特番準備:世界が見てる
特番会場の出場リストが壁のモニターに映ったとき、最初に見たのは名前じゃなかった。
順番だった。
上から並んでいる。ランキング上位が先、話題枠が後。
その境界線は線で引かれていない。引かれていないのに、下へ行くほど空気が薄くなる気がした。
その下のほうに、見慣れた名前があった。
MIRA
横に小さく、話題枠。
透には、それが「実力だけじゃなく、騒がれたから呼ばれた」と言われた気がした。
胃の底が、少しだけ冷えた。
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特番会場は中央昇降炉だった。
Aゲートから連絡橋を二本渡り、貨物用の昇降路を抜けた先にある、大型の吹き抜け区画。
天井が高い。見上げると補強材が格子状に走っていて、その隙間から薄い光が落ちてくる。
壁面には配信用のモニターが仮設で並び、床には黄色いテープが何重にも貼られていた。
安全線。機材線。立ち入り禁止線。
テープだけで地面が縞模様になっている。
しかも、上の仮設モニターでは各チームのリハ映像が無音で流されていた。
まだ本番前なのに、もう全員が全員を見ている。
タイトル通りだ、と透は思った。
世界が見てる。
見ているのは視聴者だけじゃない。
運営も、他チームも、スポンサーも、ここにいる全員が、まだ始まってもいない本番の前から互いを測っている。
白石がクリップボードを脇に挟んだまま、天井を見上げて言った。
「風が通る。上から下に抜ける構造だ」
知っている。図面で確認した。
だが、実際に立つと図面では見えないものがある。
首の後ろがざらついた。
風が一定じゃない。
天井の格子から落ちてくる気流が、壁面モニターの裏で乱れている。
仮設機材の配置が、本来の空気の道を半分だけ塞いでいた。
「白石さん」
「気づいたか」
「右側の排気が変です。仮設モニターの裏で流れが死んでます」
白石は振り返らなかった。クリップボードに何か書きつける。
「直させる。他には」
床の継ぎ目を見る。
中央の昇降パネルと外周の固定床のあいだに、わずかな段差がある。目で見れば数ミリ。でも走りながら踏めば、足首が内側にねじれる角度だった。
「中央パネルの外周。段差あります。踏み切ると危ないです」
白石がまた書く。
「潰す。次」
次。
透は黙った。
次がないわけじゃない。
ただ、まだ名前がつかない違和感が残っていた。
見えているのに、言葉にならない何か。
そういうものが一番嫌だった。
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リハーサルは三チームが順番に入った。
一チーム目はランキング上位の二人組。
動きが速く、連携も正確で、固定カメラの画角に収まるように戦っていた。綺麗だと思った。ただ、綺麗すぎた。
カメラが何もしなくていい映像だった。
自分がいなくても成立する画。
それを見ているとき、隣でミラが腕を組んだまま、小さく息を吐いた。
何も言わなかったけれど、分かった。
彼女も同じものを見ている。
上手い。強い。完成度も高い。
でも、あの二人の映像には「驚き」がない。
二チーム目のリハが始まって四分後、事故が起きた。
その少し前、透はドローンの軌道を見ていた。
壁面モニターの裏を這う仮設ケーブルに、妙に近い。
近い、と思った。
その一瞬で、ドローンが壁際へ流れた。
プロペラがケーブルに触れる。火花。
小さな火花だった。
だが、その火花で十分だった。
レールハウンドが跳ねた。
着地点が安全線の外へずれる。
カメラマンが避けきれず、機材ごと床に転がった。
声が出なかった。
よそのリハだ、と一瞬思った。
その一瞬で火花が散って、人が倒れた。
見えていたのに、止められなかった。
カメラマンは肩を打って退場した。
大事には至らなかったと白石が確認したが、その言葉が耳に入ってから胸に落ちるまで、妙に長い時間がかかった。
二チーム目は、そのまま辞退した。
カメラマンの代わりがいないのもあるが、それだけじゃない。残ったハンターの目が、さっきまでと変わっていた。
空間を信用していない目だった。
一度壊れた信頼は、同じ場所では戻らない。
白石が近づいてきて、低く言った。
「佐久間。今のを見て、何を思った」
「……見えてました」
「知ってる。顔に出てた」
透は唇を噛んだ。
恥ずかしいのか悔しいのか、自分でも分からなかった。
白石は続けた。
「見えてて止められないのは、まだ未熟だからだ」
一拍。
「だが、見えてないやつは止めようとすらしない。そこは履き違えるな」
慰めじゃなかった。
事実の整理だった。
白石はいつもそうだ。感情の居場所を作らない代わりに、足場だけは正確に示す。
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三チーム目が自分たちだった。
立ち位置についたとき、さっきの事故の残り香がまだ空間に漂っていた。
床の黄色いテープが一箇所だけ剥がれている。転倒したときに巻き込まれたのだろう。
ミラが剣を抜いた。
鞘から出る音が、静かな昇降炉に細く響いた。
「佐久間」
振り返ると、ミラの目がまっすぐこちらを見ていた。
「さっきの、あなたのせいじゃない」
「分かってます」
「分かってない顔してる」
反論できなかった。
ミラは剣を片手に下ろし、低く言った。
「逃げない。ここで勝つ」
短かった。
でもその声には、話題枠という肩書への苛立ちも、騒がれたから呼ばれたと見られる屈辱も、それでもここに立つという意志も、全部入っていた。
短い言葉ほど重いことを、この人の隣にいると嫌でも覚える。
透はカメラを構えた。
右肩に馴染んだ重さ。さっきまで動けなかった手が、今は震えていない。
リハが始まった。
天井から落ちてくる風の乱れを読みながら、ドローンの位置を右側の排気から外す。さっきの事故の原因を、自分の現場では繰り返さない。それだけが今できることだった。
ミラが動く。
レールハウンドが二体、左の壁際から飛び出す。
補助灯を低く当てて軌道を絞り、ミラの剣がその隙間を抜く。
固定カメラでは撮れない角度。
自分のカメラでしか見えない一瞬。
三体目が中央パネルの段差付近に着地した。
さっき指摘した場所だ。白石が直させたはずだが、完全ではなかった。
ミラの足がそこに向かう。
「左」
一語だけ出した。
ミラは聞き取って、左へ重心をずらした。段差を踏まずに済む。
リハはそのまま終わった。
白石がクリップボードにチェックを入れる音だけが響いた。
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控え室へ戻ると、玲奈がタブレットを持って待っていた。
「リハ映像、内部でかなり回っています」
「評価は」
「数字はまだ出ていません。ただ、技術チームが段差の件で礼を言っていました。本番で踏んでいたら危なかったと」
礼を言われても嬉しくなかった。
だって最初の事故では動けなかったのだから。
ミラがジャケットを脱ぎながら、振り返らずに言った。
「佐久間。明日、同じことが起きたら口を開きなさい。自分のチームじゃなくても」
「……はい」
「返事が暗い」
少しだけ口の端が上がる。
「もっと雑でいいのよ」
それが計算なのか天然なのか、いまだに分からない。
玲奈が待機ページを見せた。
アクセスカウンターの数字が、静かに増えている。
まだ本番は始まっていない。
でも、もう見られている。
話題枠という名前で。
炎上の火種も抱えたままで。
それでも、ここに立つ。
透はカメラケースを肩に掛け直した。
重さは変わらない。ただ、明日はこの重さに、もう少しだけ意味が乗る。
そのとき、控え室の外でスタッフが短く叫んだ。
「すみません、右側排気、まだ少し戻りが強いです!」
透の首の後ろが、またざらついた。
直したはずの場所。
でも、まだ少しだけ濁っている。
名前のつかない違和感が、まだ空間の奥に残っていた。
明日、本番で何かが起きるとしたら、たぶんこういう「まだ少し」からだと、透は思った。
カメラケースのストラップを、もう一度だけ握り直した。




