第09話 本館
「これだけ丁寧に造られているのに、どこにも作った人の名前がないなんて」
—— 作者不明の美術品
「まるで誰かを悼むために置かれたもののような――そんな気がしたのだ」
—— 石の塔
私たちは本館の中へ足を踏み入れた。
最初に感じたのはひんやりとした空気、そして静けさだった。
本館の中は光が存在せず、何も見えないほどの暗さだった。
窓という窓が重たいカーテンで覆われているせいだろう。
外の光はどこからも入ってこない。
開いた玄関から差し込む残光だけが足元をかろうじて照らしていた。
「少々、お待ちくださいませ」
そう言うとハーヴィは小さな灯りを灯す魔道具を片手に暗がりの奥へと歩いていった。
その小さな光が階段の下のあたりでふと止まる。
どうやらそこに小さな扉があるらしい。
鍵束を扱う音と、鍵を開ける音、そして、かちり、と何かを操作する音。
その音からしばらくして――ぼう、と頭上に光が灯った。
それは吹き抜けに吊るされた大きなシャンデリアだった。
いくつもの飾りガラスを連ねた豪奢な作りの魔道具が鈍い光を放ちはじめる。
続いて壁際の灯りも、ひとつ、またひとつと光を放ちはじめる。
建物中の灯りはあの階段の下の一室からまとめて点けられるようになっているらしい。
「お待たせいたしました」
戻ってきたハーヴィが律儀に説明をしてくれた。
「本館の灯りは、すべて魔道具となっており、このようにまとめて点けることができます。ただ……」
そう言いながらハーヴィは上を見上げた。
「ご覧のとおり、もうずいぶんと古いもので……心もとない明るさとなってしまっています」
確かにハーヴィの言う通り薄暗さを感じる明るさだった。
――もし日が暮れてこの魔道具まで力尽きれば、ここはそっくり闇に沈むのだろう。
灯りが建物中に広がり、ようやく広間の全体が見えてきた。
吹き抜けの天井が二階のずっと上まで続いている。
扉の方へ振り返ると、そこには扉の上から天井近くまで届く大きな窓があった。
だがその窓も重たいカーテンですっかり覆い隠されており、窓ガラスも、もちろんその外の様子もうかがえない。
扉の隣からは二階へと続く大きな階段が延びていた。
まっすぐ上ったところで踊り場に至りそこで直角に折れる。
L字にひとつ角を描いて吹き抜けの上、つまりは二階へと続いていた。
「わあ……広い」
ニナが天井を見上げて声を上げた。
その声も、やはり上へ上へと吸われて薄く消えていく。
私はいつもの癖で広間をぐるりと見渡した。
出入り口はいま入ってきた玄関。
奥には扉が一つ。
左奥から繋がる廊下と、右手側に見える廊下。
そして二階へ続くあの大きな階段。
護衛として頭のなかに大まかな地図を描いていく。
私が地図を描いていると、ニナが階段の下のあるものに目を奪われていた。
「あれって……」
そこにはひとつの美術品が据えられていた。
石を積み上げて造られた塔のような形のものだった。
人の背丈ほどの高さで、表面には蔦とも炎ともつかない細かな細工が施されている。
金や宝石で飾られてはいない。
むしろ慎ましく静かな佇まいだった。
なぜだろう。
それを見た瞬間、胸の奥がかすかに締めつけられた。
まるで誰かを悼むために置かれたもののような――そんな気がしたのだ。
もちろん根拠はない。
私は美術のことなど何も知らない。
「……セオ、あれを一枚、お願い」
ニナに促され、セオは転写を試みる。
「はい。ただ、この暗さだと、細工までは写しきれないかもしれません……」
セオが紙に手を置いたまま困ったように眉を寄せた。
弱った魔道具の灯りだけでは、あの細かな彫りを写しきれないらしい。
「カーテンを開けましょう。外の光を取り入れれば、十分な明るさになりますので」
ハーヴィがそう言って、大窓の重たいカーテンに手をかけた。
とたん、午後の光が広間へなだれ込んできた。
舞っていた埃が白く照らし出される。
「わ、眩しい」
ニナがまぶしそうに目を細める。
なるほど、美術品を見て回るには、こうして日の光を入れるのがいちばんいいらしい。
――もっともそれができるのも日のあるうちだけだが。
「これなら、いけます」
十分な光のなか、セオがあらためて転写をはじめた。
手のひらが淡く光り、石の美術品の姿が紙の上へと滲み出すように移っていく。
転写が終わった紙を確認しながらセオがぽつりと言った。
「不思議ですよね。これだけ丁寧に造られているのに、どこにも作った人の名前がないなんて。……まるで名前なんていらなかったみたいですよね」
その言葉にニナが食いついた。
「そう、それなの! 誰が、なんのために、こんなにたくさんの美術品を遺したのか。……ぜんぶ調べるんだから!」
ニナの顔はすっかり記者の顔に戻っている。
さっきまで天井を見上げていた子供はもういない。
「ハーヴィさん、これ、なんの塔かわかります? なんだか、お墓みたいにも見えるけど」
「さて……自分にも、わかりかねます。旦那様がこの館を購入したときには、美術品の情報はなかったとのことでしたから」
ハーヴィは正直に首を振った。
――この塔が何のために造られたのか、その意味を知る者はもうどこにもいないのかもしれない。
そう思うと、なぜだかいっそう物寂しく見えた。
「ふむふむ。で、ハーヴィさん。広間の美術品はこれでよしとして、他の美術品は、どの部屋から見るのがいいですか」
「ほとんど、どの部屋にもございます。順にご案内いたしましょう」
「お願いします」
ハーヴィは大窓のカーテンをまた元どおりに戻した。
日の光は美術品を傷めるのだという。
この建物の窓がどれも閉ざされていた理由がそれでわかった。
そうして私たちは次の部屋へと歩き出した。
先は鍵束を持つ道案内のハーヴィ。
その後を興味の向くまま前へ出るニナ。
少し遅れて記録を取るセオ。
そして、いちばん後ろから三人ぶんの背中を見ているのが……私だ。
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最初に案内されたのは広間の奥にある扉だった。
扉を開くとそこは大きな食堂だった。
長い一枚板のテーブルが部屋の真ん中を貫いている。
十人が並んで座ってもまだ余りそうな長さだ。
テーブルは大きな布で覆われていた。
ハーヴィが丁寧にその布を取り外すと、その下から銀の燭台や食器が現れた。
綺麗に並べられたそれらは、どれもずいぶんと古いものだった。
だが造りの良さは素人の私の目にも見て取れた。
ニナが言うにはこれひとつでも立派な取材の種になるらしい。
「うわ、すごい。これ、全部そのまま残ってるんだ。……あ、これも写すなら、光を入れないとね」
さっきのハーヴィを見ていたからだろう。
ニナが迷わず窓のカーテンに手をかけた。
「ニナ、待て――」
私が止めるよりニナの手のほうが早かった。
ニナが勢いよくカーテンを引いた……その瞬間――びり、と鈍い音がした。
長い年月で布は傷みきっていたのだろう。
古いカーテンはニナが引いた重みに耐えきれず半分ほど裂けて垂れ下がってしまった。
「……あ」
ニナが間の抜けた声を出して固まる。
「ニナ」
私が名を呼ぶとニナは首をすくめた。
「ご、ごめんなさい……つい」
「お怪我はありませんか」
真っ先にそう言ったのはハーヴィだった。
裂けたカーテンではなくニナのほうを気にしている。
「だ、大丈夫、です」
「それは何より。……ただ、この館のものは、どれも古うございます。見た目より、ずっと、壊れやすいのです。どうか、あまり無理に扱われませぬよう」
ハーヴィの言葉は穏やかだった。
叱るというより案じている。
こういう人だからこそ、この館を一人で任されているのだろう。
「気をつけろ。壊しすぎると館の持ち主から何を言われるかわからんぞ。それに……お前が怪我をしないか、心配だからな」
「はぁい……」
ニナはしおらしく頷いた。
こういうときだけは本当に素直だ。
「……これだけ裂けてしまうと、新しいものに変えないと、難しゅうございましょうな」
ハーヴィが垂れた布を見上げて小さく息をついた。
直せるものなら直すのだろうが……この傷み方ではもうどうにもならない。
垂れ下がったカーテンは、もう窓を隠す役目を果たせそうになかった。
むき出しになった窓ガラスに傾き始めた午後の光が鈍く反射している。
セオがテーブルの上に並べられている銀の燭台や食器を転写したことを確認する。
ハーヴィが銀器に元どおり布を掛け直すのを待って、私たちは食堂を出て、また広間へと戻っていった。
3日目は3話連続掲載でしたが、これで本日の投稿は最後になります。
明日からは9月末まで毎日19時投稿の予定となっています。
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