顔を捨てろ
中央へ入った瞬間、親玉は喜んだ。
そう見えた。
縦長の赤が、こちらを見つけた瞬間にわずかに細くなる。
細くなって、それから開く。
笑った、に近い動きだった。
気持ちが悪い。
透はカメラを上げたまま、親玉の顔を意図的に画面の外へ追い出した。
映すのは、制御円の縁。割れた床。そこへ伸びる黒い筋。ミラの足首。剣の白い線。
「顔、捨てます」
ミラが前を向いたまま言う。
「もう聞いた」
「今度は完全にです。あなたの顔も、あれの顔も、どっちも要りません」
「配信者に対する侮辱としては満点ね」
「死ぬよりましです」
「最近そればっかり」
それでも、声の温度はもう拒絶じゃなかった。
中央制御円の縁へ入る。
床の高さが変わる。半歩ぶん沈む。
そこで空気の流れまで変わった。
重い。
さっきより一段、肺に貼りつく。
親玉の真下に入ったせいじゃない。円そのものが、視線の集まる舞台になっている。
ここに立つだけで、配信の中心へ固定されるような圧がある。
透は露光をさらに落とした。
画面が暗くなる。ミラの黒いジャケットが背景の闇に半分沈む。代わりに刃の白さと足場の灰色だけが浮く。
コメント欄が荒れる。
『暗すぎ』
『何も見えん』
『顔映せって』
『敵どこだよ』
『演出か?』
『いや情報は増えてる』
その流速だけを見る。
跳ねる。だが、さっきまでみたいな熱狂の跳ね方じゃない。苛立ちと集中が混ざっている。
親玉の赤は、確かに大きい。でも爆ぜるようには膨らまない。
効いている。
「ミラ」
「何」
「正面に立たないでください。ずっと半身で」
「剣士に対する侮辱の満点更新した?」
「今は記録狙ってません」
「最低」
でも、ミラは言われた通りに構えを変えた。
真正面から斬り結ぶ構えじゃない。左肩を前に出して、顔を半分だけ隠す。見せ場のための形を捨てて、ただ生き残って殺すことにだけ寄せた実戦の形。
その瞬間、親玉の縦長の瞳孔が揺れた。
餌が減った、と理解した動きだ。
透はそこを見逃さなかった。
「いけます」
「その一言で済ませるの、ほんと腹立つ」
中央の黒い穴の縁から、細い脚が伸びた。
さっきまでの外周の目玉とは違う。長い。節が多い。しかも先端に小さい赤がついている。
親玉の手だ。
いや、手というより、視線を運ぶための触手だった。
一本。二本。遅れて三本目。
全部、ミラの正面へ出ようとする。こちらが正面に立たないなら、あちらから強引に「正面の画」を作りに来る気だ。
「右一本、捨てて。左二本だけ」
ミラが刃を低く引く。正面を取らない。右の一本を完全に無視して、左へ半歩詰める。
透はその右一本へ補助灯の白線を流した。光じゃない。線だけ。床の割れ目から壁へ抜く。
先端の赤が、そちらへ釣られる。
「今」
ミラの剣が左二本をまとめて断つ。
切れた先端が床へ落ち、赤い目が一瞬だけ大きくなる。
透はすぐにフレームをずらした。見せない。落ちた死骸に意味を与えない。
「死骸、拾いません」
「今日はほんと徹底してるわね」
「拾ったら育つので」
「配信やめた方が早くない?」
「今さらです」
三本目が来る。今度は低く。足首を刈る高さだ。
透はドローンを落とした。上げるんじゃない。床すれすれまで落として、制御円の縁にぶつかる寸前で切り返す。
羽音が、円の内側を這うように一周する。
親玉の先端の赤が、一瞬だけその音へ引っ張られる。
「止まって」
ミラが止まる。
半拍。触手が空を切る。
「今」
白い刃が返る。三本目も落ちる。
コメントの流れが変わる。
『何してんのこれ』
『止まったのに避けてる』
『敵の視線を切ってる?』
『カメラマンの声で形変わってない?』
『これもう指示じゃん』
透はコメントを読まない。
でも、その温度変化だけは拾う。
観客が見た目じゃなく、仕組みを追い始めている。
熱狂が少し、理解に変わる。
その変化が一番大きい。派手さは減る。だが、親玉の育ちはさらに鈍る。
勝ち筋が見える。
「ミラ、次は中央の縁を時計回りに」
「理由」
「こいつ、真正面を欲しがってます。こっちが回れば、向こうが正面を作るぶんだけ遅れる」
「面倒」
「知ってます」
ミラが半身のまま動く。制御円の縁を滑るように。
白い刃は低い。高く振らない。顔も見せない。
透はそれを、顔のない画として撮る。
足。床。切先。跳ねる灰色。途切れる赤。
配信画面としては、不親切だった。
でも、戦術としては完全に正しい。
親玉の目が、焦れたみたいに細くなる。
そして初めて、穴の底から巨大な身体を持ち上げた。
目だけじゃなかった。
縦長の赤を中心にして、その周りに薄い皮膜が何重にも張っている。皮膜の裏に、小さい赤がいくつも埋まっている。子機みたいな目。見られるための器官を、身体の表面に何層も並べている。
しかも、その皮膜がこちらへ向くたび、画面のど真ん中へ寄ろうとする。
まるで、自分が“主役に見える角度”を本能で知っているみたいに。
透の喉が冷える。
「……こいつ、画角を読んでる」
ミラが低く返す。
「本当に最悪ね」
親玉の皮膜が開く。開いた内側の小さい赤たちが、一斉にこちらを向く。
コメントが爆発する。
『うわああ』
『キモ』
『親玉全身見せろ』
『何その形』
『うわ無理』
同接が跳ねる。それと同時に、親玉の輪郭が一気に濃くなる。
透は即座にカメラを振った。親玉を切る。床へ落とす。制御円の縁へ戻す。
でも遅い。
もう熱が入った。
親玉の皮膜の内側から、さらに別の目が開き始める。
増えている。見られたぶんだけ、器官が増殖している。
「ミラ」
「分かってる!」
ミラが初めて大きく踏み込んだ。
でも綺麗じゃない。右肩から泥臭く体当たりするみたいに入る。剣を水平に荒々しく払って、親玉の皮膜の一枚だけを強引に剥がす。
赤い汁みたいなものが飛ぶ。
飛んだが、透は追わない。追って映したら負ける。
「左へ!」
ミラが即座に左へ切る。親玉の視線が、その一歩遅れで追う。
遅れた。今だ。
「もう一枚!」
白い刃。皮膜が裂ける。内側の小さい赤が二つ潰れる。
親玉が、初めて声らしいものを出した。
鳴き声じゃない。マイクのハウリングみたいな、高くて嫌な音。耳の内側に直接入ってくる。
コメントが乱れる。
『音やば』
『うるさ』
『切れた?』
『画が揺れた』
『誰か喋れ』
透はそこで、逆に少しだけ息を吐いた。
いい。音が荒れれば、観客の熱は割れる。熱が割れれば、育ちも一枚遅れる。
「ミラ、次、顔の真正面だけ避けてください」
「どこまで注文増えるのよ」
「まだ増えます」
「知ってる」
その返しの瞬間、親玉の縦長の赤がぐるりと回った。
おかしい。目だけじゃない。
制御円そのものが、わずかに回っている。
床の黒い筋。落ちたケーブル。縁のマーキング。
全部がほんの少しずつ、足元でスライドしていく。
透はすぐに理解した。
「床、回ります!」
ミラが反応するより早く、制御円の縁が半歩だけずれた。
床の円が回っているんじゃない。
中心の“見られる位置”だけが、勝手にずれていく。
こちらが正面を潰しても、向こうが舞台の中心を動かしてくる。
それだけで、透が命綱にしていた三歩後ろの距離が壊れる。
「……性格悪すぎるでしょ」
ミラの声は低かった。
でも、少しだけ笑っていた。
透は返す。
「配信向きです」
「最悪」
制御円の回転は遅い。
だが遅いぶん、気づいた時には致命的に位置がずれている。
三歩後ろ。
その完璧な立ち位置が、勝手に狂わされる。
透はカメラをきつく握り直した。
まだ切れるものはある。
でも、相手が舞台ごと動かして演出を強制してくるなら、次は戦い方そのものを根本から変えないといけない。
親玉の赤が、回転の中心でこちらを見た。
見せないだけでは、もう足りない。
透は低く言った。
「ミラ。次、舞台ごと壊します」
親玉の視線が、そこで初めて止まった。




