第十九話 俺んとこ来ないか
アクセル様は、私の両手を包み込み、いつもより少し力強い声で言った。
「シャルロット様。あなたのように素晴らしい人が、クロード様に飼い殺しにされていい訳がありません。彼と離縁して……僕の元に来ませんか?」
思わぬ申し出に、私はただ目を見開くことしかできなかった。
クロードとの離縁を勧められるのは分かる。
でも、その後なんて言ったの?
僕の元に来ませんかって言った?
それって……それって……
愛の告白的なやつでは⁉
私が口をパクパクさせていると、アクセル様はふっと手の力を抜き、いつものような柔和な雰囲気に戻った。
「いきなりこんなことを言って、驚かせてすみません。でも、先ほどの言葉は冗談ではありません。僕は以前からシャルロット様のことを素敵な女性だと思っていました。賢くて、ユーモアがあって、芯が強くて。でも貴女は既婚者。この想いはひっそりと封印すべきだと思っていました。けれど……」
アクセル様は私の両手を握る手に、再び力を込めた。
「クロード様との間に本当に愛がなく、形だけの結婚だと言うのなら、僕にもチャンスがあるのではないかと思ったのです。当然、貴族同士の結婚ですから、そこにはクロード様の実家であるフォントネル侯爵家と、シャルロット様のご実家の関係性もあるでしょうが——」
アクセル様の言う通りだ。
「私の実家はフォントネル侯爵家が管理する水路を使って事業を行っているため、侯爵家には逆らえないのです。実家の両親が私の今の状況を知っている訳ではありませんが、きっと相談したところで我慢してくれとしか言われないと思います。クロード様と離縁したい気持ちもありますが、それは現実的ではないかと」
いざ言葉にすると、自分の状況がより客観的に見えてくる。
同時に、もうこの人生には趣味以外に逃げ場が無いという現実が見えて、絶望的な気分にもなってくる。
「シャルロット様」
アクセル様が甘く低い声で私の名前を呼んだ。
「あなたはクロード様に飼い殺しにされるべき人じゃない。才能があり、自分の意見もしっかりある。もっと、自分の幸せを追求してもいいのですよ」
「幸せなら、小説を書くという趣味のほうで追求していますよ」
私が苦笑気味に答えると、アクセル様は小さく首を振った。
「趣味の方面を充実させることも大事です。けれど、毎日の生活の中で幸せを追求してもいいのではないですか? シャルロット様は子供も欲しいとおっしゃったではないですか」
「それは……」
「僕の姉は恋人を略奪され、その後病にかかり、結婚や子育てなどの幸せを知ることなく亡くなりました。もちろん全ての結婚や子育てが幸せとは限りません。でも、だからといって今、ご自分の人生を諦めるのは早いのではないですか?」
アクセル様の漆黒の瞳が、にわかに滲んで見えた。
もしかすると、彼は私を通して亡くなったお姉さまを見ているのかもしれない。
「実を言いますと、シャルロット様は僕の姉に少し似ているのです。姉も大の本好きで、ユーモアがあって、そして芯の強い人でした。だからこそ、今も生きていたらきっと素敵な人生を送っていると思うのです。僕の姉の分まで幸せになってほしいなんて、押しつけがましいことは言いません。でも、シャルロット様にはまだ輝かしい未来も可能性もたくさんあります。ここで諦めて欲しくないのです」
アクセル様は切実な声でそう言った。
私達の間に、少しだけ重たい沈黙が流れる。
私は……
自分の幸せをもっと追求してもいいのだろうか?
カップに注がれた紅茶に、困惑した自分の顔が映った。
アクセル様がそっと私の手を離す。
私は温かさを求めるようにそっとカップに手を添えたが、カップはすっかり冷めきっていた。
テラスを吹き抜ける暖かだった風は、いつの間にか晩秋らしい冷たい風へと変わっていた。
「シャルロット様に、僕の元へ来てほしいという気持ちは本当です。少しだけ、あなたの未来の選択肢に僕を加えてもらえないでしょうか」
アクセル様はそう言うと、給仕係を呼んで会計をした。
帰り道、私はアクセル様の言葉を何度も反芻していた。
アクセル様はお姉さまと私を重ねて、同情心から「僕の元へ来ませんか」と言ったのだろうか。
それとも……
もしや、私のことが……好き⁉
結婚してからのこの数か月、クロードに邪険にされ続けたせいで、男性から愛されるということがどういうものなのか、すっかり分からなくなってしまった。
アクセル様は返事は今すぐでなくて良いと言っていたけれど、私は一体どうすればいいの⁉
悶々としながら自宅に戻ると、そこには居るはずのない夫がいた。
「クロード様⁉ いつ戦地からお戻りになったのですか⁉」
「小一時間前だ。それよりも、さっさと支度をしろ。フォントネル侯爵家から呼び出しがかかった」




