第103話 大雨の中で
「さて、何について占おうか」
私達が水晶の前に着くと、老婆が声を掛ける。
「指定がなければどうなる?」
「そうさなぁ。であれば……二人の恋路について見てやろう」
「こ……っ」
ラガルド殿下の問いへ対する老婆の言葉に不意を衝かれた私は思わず咳き込んでしまう。
男女が二人で歩いている訳だから、確かに占い師の老婆が勘違いをしてしまうのも仕方のない状況ではあったのだが。
私と同様にラガルド殿下も驚いたように目を見開いたが、彼は何故かどこか機嫌良さそうに笑みを深める。
「面白い。ならそれで」
「ちょ、ちょっと」
恋仲という体で話を進めるラガルド殿下を睨むも、彼はそんな私の反応すら愉快そうに見つめ返すだけで、老婆の勘違いを訂正する様子もない。
「別に慌てるような事はないだろう? 折角楽しむのなら、勧めに乗るのも悪くはない。……彼女の占いはどうやらよく当たるらしいしな?」
私達を恋仲だと仮置いた時点で見当違いな為、何を占おうが当たる訳もないのだが。
それをわかった上で彼は楽しんでいるようなのだから、質が悪いと思った。
とはいえ彼の性格が悪い事は残念ながら今に始まった事ではない。
そもそも私に彼の提案や希望を突っぱねる権利もないのだから、結局は頷くほかないのだ。
「……分かりました。お好きにどうぞ」
「という訳だ。頼んだ」
老婆はラガルド殿下の言葉に頷くと近くに備えていた鈴を鳴らし、カードを数枚場に出してから水晶を興味深く観察する。
……私の目からは何の変化も窺えないのだが、彼女は何かが見えているかのように目を見開き、何度も頷きを返していた。
「ほうほう。なるほど」
彼女の様子には、ラガルド殿下は怪訝そうな顔をしている。
一方の老婆は、私達の疑いの視線には気付いた様子もなく、暫くしてから満足そうに笑みを深めた。
「見えた。見えたぞ」
「……本当か? どう考えても胡散臭……」
「殿下」
老婆に聞こえないよう、私は小さな声でラガルド殿下へ耳打ちをする。
彼が抱いた感想には概ね同意だが、当人の前で述べる事ではない。
「お前達の未来は非常に晴れやかなものになるだろう。安心して関係を深めるが良い」
「晴れやか、ねぇ。どこまで信じられるのやら」
「何を言う。私の占いはよく当たるんだ。これから先、お前達に暗雲が垂れ込める事はないだろう」
非常に自信に満ちた語気で語る彼女は更に私達の現状の良好な関係(この時点で占いが当たっているとは到底思えないが、その事については目を瞑る事にした)が最大限深まる為の助言をいくつか残した後に占いによる対価を求めた。
ラガルド殿下がそれに応えるように金銭を支払い、私達は満足そうに笑みを深めている老婆と別れを告げてその場を後にする。
「彼女の言葉では、僕達の関係は極めて良好なものらしいが?」
「は、ははは」
「せめて喜ぶフリくらいしないか」
「そんなもの、殿下にはすぐ見透かされてしまうでしょう。それに、婚約者がいる私をこれ以上尻軽にでもしたいのですか」
「残念だな。後でヴィクトルの奴に自慢してやろうと思ったのに」
「勘弁してください」
どちらかといえば敵対する立場にある現状の関係と占いの結果の乖離に私は引きつった笑みを返す事しか出来ない。
私達は軽口を交わしながら馬車へと向かう。
そんな折だった。
滝のような水が私達の頭上に降り注いだ。
本当に突然の事だった。
いつの間にか分厚い空で覆われた空は突如として大粒の雨を落としたのだ。
視界が悪くなる程の土砂降りの中、あっという間に私達はびしょ濡れとなる。
「全く。先程まで降る様子もなかった癖に……おい、こっちへ来い」
ラガルド殿下はげんなりとした様子で溜息を吐いた後、私の手を取って走り出した。
彼はすぐ近くの建物ではなく、暫し雨と焦って走り出す人々の間を走ってからある建物の屋根の下へ飛び込んだ。
視界が悪かった事もあってか、少し離れて私達を見守っていたラガルド殿下の護衛達とは逸れてしまったようだった。
一方で、いつの間にやら庶民に扮した服装に着替えていたカミーユが、一定の距離を空けた先でちゃっかりと雨宿りをする一般人のふりをしながら、難なく尾行を継続している姿が確認できた。
日頃軽薄な振る舞いが目立つ人物ではあるが、自分に与えられた役割をしっかりと熟す姿にはジュリエンヌ様の護衛として認められている優秀さの片鱗を感じる。
さて、そんなこんなで近くには私とラガルド殿下しかいない現状だ。
「こういう時の雨は少し待てば止むだろう」
「そうですね。護衛とも逸れてしまいましたし、少し待ちましょうか」
私達はそれぞれ数分間口を閉ざして空を見上げたり、雨の勢いを確認したりと時間を過ごす。
そんな最中の事だった。
げんなりとした様子で濡れた髪を掻き上げていたラガルド殿下は不意にくつくつと喉奥で笑いだした。
「ラガルド殿下?」
「……クッ、ふふ……ハハハッ!」
初めは控えめだった笑い声は徐々に明るく大きいものとなり、やがて彼は腹を抱えて笑い出した。
これまで意地の悪い微笑みは幾度となく目の当たりにしてきたが、こんな風に大きく笑う彼の姿を見るのは初めてだった。
「何が『晴れやかな未来になるだろう』だ。あのインチキ占い師め」
笑い過ぎて目尻に溜まった涙を指で掬いながら、彼は無邪気な笑顔を浮かべて私を見る。
「お前もそう思うだろ? ニコレット」
いつもとは異なるラガルド殿下の意外な一面と、整った容姿に浮かべられた無垢で輝かしい笑顔に、私は思わず息を呑み、目を奪われるのだった。




