第101話 顎で使われる
私達は屋台を回り、広場で行われている大道芸を眺め、行き当たりばったりに街を歩いた。
他愛もない話を交えながら過ごす時間に対し、ラガルド殿下は少なくとも気を悪くはしていないようであった。
そしていつの間にか夕刻が近づいていた頃。
「この盗人が!」
怒号が路地から飛び出した。
驚いてそちらへ視線を向ければ、ボロボロの姿の少年が男性に腕を掴まれていた。
男性がエプロンをしており、傍の店がパン屋であった事、また少年がカビの生えたパンを抱えていた事から、私はある程度の状況を理解した。
男性はパン屋の店主なのだろう。
恐らくは、廃棄のパンをゴミ捨てから漁る少年の姿を偶然見つけた店主がそれを捕まえた、といった状況だろうと私は悟った。
ゴミを漁られれば店の傍にゴミが散らばり、ネズミや虫が湧くほか、一度でも盗みを許せば常習化したり、別の貧困者が同様の手口で集まる原因となる。
治安や清潔感が整えられなければ、客商売はたちまち立ち行かなくなるものだ。
たかだか廃棄物だろうと見逃すわけにもいかない現実の中、店主の怒りは尤もであった。
残念ながら、大きな街であればあるほど、貧富の格差は顕著に現れるものだ。
婚約者の誕生日を選ぶべく、共に街を歩いたアンセルム様の言葉や表情を思い出しながら、私は気持ちが沈んでいくのを感じる。
私に出来る事など高が知れており、自己満足や余裕ある者の偽善として終わる事が殆どである事も理解している。
けれど、目の前の光景を見て見ぬふりする事など、私には出来そうにもなかった。
「この……っ!」
店主が腕を大きく振り上げる。
それを見た私は、騒ぎの方へと駆け寄った。
「な、おい……っ」
制止の声と共に、ラガルド殿下が遅れて後をついて来るのを感じた。
「もし、そちらのお方」
「は……?」
私は店主へ声を掛ける。
振り向いた店主は、私やラガルド殿下を見て目を剥いた。
私達の身なりは随分と上質なもので、庶民向けのパンを売る店が立ち並ぶ今の区域では少々浮いている装いをしていた。
だからこそパン屋の店主も、私達が高貴な身分の者である事はすぐに理解したのだろう。
険しい顔をしていた彼は途端に困惑と焦りを滲ませる。
「な、何か御用でしょうか」
「ごめんなさい。大きな声が聞こえたものだから、一体どうしたのかと思って」
「ああ、何、大したことではありませんよ。こいつが、店のものを盗んだものですからとっ捕まえていたのです。驚かせてしまいすみません」
「そうですか」
へりくだり、機嫌を取るように作り笑いを浮かべる店主の言葉を聞きながら、私は少年へ視線を向ける。
ただ布切れのような、薄汚れ、所々破れている衣服を身に纏う少年。
彼の手足は枝のようで、頬は酷くこけていた。
そんな彼を哀れだと思ってしまうのは、私が余裕のある生活を出来ている立場であるからに他ならないのだろう。
私は自分の愚かさを悟り、内心で自嘲しながら、店主へ向き直る。
「おいくら?」
「……はい?」
「そのパンは、おいくらですか?」
「へ、へぇ……」
少年の持つパンを指した私の問いに店主が呆ける。
それに痺れを切らしたのか、ぶっきらぼうで威圧的な声が後方から飛んできた。
「金額を聞いているんだ。さっさと答えろ」
「ひ……っ、い、いや、こちらは廃棄のものですから、売り物ではありませんし……お客様に提供するようなものでは」
ラガルド殿下の声に委縮してしまった店主が早口で返答する。
下手に怖がらせる事がないようにと、私が視線でラガルド殿下に訴えれば、彼は「何だ、その顔は」と非常に不服そうな様子を見せた。
「では、通常であればおいくらなのでしょうか」
「え、ええっとですね」
向き直り、店主からパンの金額を聞く。
一般的なパンの相場と同程度の金額だ。
「ではそれをお一ついただけますか? 料金はこちらで」
私は自分の所持金から二つ分のパンの金額を支払う。
それを受け取った店主は目を丸くした。
「えっと、これでは金額が」
「それは、その子の分です。……大変申し訳ないお願いなのですが、今回だけ、どうか見逃してあげてはいただけませんか」
廃棄されていたパンを買い取るという申し出、また地位があると見られる者からの申し出。
店主の立場からすれば無下にすることも出来ないものだろう。
「わ、わかりました……。お客様がおっしゃるのでしたら」
「申し訳ございません。ありがとうございます」
店主が頷き、少年から手を離す。
自由になった少年はすぐさまその場から逃げようと背を向けた。
私はそんな彼の手を掴んで止め、にっこりと笑みを浮かべる。
「もう少し待ちなさい。でん……」
私はうっかりラガルド殿下を敬称で呼んでしまいそうになり、口を噤む。
それを悟ったのか、ラガルド殿下は物言いたげに眉根を寄せながらも返事をした。
「何だ」
私は店主の顔色を窺い、彼の正体に気付いていない事を確認してから、満面の笑みを浮かべた。
「私の代わりに、パンを受け取って来ていただけませんか?」
勿論、分不相応な立場な事は理解している。
しかしこれまでの彼の言動や、今日、共に過ごした時間から鑑みて、何だかんだで、彼はこの頼みを断らないのだろうと踏んでいた。
それと、ちょっとした意趣返し……小さな意地悪の意図もあった。
学園からの脱走といい、彼には何度も振り回されているのだ。
多少彼を翻弄したところで文句を言われる筋合いはない。
それに、彼が不意をつかれて驚く様子には私個人としても興味があった。
王族であるラガルド殿下は勿論、こんな風に誰かに扱われる事などないだろう。
案の定、ラガルド殿下は目を剥き、何を言われたのか分からないといったように呆けてから
「…………はぁっ!?」
随分素っ頓狂な、大きな声を上げたのだった。




