第07話 館へ
翌朝、いつも待ち合わせをしている広場に着くと、ニナはもう来ていた。
いつもは早起きが苦手なくせに、こういう時だけは誰よりも早く起きる。
一緒に住んでいた時には、何度もそれに迷惑をかけられたことを思い出し、自然と眉に皺がよった。
そんなニナは噴水の縁に腰かけて足をぶらつかせていたが、私を見つけた瞬間に向かって大きく手を振ってきた。
「おっそーい、マーレ! もう日が昇ってるよ!」
「まだ明けたばかりだ。それに、早く来たのはお前が浮かれてるだけだろう」
「浮かれてないもん。……ちょっとだけ、わくわくしてるだけ」
「それを浮かれてると言うんだ」
そんな軽口を叩いていると、少し遅れてセオもやってきた。
背にはいつもの記録用の紙とそれを折れないようにしまう道具を詰めた大きな鞄。
私たちに気づくと律儀に頭を下げる。
「おはようございます、ニナさん。マーレさんも」
「おはよう、セオ。さて、これで全員揃ったわけだが……昨日言ってた"すごい話"ってのは、結局なんなんだ」
「そうなの! それがね、すっごい話なんだから。歩きながら話す。ほら、行こ!」
ニナが噴水から飛び降りて先に立って歩き出す。
その後ろを私とセオが並んで追った。
「館だよ、館! こことはちょうど反対の、都の端っこ。あまり人の寄り付かない寂れた一角に、古い大きな館があるの」
「館?」
「もう十年くらい人が住んでないんだって。でね、その館なんだけど、こないだ取り壊しが決まったの」
ニナは指を折りながら順を追って話しはじめた。
「で、ここからが本題。取り壊す前に中を片づけようと館の中を確認したら……出てきたんだって」
「出てきたって、何が?」
「大量の、美術品!」
「美術品か」
「そう。絵とか、彫刻とか。それも、ちょっとやそっとの数じゃないの。館中、どこもかしこもって話。しかも――誰が作ったものなのか、まるでわからないんだって」
セオが首をかしげた。
「作者不明、ということですか」
「そう! 銘も、記録も、なんにも残ってない。こんなにたくさん遺してるのに、作った人の名前がどこにもないの。……ね、気にならない?」
確かに気になる。
「まるで、名前を残したくなかったみたいだな」
私が頷きながらそう答えると、満面の笑顔でニナが振り返ってきた。
「でしょ? だから面白いんだって。ふつう、こんなに作ったら、ひとつくらい署名を入れたくなるものじゃない。それが一点も署名がないの。わざと、みたいに」
セオの目が少しだけ輝いた。
「なるほど。それは……たしかに、気になりますね」
この男もこういう手つかずのものには弱い。
「もし許されるなら、全部、写して帰りたいくらいです。……こんな機会、きっと二度とない」
珍しくセオが自分から前のめりになっている。
よほど心を惹かれたらしい。
「取り壊されたら、美術品は散り散り。銘の入っていない作品だから、下手をしたら売れなくて、捨てられるかも。……誰も名前を知らないまま、消えてなくなる。だからその前に、記録しておきたいの。全部。セオの転写で」
ニナの声が真剣になった。
誰にも知られず消えていくものを消えないようにしておきたい。
はじめての記事の時から何ひとつ変わらない、ニナの思い。
そんなニナの思いに私も応えたいと思った。
「話はわかった。それで、私は護衛か」
「うん。中がどうなってるか、わかんないからさ。古い建物だし、何があるかわからないから……マーレがいてくれると、安心なの」
「調子のいいやつだ」
そう返しながらも断るつもりははなからなかった。
「しかし、今回はずいぶん情報がしっかりしているな」
「でしょ? 今度のは新聞社から、その館の持ち主さんにも話を通してあるしね。だから言ったじゃない、ちゃんとした情報で筋がいいって」
ニナが得意げに胸を張った。
報酬の話も聞けばたしかに悪くない。
新聞社が正式に出す取材で危険手当まで付くという。
なるほど、これはいつもの噂話とは少し毛色が違うらしい。
待ち合わせをしていた街を出て館のある地区を目指して歩く。
人の往来はみるみる減り、にぎわいが遠ざかるほどにニナの口はよく回った。
「ねぇ、どんな人が住んでたんだろうね。あんなにいっぱい美術品を遺すなんて、よっぽどのお金持ちだったのかな」
「さあな。金持ちの道楽か、あるいは――」
「あるいは?」
「作った本人が、そこに住んでいたのかもしれん。名前を残さなかったのも、売るためじゃなかったからだ、とかな」
「わ、それいいね! 謎めいてる。……マーレ、たまに鋭いよね」
「たまには余計だ」
「でもさ、不思議だよね。あんなに立派なお屋敷を遺したのに、どうして誰も住まなくなっちゃったんだろ」
「跡継ぎがいなかったか、住むには金がかかりすぎたか。よくある話だ」
「マーレってば、ほんと夢がないなぁ」
「現実的と言え」
それでもニナは勝手にあれこれと物語を膨らませてはひとりで楽しそうにしている。
美術品のこと、そこで暮らしたかもしれない誰かのこと。
まだ見てもいないものを頭のなかで記事として書きはじめているのだ。
セオが私たちのやりとりを聞きながらくすくす笑っている。
こういう道中は悪くない。
目的地がなんであれ、気心の知れた二人と歩く時間は私にとってはただの護衛以上のものだった。
「ねぇ、ここら辺でご飯でも食べて行かない?」
もうすぐ太陽が頂点に達する少し手前で、ニナがそんな提案をしてきた。
「ここまで歩いてきて疲れたし、それに取材の前に腹ごしらえしないといけないからね」
「それもそうだな」
「はい」
私とセオが同意をすると、ニナは目をつけていたのだろう店へ入っていった。
「すみません、三名でお願いします」
運ばれてきたのは具だくさんの煮込みと固めのパン。
飾り気はないが腹にたまる、悪くない昼だった。
「んー、しみるー。やっぱり歩いたあとのご飯は最高だね!」
ニナは煮込みを頬張りながらそれでも口だけはよく動く。
「そういえば、他に何か情報はないのか?」
「他の情報……あ、そうそう、現地には管理人さんがいるって。で、その人が中を案内してくれる手筈になってるの」
「……そういう大事な話は、ニナの方から話してほしかったな」
「ごめん、ごめんて」
私は苦笑して残りのパンを平らげた。
食べ終えて店を出ると、太陽はいつのまにか頂点を過ぎていた。
「さぁ、目的地まではあと少し、歩くよ!」
ニナが勢いよく歩き出す。
その声に引っ張られるように、セオと共に急いで追いかけていった。
気がつくと、それが視界に入ってきた。
寂れた地区の一角にその館は建っていた。
遠目にも大きい。
いくつもの棟が寄り集まったような複雑な影。
背の高い窓がいくつも並んでいる。
長らく人の手が入っていないと聞いたわりに輪郭は妙にはっきりとしていて崩れた気配がなかった。
打ち捨てられた館なら蔦の一本も這っていそうなものだ。
なのにそこだけは時間の流れから取り残されたように整って見えた。
私はふと足を止めた。
なんだろう。
うまく言えないが引っかかるものがあった。
なんというか……妙に静かすぎるのだ。
しかし、気のせいだ、と、すぐに思い直した。
遠すぎて細かいところまで見えていないだけだろう。
古い館なんて、どれもこんなもの寂しい佇まいをしているものだ。
「わぁ……おっきい」
隣でニナが目を丸くしている。
「すごいですね。あの館の部屋、全部に美術品が……」
セオも鞄の紐を握り直して館を見上げていた。
その目の輝きが少しだけ増していた。
二人の顔には隠しきれない高揚がある。
私はもう一度だけ館の方に目を向けた。
引っかかりはまだ胸の隅に残っていたが、口にするほどのことでは……そう、きっとない。
その引っかかりに蓋をするように、二人に語りかけた。
「さて。行くとするか」
私がそう言うと、ニナが「おー!」と拳を突き上げた。
私たちは館へ向かって歩き出した。
3日目も3話連続掲載で、第8話は16時に公開予定となっています。
そして、ここまでがプロローグです。
次の話から、とうとう本編、第一部がはじまります。
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