第102話 非合理的
少年と共に暫く待っていると、パン屋からラガルド殿下が姿を見せた。
彼は不機嫌そうな顔でバゲットが入った袋を抱えている。
「この僕を顎で使うとは、本当にどこまでも図々しい奴だな」
「ありがとうございます」
ラガルド殿下から差し出された袋を受け取った私は、少年が持つカビたバゲットを取り上げ、代わりに新しいものを持たせた。
「いい? 今回が特別なだけ。次はないし、下手をすれば命すら危うくなるという事を覚えておいて」
私のこの行いのせいで、この少年が『盗みを働けば他者から慈悲をかけてもらえる』という認識を持ってしまう事だけは治安の為や彼自身の為にも避けたかった。
彼が誤った認識を抱けば堂々とした犯行が増えたり、同じ考えを持つ者が増えたりしかねない。
また彼のような境遇の者の命は軽んじられるもので、被害者側からの暴行によって命を落とす事も珍しくはない。
たとえ盗みを働く事でしか生きていけない環境にあるのだとしても、それが本来許される事ではないという危機感は今後も抱かせておく必要があった。
少年はすり替えられた新しいバゲットを不思議そうに見つめた後、無言で私を睨んだ。
バゲットを取り返される事を警戒しているのか、彼は両手でそれをしっかりと抱えるとじりじりと後退りを始める。
そして私との距離が充分に開いた、次の瞬間。
彼は背を向け、あっという間にその場から走り去ったのだった。
私は小さく頼りない背中が遠ざかるのを静かに見送る。
「感謝の言葉一つないどころか、あんな恩知らずな態度を取られるなんてな」
「必要ありません。別に求めている訳でもありませんから」
ラガルド殿下が私の隣に並び、顔を顰める。
彼の視線は、怪訝そうに私へ向けられていた。
「ああいった立場の者は数え切れない程存在する。偶然目に留まった者に手を指し伸ばそうが、その環境が変わる訳ではないだろう」
「勿論、分かっています。彼自身、あのパンがなくなればまた同じことをするだろうという事も」
「では」
何故、と続きかけた彼へ私は笑みを返す。
ラガルド殿下は言葉を呑み、意外そうに目を丸くした。
「自己満足ですよ。ただの」
私は広い通りへの移動を促すように足を進めつつ、彼の疑問に答える。
「目の前で幼い子供が手を上げられる瞬間を見るのも、その瞬間を避ける手段を持っていながら目を逸らすのも、寝覚めが悪そうだと思った。それだけです」
「非合理的だな」
「ご存じなかったのですか? 私の本質は感情的な方ですよ」
元の通りまで戻って来た頃。
日は傾いており、分厚い雲の隙間から見える空は橙に染まっていた。
「また、私という人間の事が伝わってしまいましたね」
挑発めいた笑みを向ければ、彼は数度の瞬きの後に愉快そうに鼻で笑った。
「因みに、殿下も似たようなものだと私は認識しておりますよ。私をこうして外へ連れまわす点や、日常的な関わり等」
私へ接する時の彼の動力は愉悦だろう。
自分の立場だけを鑑みるのであれば、あまり利点がないといえる私への接触。それは彼が面白さを追究する感情に従った結果といえるだろう。
その指摘が意外だったのか、彼は顎を撫でて考える素振りを見せた後、眉根を寄せ、わざとらしく不満そうな顔を作った。
「浅はかで考えなしだと? それは、王族である僕への冒涜と捉えるが」
「勘弁してください」
くつくつと喉から笑う気配がある。
ラガルド殿下は機嫌良さげに口角を上げ、道を先導し始める。
馬車を停めている方角だ。
どうやら気が済んだらしい彼は、日が沈んでまで私を連れ回すつもりはないらしい。
私はその事に少し安堵しながら彼の後に続いた。
馬車へ向かう最中の事。
「もし、そちらのお嬢さん」
道の隅に簡易的なテーブルと椅子を並べて陣取っている老婆が私へ声を掛けた。
テーブルの上には意味深長に大きなガラスの球体が置かれており、その周りにはタロットカードの山や、呪具が並んでいる。
どこからどう見ても占いを商売にしている店だという事が分かった。
「少し、未来を見ていかないかい」
「えっと」
「うちの占いは良く当たるんだ。さあ、物は試しに」
遠くで見張っているだろうカミーユや、私が学園を抜け出した事に気付いているだろうジュリエンヌ様達の為にも出来るだけ早く帰路に就き、状況を報告したいと考えていた私はこれを断ろうとした。
しかし意外にも、私の隣に立つラガルド殿下が老婆や彼女が構える店に興味を示した。
「占い……何の根拠もない、思い込みや暗示の類か」
それを生業としているものの前で口にするにはあまりにも配慮のない言葉だ。
私は老婆が気を悪くしないかと焦る。
このまま長居すれば、ラガルド殿下による失言が更に増えそうであった。
故に彼女を刺激してしまう前いと、私はこの場を離れる提案を試みる。
しかしそれよりも先。
ラガルド殿下は何故か、空いていた椅子を引くと堂々と腰を下ろした。
「で、でん……」
殿下、と呼びそうになる言葉を飲み込みつつも目を剥いて彼を見やれば、ラガルド殿下は笑みを深めながら私へ振り向く。
「まあ一度くらい。予言を謳う輩の手並みを見るのも悪くはないだろう」
「え、えぇ……?」
ラガルド殿下はこういった類の物は馬鹿馬鹿しいと一蹴するものとばかり思っていたが、それは勘違いだったらしい。
口ぶりから察するに、どうやら彼は占いを経験したことがないらしく、それ故に興味を持ったらしい。
私はラガルド殿下に促されるがまま、彼の隣に立った。
どうやら、私の帰還はもう少し先の事になりそうだ。
先週から体調を崩していた関係で更新が遅くなってしまいました……;;
事前に連絡も出来ず申し訳ございませんでした。
次回以降はまた予定通りの更新を予定しております。
引き続き、何卒よろしくお願いいたします!




