正面を潰せ
中央の赤は、まだ穴の底に沈んだままだった。
見えている。
だが、顔までは出ていない。
沈んだ制御円の真ん中。黒い穴。その奥で、たった一つの赤だけが、呼吸みたいに濃くなったり薄くなったりしている。
ミラが前を向いたまま言う。
「親玉、どうするの」
透はカメラを下げなかった。
「まだ顔を出させません」
「出てきたら」
「その前に周りを痩せさせます」
ミラが小さく息を吐く。
「ほんと、言い方が最悪」
「知ってます」
外周の目玉が、また一斉に這う。
静かだ。
静かなのに、足音だけが妙に多い。
多脚の目玉は、殺しに来るというより、視線の位置を奪いに来る。前へ出ない。横へ散る。ミラの正面を取らず、画面の隅に入る位置へ回り込む。
見せ場を作るための動きだ。
透はカメラの露光をもう一段落とした。
暗い。暗いが、足元はまだ見える。
コメント欄がざわつく。
『暗くね?』
『何も見えん』
『敵どこ』
『もったいぶるな』
『画面仕事しろ』
その流速だけを拾う。言葉の中身じゃない。跳ね方だ。
中央の赤は、さっきほどは膨らまない。やはり、派手な熱狂よりは弱い。
「いけます」
「その“いける”を信用するの、腹立つのよね」
ミラが左外周をさらに削るように進む。狭い線。観測盤の残骸と壁のあいだ。一体ずつしか来られない場所。
最初の一体が低く跳んだ。
透は補助灯を振る。
照らさない。白い線だけを床の割れ目へ走らせる。赤い目がそちらへ流れる。
「今、下」
ミラの刃が低く潜る。脚が飛ぶ。落ちた目玉が転がる。転がった目玉の赤が少しだけ濃くなる。
透はすぐにピントを外した。綺麗に映さない。死骸に意味を与えない。
「死んだやつ、見せません」
「被写体への敬意がゼロね」
「死ぬよりましです」
「それはそう」
短いやりとりのあいだにも、二体目が来る。二体目は壁を使った。三体目は天井から落ちる。
「上、遅い」
ミラが見上げない。見上げないまま、半歩だけ右へ抜ける。天井から落ちた目玉の脚が空を切る。
透はドローンを上げなかった。低いまま、壁へ這わせる。小さな羽音を残骸へ返す。赤い目が動く。
「左、今」
白い刃。赤い丸が二つ割れる。
コメント欄の流れがまた変わる。
『今の何した?』
『敵を映せって』
『でも処理速い』
『状況わからんのにうまいの分かるの怖い』
『情報カメラか?』
熱狂ではない。苛立ちと理解が半分ずつ混じっている。この温度の方が、敵の育ちが遅い。
ミラがぽつりと言う。
「配信をつまらなくして勝つ日が来るとは思わなかった」
「今日はつまらなくないと死にます」
「名言みたいに言わないで」
「事実です」
「最低」
「はい」
その言葉の直後、中央の赤がゆっくり大きくなった。
透は止まる。今の会話ではない。コメントでもない。別の熱が入った。
視線を上げる。
天井の縁に、小さな赤いランプが点いていた。
一つ。二つ。四つ。
固定だ。人工区画の名残みたいに埋まっていた小型の公式固定カメラが、中央制御円を向いて順番に起動している。
ミラも気づいたらしい。
「……最悪」
「運営です」
「見せたいのね」
「見せたら育ちます」
言い終わる前に、透の手元の端末に強制オーバーライドの通知が走った。
【OFFICIAL SUB CAMERA ONLINE:メイン回線へ映像を統合します】
コメントが爆発する。
『お?』
『固定来た』
『やっと全景』
『親玉映る?』
『運営わかってる』
『そこそこそこ!』
中央の赤が、今度ははっきり脈を打った。呼吸じゃない。拍動だった。
見られる準備が整った、と理解した時の動きだ。
透は舌打ちを飲み込む。
自分のカメラを捨てても、配信自体は捨てられない。こっちが熱を落としても、運営のカメラが敵の正面を作ってしまえば意味が薄れる。
ミラが低く聞く。
「どうする」
透は中央を見たまま答えた。
「正面を潰します」
「固定を?」
「はい」
「公式のを?」
「はい」
ミラの口元が一瞬だけ動く。
「ほんと、今日のあんた最悪」
「今さらです」
固定の一台が、中央の穴へゆっくりズームする。オートだ。過剰な演出の匂いがする。親玉の初お披露目、それだけで数字が跳ねると運営は読んでいる。
その通りだろう。
そして、その通りなら、こっちは死ぬ。
透はカメラを低く構え直す。
「右上、一台。外周の残骸の上」
ミラが見ないまま頷く。
「二歩後に飛ぶ」
「一拍で」
「分かった」
目玉の群れがまだ外周にいる。固定を壊しに行けば、背中を取られる。順番がいる。
透は補助灯を振った。
光じゃない。線。足場だけ。ミラの踏み切り位置だけを切る。
一体が跳ぶ。二体目が横へ回る。三体目は床を這う。
「正面、捨てて右だけ切る」
「はいはい」
白い刃が短く二回。脚が散る。右だけが空く。
「今」
ミラが飛ぶ。正面じゃない。親玉へ向かう動きでもない。右上の残骸へ斜めに飛び、着地と同時に剣を返す。
天井端の固定が、赤いランプごと真っ二つに割れた。
コメントが一瞬だけ止まる。
『は?』
『固定壊した?』
『わざと?』
『今何切った』
中央の赤の拍動が、ほんの少しだけ鈍る。
効く。
透はすぐ次を探した。左端。制御円の向こう。壊れた観測盤の影に二台。
「左奥、二。連続で来ます」
「順番」
「手前から。奥の視線は切ります」
ミラが床を滑るように左へ入る。群れの残りがその脚へ集まる。
透はカメラを捨てなかった。捨てないまま、補助灯を逆手に持つ。白い線を固定ではなく、目玉の眼球へ直接入れる。
赤が逸れる。その半拍でミラが一台目を割る。
二台目は少し高い。ミラの剣では届く。届くが、そこへ行く動線が一つ足りない。
透は低く言った。
「止まって」
ミラが止まる。その横を、外周から来た目玉の脚が空振りで抜ける。
透はすかさず、その群れの頭上へドローンを低く滑り込ませた。カメラとしてではなく、羽音を最大にして囮にする。
赤い目が一斉に上を向く。
「今」
白い刃が上へ走る。二台目の固定が割れた。
中央の赤が、明らかに揺れた。
見られる窓を物理的に削れば、育ちが鈍る。やっぱりそうだ。
ミラが着地して低く笑う。
「配信者が公式カメラ壊してるんだけど」
「あとで死ぬほど怒られます」
「あとで済めばいいわね」
「済ませます」
「頼もしいのか図々しいのか分かんない」
「たぶん両方です」
そのやりとりの直後、中央制御円の縁が砕けた。
遅かった。固定を三台落としたが、ゼロには出来ていない。別アングルのどこかでまだ見られている。それだけで、親玉には十分だったらしい。
黒い穴の縁から、赤がせり上がる。
目だ。
さっきまでの目玉たちとは比べ物にならない。丸いというより、縦に長い。半分だけ開いた瞼の内側に、濡れた赤が詰まっている。
その縦長の瞳孔が、まるでカメラのレンズを探すように、ぎょろりと不気味に動いた。視線そのものを貪欲に喰おうとする生き物だ。
『来た』
『親玉』
『うわでっか』
『何あれ』
『見せろ見せろ』
透は親玉を正面から撮らなかった。撮らなかったが、もう空気だけで分かる。
あれは、ただ育つだけじゃない。視線が集まる画角へ、自分から形を寄せてきている。
「……ミラ」
「何」
「次、もっと見せ方を切ります」
「まだ切るの?」
「敵の顔、完全に捨てます」
ミラが一度だけ息を止めた。
「そこまでやる」
「勝つなら」
「私の見せ場、ゼロよ」
「生きて帰る方を取ります」
短い沈黙。
それから、ミラが小さく言った。
「じゃあ、付き合う」
親玉の縦長の赤が、こちらを執拗に見つめている。
次の勝ち筋は、もう一段深い場所にある。さっきまでのやり方では足りない。
透はカメラを握り直した。
配信そのものを敵に回すなら、まだ切れるものがある。
その確信だけを持って、中央への一歩目を待った。




