舞台ごと壊せ
「舞台ごと壊す?」
ミラの声は低かった。
驚いているのに、音だけは平らだ。
透は親玉から目を切らずに答えた。
「はい。こいつ、本体だけじゃなくて、ここ全体を使って正面を作ってます」
制御円の縁。
黒い筋。
床の継ぎ目。
砕けた観測盤。
まだ生きている公式固定カメラの赤いランプ。
全部が、中央の縦長の赤へ薄く繋がっている。
親玉は、ただ見られて育つだけじゃない。
見られる位置そのものを支配している。
だから、顔を捨てても足りない。
舞台が残っている限り、向こうがこちらを強制的にセンターへ押し戻してくる。
「軸が三つあります」
透は低く言った。
「縁の黒い筋が濃いところ。あれを折れば、回転が死にます」
ミラは半身のまま、視線だけを走らせる。
「順番」
「右、左、最後が中央寄り。一番近いのから潰します」
「最後が一番面倒そうね」
「はい」
「雑」
「でも正しいです」
親玉の縦長の赤が、そこでゆっくり細くなる。
聞かれている。
意味までは分からなくても、流れが変わったことだけは察している。
その皮膜の裏の小さい赤が、一斉に開いた。
来る。
「右から三つ」
透が言うより早く、ミラはもう動いていた。
正面を切らない。
身体を開かない。
顔を上げない。
さっきまでなら見せ場になった踏み込みを、全部捨てている。
低い。
短い。
殺すためだけの泥臭い動きだ。
最初の触手が来る。
上。
二本目は横。
三本目は足元を刈る。
透はカメラを落とした。
親玉の顔を切る。
床だけを拾う。
黒い筋が縁へ集まる位置、その一点だけをフレームの中心へ置く。
「上は捨てて、下だけ」
ミラの剣が低く走る。
三本目の先端が飛ぶ。
上から来た二本は空を切る。
「右、半歩」
ミラが滑る。
触手が観測盤の残骸へ刺さる。
そこへ白い刃が返る。
一つ目の軸が見えた。
床に埋まっている。
杭というより、黒い筋が集まって盛り上がった節だ。
人間の脈みたいに、どくどくとゆっくり明滅している。
「今」
ミラの刃が落ちる。
硬い音がした。
石でも金属でもない。
濡れた骨を断つような嫌な音だった。
黒い節が割れる。
その瞬間、制御円の回転が一拍だけガクンと止まった。
コメント欄が跳ねる。
『今何壊した?』
『床?』
『敵じゃなくて舞台殴った?』
『え、揺れた』
『なんか止まったぞ』
中央の赤が、初めて明確に揺れた。
効いている。
「一つ」
透が言う。
「次、左」
「分かってる」
親玉が、そこで初めて怒った。
声じゃない。
空気だ。
制御円の中央から、圧だけが膨らむ。
見られたい欲が、そのまま物理的な圧力になって押してくる。
立ち位置をずらされる。
三歩後ろの距離が、じわりと狂う。
透はすぐに右足を半歩引いた。
引いたと同時に、カメラの角度も落とす。
「ミラ、左の残骸の影へ」
「もう行ってる」
本当に、もう行っていた。
白い刃が低く走る。
親玉の視線が追う。
追うが、顔がない。
半身のまま。
刃と足しか映らない。
熱が跳ね切らない。
そこへ透がドローンを切った。
高く上げない。
床すれすれ。
左の観測盤の下へ潜らせる。
羽音だけを、割れた盤面の裏で激しく反響させる。
皮膜の内側の小さい赤が、そちらを向く。
「止まって」
ミラが止まる。
半拍。
触手がその前を空振りで抜ける。
「今」
白い刃が観測盤の下へ滑り込む。
二つ目の軸が裂けた。
今度は音のあとで、はっきり床が沈んだ。
制御円の左半分だけが、ほんの少し低く落ちる。
コメントがさらに荒れる。
『床落ちた』
『ギミック破壊してる?』
『これ攻略じゃん』
『親玉見せろって言ってんだろ』
『いや今の方が面白い』
最後の一行だけが、透の耳に残った。
今の方が面白い。
熱狂じゃない。
攻略に対する理解だ。
理解の熱は、敵の育ちを遅くする。
透は息を短く吐く。
「あと一つです」
「その一つが一番嫌なのよね」
最後の軸は、中央寄り。
親玉の真正面に近い。
顔を隠しながら近づくには、距離が足りない。
しかも、親玉ももう学んでいる。
縦長の赤が、今度は透のカメラじゃなく、ミラと透の距離そのものを見始めた。
三歩。
その命綱の線を読まれる。
嫌な汗が首の後ろへ滲む。
「……バレた」
「何が」
「三歩です」
ミラはそれで分かったらしい。
返事をしなかった。
代わりに、剣先がほんの少しだけ下がる。
いつでも前へ飛び出せる形。
でも、まだ出ない。
透の言葉を待っている。
親玉の皮膜が開く。
今までで一番大きく。
小さい赤たちが、透の立ち位置へ一斉に向く。
狙いはミラじゃない。
先に透をずらして、支える距離ごと壊す気だ。
透はカメラを下げなかった。
「ミラ」
「何」
「俺を捨てて、中央の軸だけ取ってください」
一瞬だけ、空気が凍る。
「却下」
即答だった。
「話が早いですね」
「当たり前でしょ」
親玉の触手が、今度は透の方へ真っ直ぐ伸びる。
一本。
二本。
遅れて三本。
透はそこで初めて、自分から前へ出た。
三歩後ろの安全圏を捨てる。
一歩だけ前へ。
カメラを片手で庇い、補助灯を逆手に持つ。
ミラが悲鳴に近い声で怒鳴る。
「何してるの!」
「軸、見えました!」
中央寄りの床。
親玉の真下。
黒い筋が一点へ集まっている。
最後の節。
あれだ。
触手が来る。
速い。
透はためらいなく、補助灯を床へ叩きつけた。
光じゃない。
衝撃でレンズごと砕け散る。
そこに微風魔法を限界まで混ぜ込む。
白い粉塵とガラス片が、親玉の真正面に爆発的に広がる。
物理的な目眩ましだった。
コメント欄が一瞬だけ乱れた。
『何?』
『真っ白』
『見えん』
『切れた?』
熱が割れる。
親玉の縦長の赤が、粉塵に遮られ、ほんの半拍だけ視線を失う。
「今!」
ミラが飛ぶ。
綺麗じゃない。
剣舞でもない。
右肩からぶつかるみたいに入る。
体重ごと中央へ叩き込み、白い刃を真下へ突き立てる。
最後の軸が割れた。
今度は音がなかった。
音より先に、制御円そのものが死んだ。
回転が止まる。
床のずれが止まる。
空気の圧だけが一瞬遅れて抜ける。
そして次の瞬間、中央の黒い穴が舞台ごと大きく沈んだ。
「下がって!」
透が叫ぶ。
ミラが即座に退く。
透も後ろへ飛ぶ。
制御円の中心が、すり鉢状に崩落した。
親玉の皮膜が傾く。
今まで、自分が主役になる角度だけを探していた巨大な生き物が、初めて自分の重さを支え損ねる。
縦長の赤が、大きく見開かれる。
落ちる。
いや、落ち切らない。
穴の縁に皮膜の一部を引っかけて、半分だけ沈んだままこちらを見ている。
でも、もう違った。
さっきまでみたいに、センターへ寄ってこない。
舞台を失ったせいで、正面を作れない。
コメント欄が爆発する。
『落ちた!?』
『舞台壊した』
『えぐ』
『今の何した』
『親玉、縮んでない?』
透はそこで、初めて親玉の輪郭を正面から見た。
確かに、小さい。
見られて育っていた輪郭が、見られる舞台を失ったぶんだけ急激に萎んでいる。
まだ強い。
まだ終わらない。
でも、勝ち筋ははっきりした。
ミラが息を切らしたまま言う。
「……壊れたわよ」
「はい」
「ほんとに舞台ごとやった」
「はい」
「最悪」
その声の底に、少しだけ笑いが混じる。
透はカメラを上げ直した。
もう一度、三歩下がる。
今度は床がずれない。
位置が固定される。
支える距離が戻る。
そのことに、透は少しだけ安堵した。
だが、その安堵は長く続かなかった。
崩れた穴の底。
崩落した舞台の下。
そこに、別の赤がある。
縦長じゃない。
小さい。
丸い。
そして、今までで一番深く、血のように暗い色をしていた。
さっきまで親玉だと思っていた巨大な方が、それを庇うように身を丸め、痙攣している。
透の喉が、静かに、そして芯から冷え切った。
「……ミラ」
「何」
「親玉、違います」
ミラの息が止まる気配がした。
崩れた舞台の下で、本当に見られてはいけなかったものが、ゆっくりと目を開こうとしていた。




