエ殿下の部下が提供してくれた『夢の香霞』の写生だ」
シャルル様のいう、写生の提供者は十中八九ヴィーの事だろう。
当の本人は何も知らないような顔をしているどころか……場の空気を顧みない、大きな欠伸を披露している。
私はグザヴィエ殿下に足を蹴られるヴィーを横目で眺めてから視線をシャルル様へと戻した。
シャルル様の研究課題は古代魔法の調査。
それ故に彼から得られる情報には私が知り得ないようなものもあるだろうと踏んでいた。
「『夢の香霞』には洗脳や幻覚を見せる類の古代魔法が組み込まれている事は知っているだろう? 他の三魔法器も同じく規格外且つ、簡単に人類を害する効果を持つ。だが、どんな力にもそれに見合うだけの代価が発生するものだ」
「代価……」
「無尽蔵に扱える、最強の力なんてものは存在しないという事だ」
私の呟きを聞いたシャルル様がこちらを見る。
……胸騒ぎがした。
その違和感の正体を私が自分で言語化できるようになるのを待たずして、シャルル様の話は続いていく。
「そして、『夢の香霞』に存在する代価。それは……」
シャルル様の声が耳の裏側にこびりつくように、やけに大きく聞こえる。
彼は深く息を吸ってから結論を述べた。
「――寿命だ」
その言葉を聞いた途端、私の脳裏を過ったのは今日のラガルド殿下の姿だった。
いつも通り不敵に笑い、尊大で傲慢に振る舞い、かと思えば見せた事もないような無邪気さや、どこか切なげな微笑を見せる――そんな彼との時間の記憶が鮮明に過った。
「『夢の香霞』は魔力とは別に、使用者の寿命を削る事で魔法を成立させる。オレがグザヴィエ殿下やアンセルム様から事前に伺った話や、今把握できている『夢の香霞』の影響を受けたと考えられる被害者の数だけでも、人によっては命を落としていたっておかしくはない程だ。それでも彼が生きているのは、魔力保有量が常人より多いからだろう」
「でも、今日彼と接触した時ですら、不調なんて微塵も感じず、普段通りにしか見せませんでした。彼の警戒心の強さなら、『夢の香霞』を他者に預けたりなんてしないはず……」
「本当に見ていないのか」
私は自分が抱いた疑問を素直に述べる。
しかしそれに対し、シャルル様は怪訝そうな顔をした。
「彼が『夢の香霞』の作用に蝕まれている事。それに気付ける者がいるとすればヴィクトルか君くらいだ。君達には他者に比べて、ある程度心を許していたらしいからな」
「俺は特に気になるような事は」
シャルル様の問いに、ヴィーは即答する。
私もそれに乗じて答えようとした。
「私も――」
しかし次の瞬間、ある光景が過る。
裏庭へ姿を消すラガルド殿下。
誰もいない場所で咳き込んだ彼の手は赤く汚れていて――
「……あ」
鼓動が跳ねる。
血糊だと不敵に笑った彼の言葉。
何故それを私は鵜呑みにしてしまったのだろう。
彼の吐いた嘘に気付いた瞬間、頭を強く殴られたような衝撃を覚えたのだった。




