第十四話 イヴの不本意な帰還〜イヴ視点〜
主人公の夫の愛人・イヴ視点です
馬車に揺られながらふと目を開けると、王都の匂いがした。
どうして匂いだけで王都だと分かるかって?
それは、王都には色んな匂いが混じっているからだ。
香ばしい食べ物の匂い、地を這う下水の匂い、街を行き交う女の香水の匂い。
雑多な匂いが混じるのに、火薬と血の匂いはしないのだ。
「帰って……きたのか……」
僕は上手く動かなくなった左手をぎこちなく持ち上げた。
大けがを負って前線で戦えなくなった僕は、ずっと前線で指揮をとっているクロード様と離れなくてはならなくなった。
敬愛する騎士団副団長であり、僕の恋人。
任務でもないのに彼の側を離れなければいけないなんて。
悔しい、悲しい。
彼の横で役に立ち続けることこそが、僕の一番の価値だったのに。
まだまだ戦える他の団員が羨ましくてしょうがない。
大けがをした僕は上からの命令で、一旦療養のために王都にある騎士団の訓練所に戻って来た。
そこに併設されている治療院で過ごすのだ。
治療院はとにかく退屈だった。
ごはんは美味しいし、職員たちも親切だ。
個室のベッドは清潔で、毎日充分な治療を受けられる。
左手も、前よりは動くようになってきた。
それでもクロード様がいないというだけで、ここで過ごす時間はひどく退屈で苦痛だった。
ある日の朝食後。
今日もまた退屈で苦痛な時間を過ごさねばならないのかとため息をつくと同時に、部屋の扉から見覚えのある憎らしい髪色の女がひょっこりと顔を出した。
「あら、イヴじゃない」
シャルロット! どうしてここへ⁉
「なんでって顔してるわね。クロード様が全く連絡をよこさないから、何人かの団員が王都に戻って来たっていうんで様子を聞きにきたのよ」
シャルロットは僕に了解も取らず勝手に部屋に入ってくると、てきぱきと部屋の花瓶に花を生けた。
花瓶に生けられた美しい赤の花が、今は憎らしい。
コイツが帰ったら速攻で捨てようっと。
「何しに来たのさ」
「顔見知りの団員の方がいたら、クロード様の近況を聞こうと思ったのよ。アンタがいてちょうど良かったわ。クロード様は元気にしてるの?」
僕が答える義理はない。
でも、コイツがクロード様から手紙のひとつももらえていないことを知っている僕は、少しいい気味だとも思う。
僕が顔をぷいっと反らすと、シャルロットは小さな溜息をついた。
「いいわ。他の人に聞くから。そういえば、わたくしが送った支援物資は国境に住む国民たちにちゃんと届いたかしら?」
そうだ! コイツ、せっかくクロード様から離れたと思ったのに、彼の妻であることをアピールするためか、国境に住む国民や騎士団にも多くの支援物資を送ってきたんだった。
ほんといけ好かない女。
「ちゃーんと届きました。はあ、そこまでしてクロード様の妻アピールをしたいわけ?」
「は? アピールじゃないわよ。妻として当然のことをしようと思っただけ」
シャルロットはすまし顔で言った。
妻として当然のこと、と当たり前のような顔で言い放ったこの女が、どうしても憎らしい。
全く愛されていないし、丁寧に扱われている訳でもないのに、どうして取り乱すこともなく怒ることもなく、こんなに普通にしていられるんだろう。
僕がこの女の立場だったらとっくに発狂してる。
「ところで、イヴ。今回王都に帰還して来た人は、みんな大けがをしているのね? わたくし、てっきり交代で休暇でも取るのかと思ってたわ……」
「フン。どこまで平和ボケしてんだよ。前線はずっと苛烈な戦いを繰り返してるんだ。向こうで多少交代で休むことはあっても、王都までは帰ってこれないよ」
「そうなのね。皆さま、頑張っておられるのね。そして、あなたも大けがを負ってまで……」
するとシャルロットはなんの断りもなく、僕の左腕に触れた。
「勝手にさわるんじゃない!」
腕を振り払いたいけれど、左手はうまく動かない。
焼けただれたままの皮膚の上から、シャルロットの意外にひんやりとした手の感触が伝わる。
「痛かったわね」
シャルロットは心から僕を労わるような顔で言った。
コイツ正気か?
僕はお前の夫の愛人なんだぞ?
大けがという僕の不幸を笑うことはあっても、同情することがあるか?
つくづく理解不能な変な女。
しかし僕もこの女に感化されて変になったらしい。
気づくと、怪我をしていた時のことをポツポツと話し始めていた。
「……うちの国が今戦ってるナーバート国が、どんな国か知ってるか? あそこは、魔族と友好関係を結んでいる数少ない国のひとつでさ」
シャルロットが神妙な面持ちで頷く。
「魔族の精鋭部隊がナーバートに援軍を送ってるんだ。奴ら、普通の人間の領地では考えられないような武器や、聞いた事もない毒を使ってくる。こっちだって魔法を使える騎士は何人かいるけれど、あまり数が多くないだろう? 新聞ではこっちが優勢だって報道されてるけど、実際はかなり苦戦してる。死人でも出てる」
シャルロットがうっと小さく呻いた。
「僕はこう見えて氷魔法が使えるんだけど、それもあって最前線で戦ってた。その結果がこのザマだ。魔族の奇怪な毒を浴びて、左手は大きく焼けただれて、どうやら神経もいかれてしまったらしい。魔力の通り道も塞がれちゃったみたいで、僕はうまく魔法が使えなくなっちゃった」
僕が自虐的に笑ってみせると、シャルロットは目を潤ませた。
僕に同情してるのだろうか?
「そんな訳で、僕は特殊な治療をじっくり受けられる王都に戻ってきたってワケさ。心配しなくとも、クロード様は無事だ。僕が王都に帰る前までは怪我のひとつもしていなかった。あの人は魔法の類は使えないけれど、とにかく剣の腕前がいい。馬鹿みたいに強い。だから、心配しなくていい」
僕がそう言うと、シャルロットは目を潤ませたまま、何回もうんうんと頷いた。
「シャルロット様はさ、クロード様のことが好きなんだよね?」
すると、シャルロットは意外そうな顔をして首をかしげた。
「いや、別に」
じゃあどうして妻アピールをしたり、彼のことを心配したりするんだろう。
それに、あんなに美しいクロード様と一緒に暮らしていて、好きにならないなんてやっぱりコイツおかしい!
「アンタ、思ったよりだいぶ変な女だな」
するとシャルロットはクスっと笑った。
その余裕のある態度が腹立たしくて、僕はプイっと顔を反らした。
イライラするのに、でも僕の心は治療院に来てから一番穏やかだ。
前線を外されて騎士団の団員としても力不足で、おまけにシャルロットから見れば夫の憎い愛人のはずなのに、どういう訳か彼女は僕を否定しない。
僕がシャルロットなら、愛人の弱ってるところなんか笑い飛ばしてやるのに。
本当に変な女。
シャルロットの持ってきた赤い花が目に入ったが、不思議とさっきより苛立たなかった。




