第二十五話 マリアンヌ先生
目の前の熊のような男は、自身を作家マリアンヌだと名乗った。
私達ボーイズラブ好きが憧れてやまないマリアンヌ先生。
ボーイズラブ小説の始祖とも言えるマリアンヌ先生。
それが敵国のナーバート人で、しかも熊のような見た目の——男⁉
「ご、ご冗談を」
私はそう一言捻り出すので精一杯だった。
マリアンヌ先生が何者なのか分からないクロードは、怪訝な顔で私と熊男を交互に見ている。
「冗談ではありません。その証拠に、これを」
熊男は私の顔くらいありそうな大きな手で、一冊の本を差し出した。
「これは、『僕だけの騎士』……!」
私が悲鳴に近い声でそう言うと、熊男はニッコリと微笑んだ。
以前文学サロンの集まりで見た、上品な紺色の表紙。
確かマリアンヌ先生のデビュー前の作品で、この世に10冊しかないという超レアものだ。
「ア、アルスラン様が、どうしてこれを」
「言ったではありませんか。私がマリアンヌ本人だからですよ。もしまだ信じられないのなら、こちらをどうぞ」
そう言ってアルスラン様は私に丁寧に綴じられた紙の束を渡した。
パラパラとめくると、そこには見たことのないボーイズラブ小説の世界が広がっていた。
他の人が見れば、ただの洗練された恋愛小説にしか見えないだろう。
でも私には分かる。
この丁寧な情景描写。一文が短めなところ。異国情緒あふれる雰囲気と、ファンにしか分からないかもしれないマリアンヌ先生独特の言い回し。
「これは……マリアンヌ先生の新作……ですね?」
私がゴクリと唾を飲み込むのと同時に、アルスラン様はニヤッと口角をあげた。
もしかすると、アルスラン様はマリアンヌ先生と懇意にしているだけかもしれない。
だからレア本や発売前の新作原稿を持っているだけかもしれない。
けれど私のボーイズラブ好きの第六感が伝えている。
目の前の男性こそがマリアンヌ先生だと……!
「ちょと待て。俺にはさっぱり分からないのだが?」
話に割り込んで来たクロードが不機嫌そうに私を睨む。
「アルスラン氏とシャルロットにしか分からない話をするために俺達は呼ばれたのか?」
「あ、いや、ええっと……」
アルスラン様を見ると、彼はやはり余裕のある笑みを浮かべたままクロードの方を向いた。
「すみません。私は作家業をしていて、そちらの国でも何冊も出版しているのです。そして是非お会いしてみたかった新人作家ロロット先生にお会いできたことで、少し興奮しすぎてしまったようです」
「アルスラン氏は何を言っているのだ……?」
この場で話についていけていないのは、クロードだけだ。
「まさか、フォントネル氏はご自身の奥様が作家であることをご存じないのですか? そんなまさか、ははは」
アルスラン様は笑っているけれど、そのまさか……なのです!
怪訝な顔で固まるクロードと、今後の展開を思って胃を押さえている私を見比べ、アルスラン様は言った。
「シャルロット様はミセス・ロロットというペンネームで小説を書いていらっしゃるのです。そして、私もミセス・ロロットやそのご友人たちと同じような趣向の小説を書いています。私達はいわば、同志なのです」
アルスラン様の表情が、だんだん意地悪に見えてきた。
いや、勘違いじゃない。
この人は私がクロードに自分の正体を隠していることに気付いている。
そして、それをここで暴露する気なんだ!
アルスラン様の思惑に気付き始めているのか、クロードは慎重な様子で尋ねた。
「ミセス・ロロットとあなたは、どんな小説を書いているというのですか」
「決まっているじゃないですか! 男と男が愛し合う、美しい小説ですよ」
アルスラン様が高らかに言い放つと、それまで座っていたクロードはがばっと立ち上がり、隣に座っていた私の胸ぐらを掴んだ。
「フォントネル氏、落ち着いて!」
アクセル様が制止するのも聞かず、クロードはぎりぎりと力を込め、胸元から襟首にかけてを締め上げるようにした。
「まさか、お前だったのか……! 俺とイヴをモデルにして、破廉恥な小説を書いて市井にばらまき、フォントネル侯爵家の名に傷をつけたのは……!」
クロードは質問しながらも、ぎりぎりと締め上げる手を緩めることはない。
首が締まりかかっている私は苦しくて、クロードの言葉に応えるどころじゃない。
やばい!
冷え切った夫婦仲に最後のとどめを刺す前に、私がしめ殺されそう!
ここにきて人生最大のピンチよ……!




