第十六話 アンソロ本から広がる世界
イヴの病室を後にする直前、私はベッド横のサイドテーブルに置いてあった本の表紙に目を奪われた。
明るい茶色の表紙に、背を向け合って立つ二人の男。
紛れもなく、私とボーモン夫人たちの文学サロンメンバーが出したアンソロジー本だわ……‼
「イヴ……ッ! こ、これは……」
「シャルロット様もこういうのを読んで、男同士の恋愛について勉強するべきだね。知ってる? この本ね、最近出版されたばかりなの。無名の新人作家の短編ばかりを集めた本なんだけど、意外にも面白くてさぁ」
(知ってるもなにも、私も書いてるんですけどー!)
けれど、まさかそんなことを言える訳がない。
コイツに言ったら、クロードの耳にも入るに違いない。
見る人が見れば、私の小説はクロードとイヴをモデルにしてることは明白だ。
クロードは私にあまり関心がないようだけれど、さすがにネタにして小説にしたってバレたら怒られそうだし、言いたくない。
「イヴはもう全部読んだの?」
「ううん。頭のほうから読んでるんだけど、まだ半分も読めてない。昨日治療院の掃除婦から借りたばっかりなんだ。貸してくれた掃除婦は話題の本はとりあえずなんでも読む人らしくってぇ——」
私の書いた小説は、アンソロ本の中ほどに載っている。
ということは、イヴはまだ私の小説を読んでいないということ。
バレませんように……いや、いっそバレたあとに『アンタらのことをネタにしてやったわよ! ざまあみろ!』とでも言ってやったほうがいいだろうか。
いやいや、むしろイヴなんかは「僕たちの純愛が本になるなんて!」とか言って喜びそうな気もする。
私はどう振舞うべきなのか。
最適解がわからない。
ここは一旦引いて、イヴの出方を探ろう。
そうしよう。
「じゃあ、私はそろそろ帰るから」
そう声をかけたものの、イヴは小説をパラパラとめくると、私の存在を無視して本に没頭し始めた。
本当にナメている。
けれど、ここでイヴと話せたことは私にとっては無駄じゃなかった。
私はとにかくクロードと一度腹を割って話をしなくちゃならない。
……でも、彼と話をして何か変わるだろうか?
私の人生は好転するだろうか?
そこでふと、“離縁”の文字が頭をよぎる。
実家のために結婚生活を持続させることこそが正解だと信じていたし、安易に離縁などするのは平民のようではしたないと思っていた。
でも、果たしてそうだろうか?
私はいま、人生の岐路にいるのかもしれない。
◇
「皆様! 本日も、足元が悪い中、お集まりいただきありがとうございます」
少し冷たい雨がしとしとと降る中、今日も文学サロンメンバーはボーイズラブについて熱く語り合うべく、ボーモン公爵家の温室へと集まっている。
温室の中はいつものメンバーに加え、アクセル様もいる。
最初はこの集まりに男性が混じることに抵抗感があった私達だが、アクセル様はあくまでも私たちのビジネスパートナーだ。
今では、『アクセル様がいる間は性的に際どい話はしない』という暗黙の了解のもと、彼の存在が受け入れられている。
まあ、アクセル様は毎週いる訳じゃないしね。
「皆様がお書きになった本ですが——この度、3度目の重版がかかることに決まりました」
アクセル様がいつも以上に丁寧な雰囲気で切り出すと、温室の中に婦人たちの歓喜の声がわぁっと広がった。
「頑張って書いた甲斐がありましたわ!」
「ボーイズラブがここまで広く受け入れられるとは思っていませんでしたわ!」
「ここまで話題になったのなら、憧れのマリアンヌ先生も読んでくださっているかしら?」
興奮した様子で口々に喋る婦人たちを、アクセル様はにこにこと眺めている。
「つきましては——」
アクセル様が再び口を開くと、婦人たちははっと声を潜めた。
何か重大なお知らせでもあるのだろうか。
アクセル様の少しもったいぶった様子を、私達はゴクリと唾を飲み込んで見守る。
「つきましては、我が出版社のほうからは、是非皆様に次作を書いていただきたいと——」
アクセル様がいい終わらないうちに、婦人たちは「キャー! 次の本を出せるのですねー!」と興奮した声を上げた。
婦人たちの細い体のどこからこんなすさまじい声が出るのか。
私は女性だから免疫があるけれど、アクセル様は婦人たちの甲高い声に面食らってしまったようだ。
彼の端正な顔が少し引き攣った。
見かねたボーモン夫人が、少し大きめの音でパンパンと手を叩く。
「皆様、淑女としてのたしなみをお忘れなく」
年長のボーモン夫人は、時に私たちの姉のようであり、また今は引率の先生のようだ。
その後はアクセル様が持ってきた、読者からの感想をしたためた手紙(ファンレターと呼ぶらしい)を皆で回し読みをしながら、温室でのひとときはなごやかに過ぎていった。
温室の外では、どんよりと暗い空からしとしとと雨が降り続いている。
それはまるで、今の私の気持ちそのものだ。
クロードからは、あれから一度だけ近況を知らせる手紙がきた。
ただひとこと、「心配は無用」と書いてあっただけだけど……。
けれど、新聞が知らせる国境の戦況は、日に日に厳しいものになっている。
私達の生活に大きな陰りはないが、国境付近の特産であるフルーツのいくつかはもう市場に並ばなくなってしまったと使用人が肩を落としていた。
多分だけれど、王都にいる私達が思っているよりも、クロード達はずっと厳しい状況にいるのだろう。
文学サロンへ来るのは、そんな日々の中で唯一に近い気晴らしになった。
しかし、楽しい時間ほど早く過ぎてしまう。
名残惜しさを感じつつ、陽が暮れるのが早くなりましたわね、と言い合いながら温室を出る。
それぞれが家の馬車に乗り込もうとしている中、ふと後ろから名を呼ばれた。
「シャルロット様、少しよろしいですか?」
アクセル様は少し声のトーンを落とし、私の耳元に口を寄せた。
「わが社から、シャルロット様に単独での小説出版をご提案したいのですが」
え⁉
いま、なんて⁉




