第二十四話 和平会議と熊のような男
「ナーバート国は和平合意の条件をいくつか挙げたのですが、そのうちの一つが、件の小説のモデルと作者を連れてくるように、とのことだったのです」
朝早くに突然アクセル様が自宅を訪ねて来るだけでも訳が分からないのに、彼は更に不可解なことを言った。
「わ、和平合意の条件の一つが、その……ボ、ボーイズラブ小説のモデルと作者を連れてこいってこと……ですか……?」
私が唖然としながら確認すると、アクセル様は再び緊張感を滲ませて頷く。
「ええ。昨夜ナーバート国の使者が僕の会社を訪れた理由は、僕に作者とモデルを引っ張ってくるように言うためです。既に騎士団の方にも連絡し、イヴ・シャルルには和平会議の場に向かうように伝えています。そしてナーバートからは、あの小説は間違いなく明確なモデルがいるのだな、と再確認されました」
クロードは頭を押さえながら、首をゆるゆると横に振った。
「まったく意味が分からない。どうして戦争の和平合意の条件が、駄本の作者とモデルを連れてこい、になるんだ? ふざけているにも程があるだろう?」
「僕だって前代未聞だと思いますよ。最初はナーバート国の使者を騙ったイタズラだと思いました。けれど、ナーバートの正式な書簡を持っていて、おまけに我が国の外交官も伴っていたとなっては、詳しく事情を聞く他なかったのです」
「詳しく事情を聞いた結果、貴様は朝早くからここに来たという訳か」
「ご名答です」
クロードは深い溜息をついた。
頭を押さえていた手で、今度は自身の髪をぐしゃぐしゃと掻き乱す。
「ナーバート側に件の小説の熱心なファンでもいるというのか」
クロードは嘲笑混じりに言ったが、アクセル様は一切表情を変えない。
「まさか……」
「そのまさかです。ナーバートが軽視できない人物が、和平会議に乗じて我儘を言ったと見るのが正しいでしょう。どのみち和平会議は行われる予定だったようなので、フォントネル氏の存在が和平を導いた訳ではなさそうですけどね」
「黙れ、アランソン! 貴様、少しばかり家格が高いからといって俺を侮るなよ!」
「侮ってなどいませんよ。では、もう時間です。和平会議の行われる国境まで、お二人をお連れいたします」
アクセル様はそう言って、椅子から立ち上がった。
「待て。どうしてシャルロットが一緒に行く必要がある? 向こうは小説のモデルの家族も一緒に来るようにと指定しているのか?」
「おや? フォントネル氏はご存じない?」
アクセル様の視線が私へと移る。
私はブンブンと首を横に振った。
(まだクロードに自分が作者だと打ち明けるつもりはないのですー!)
するとアクセル様は小さくため息をついた。
「ナーバートは公式の場では配偶者を必ず伴うというのが常です。主要な外交官たちも、いずれも配偶者を伴って会議に向かう予定です」
「そうなのか」
クロードは納得したようだが、もしかするとこれはアクセル様のついた嘘かもしれない。
彼の目は「いつまでも隠し通せる訳ではないですよ」と雄弁に語っている。
分かってる、分かってますって……。
でもクロードに自分の正体を明かせば、高確率で殴りかかられるだろう。
さっきクロードがアクセル様に花瓶を投げつけようとしていたのを見ればわかる。
私は胃のあたりがずんと重くなるのを感じながら、急いで自室に戻り、使用人を呼んで荷物を詰めさせた。
◇
馬車に揺られること丸一日。
私はアクセル様やクロード達とともに、国境へと到着した。
と言っても、我が国とナーバートとの国境ではない。
和平会議を仲介してくれる第三国である、アジールという国との国境だ。
そこからまた数時間進んだ先に、和平会議が行われる場所がある。
アジールは我が国の南東、ナーバートから見ると南西に位置しており、両国と隣接している。
我が国とナーバートはここで和平会議を行い、全面停戦の合意を目指すのだ。
「うちの国と比べると随分温かいですね」
私は思わず汗ばむ首元を押さえた。
国境を越える直前の前回の休憩時に、私達は全員正装に着替えている。
自国でちょうど良い服装は、温暖なアジールでは少し汗ばむくらいだ。
「この気候のように温かな雰囲気で会議が進めばいいのですが……おっと、あちらで我々を呼ぶ者がいますね」
アクセル様は私とクロードを先導するように前を歩き、背の高い木々に囲まれた石造りの建物へと向かう。
薄い褐色の肌のアジール人に案内され建物の奥へと向かうと、そこには複数のナーバート人がいた。
彼らは目を鋭く光らせ、こちらを値踏みするように見ている。
いずれも我が国では珍しい、しかしアクセル様によく似た黒髪で、瞳の色も黒い。
直線的で丈の長い服を着た男たちの中央には、熊のようないかめしい中年男がいる。
一目見て分かる。
この男、きっと名だたる戦士に違いないわ……!
服の上からでも、よく鍛えられた肉体が盛り上がっているのが見て取れる。
それに対し、こちらにいるクロードとアクセル様は線が細く、言ったら悪いが頼りなく見えてしまう。
(えーん、力勝負になったら勝てる気がしないんだけど……)
アジール人に促され、私たちは席に着く。
すると、熊のような中年男がニッと笑って話を切り出した。
「ようこそお越しくださいました。アランソン氏、フォントネル氏、そしてフォントネル夫人。私の名前はアルスラン。ずっとあなた方にお会いしたいと思っていましたよ。どうして私があなた方に会いたかったかって? それは私とフォントネル夫人に共通の趣向が見てとれたからです。こう言ったら理解してもらえるでしょうか」
熊男は一呼吸置き、うやうやしく述べた。
「私はマリアンヌ、という名前で、あなたたちの国で本を出版しております」
「はっ⁉ マ、マリアンヌ先生⁉」
この熊男が我らボーイズラブ好きの憧れの的である、マリアンヌ先生だと言うの⁉




