第04話 安酒場での反省会
安酒場の扉を押すとまだ日が落ち切っていない夕方だというのに中はもう半分ほど席が埋まっていた。
私たちはいつもの隅の席に落ち着いた。
「あ、マーレさんにニナさん、いらっしゃい。まずは何にしますか?」
「まずはエールを三つ。それと、適当につまめるものを二つ頼む」
「はい。エールを三つにつまみを二つですね」
私が指を三本立てると店の娘が威勢よく返事をして奥へ消えていった。
じきにテーブルにエールが三杯運ばれてきた。
「まずは乾杯だ」
「……何に乾杯するのよ」
「今日一日にだな」
そう苦笑いしながら答えると、ニナも渋々といったかたちでジョッキを掲げてきた。
「それじゃ、乾杯」
「……乾杯」
「乾杯です」
乾杯が終わるとニナはジョッキの半分ほどを一息にあおった。
そうして大きく息を吐いた。
「……あーあ」
「一回で終わらないやつだな、その『あーあ』は」
そんなやりとりが終わる頃に炙った腸詰と酢漬けが運ばれてきた。
どれも安く量だけはある。
この店を選ぶのはいつだってそこが理由だ。
私とセオはつまみを食べながらエールを飲んでいるが、ニナは頬杖をついてまだあの空き家のほうを恨めしそうに見ている――ような顔をしていた。
もちろんこの店から空き家は見えない。
あれの頭のなかにだけ、まだあの古い家が建っている。
「まだ、諦められないのか?」
「だってさぁ」
案の定、そこからはニナの舌はなめらかになった。
「今度こそだと思ったんだよ。真夜中の灯りに、供えられている花、そして消えた一家。役者はそろってたじゃない。なのに蓋を開けたら、近道と、庭の草と、引っ越し……ぜんぶ、事件性のないことが正体なの。ひどくない?」
ニナは空になったジョッキを振って、店の娘に二杯目を頼んだ。
そんな姿を見ると慰めてやる気も起きなくなる。
「ひどくないって……あのな、世の中のたいていはそんなもんだぞ」
「そういうこと言わないでよ。夢がないなぁ」
そうしてくだを巻きながら、指を折って数え上げていく。
春は、お化けが出るという橋を三晩張り込んで、出てきたのは酔っ払いだった、と。
夏は、湖の主が村人をさらうと聞いて向かったら、いなくなっていたのは駆け落ちした若い二人だった、と。
秋は……あの火の玉が飛ぶ丘のことは、思い出したくもないと、頭を振っている。
この一年であれが手帳に書いた"×"の数を、私はなんとなく覚えている。
「編集長、また笑うんだ。『ニナ、また事件でもない、記事にもならない噂を追いかけたのか』って。『でかいのを狙わず、確実なのを狙ってけ』って。……あたしはね、真面目にやってるのに」
「真面目にやって空振るのは、何もしないよりはずっとましだと思うがな」
半分は慰めだ。
だが半分は本音だった。
この街の記者の大半は、机の前で情報を繋げるだけのものが多い。
自分の足を使わずに、情報屋や部下を使って情報を仕入れ、その情報を繋げて記事を書く。
そして信憑性が疑われる噂に、わざわざ目撃者に取材をして、川沿いの空き家まで足を運んで確かめにいくのは、ニナくらいのものだ。
そんな物好きだから、いつかきっと誰も気づかなかった本物を掘り当てる……そんな日も遠くはないと思えてしまう。
――まぁそれが今日ではなかったが。
いつのまにか二杯目も空になり、ニナは三杯目を頼んでいた。
「……マーレは、いいよね」
「何がだ」
「冒険者は、見つけた、守った、運んだ、追い払った。ぜんぶ目に見えて残る。でも……あたしのは、こうやって、ぜんぶ消えるの。見つけたって調べると、夢のように消えてなくなる」
ニナは指先でテーブルの上に見えない何かを描いて、それを手のひらでふっと払った。
「まぁ、それが冒険者と記者の違いだからな、諦めろ」
ニナはぽかんと私を見た。
それから、ふ、と小さく噴き出す。
「なにそれ。ぜんぜん、慰めになってない」
「そりゃ慰めてないからな」
「ばか!!」
そう言ってニナはジョッキを煽り、空になった。
これで三杯目か、まずいな……と思ったときにはもう遅い。
この女はここから一気に酔いが回る。
それまで黙ってエールを飲んでいたセオが、遠慮がちに口を開いた。
「あの、僕、ニナさんの記事……好きですよ」
「……なに、急に」
「派手な事件じゃなくても。小さな店が畳む日のこととか、名前も知らない人のこととか。ニナさんは、誰も書かないことを書くから。だから僕、いつも一緒に取材するのが楽しいんです」
セオの転写は目の前にあるものを写す。
しかし写すだけでは記事にはならない。
だからこの男はいつも"写したものを記事にしてくれる"誰かを必要としている。
その誰かがニナだった。
その時を写し残す者と、その時を文字で表現する者。
凸凹のようでいてこの二人はよく噛み合っている。
セオは首をかしげて続けた。
「でも、だからこそ、前から訊いてみたかったんです。ニナさんは、どうしてそんなに『大きな記事』にこだわるんですか。小さな記事だって、ちゃんと仕事なのに」
それは悪気のないまっすぐな問いだった。
ニナは据わりかけた目でセオを見た。
それから……へらりと笑った。
「……有名になりたいの」
「有名に?」
「そう。うんと有名に。この街のみんなが、あたしの名前を知ってるくらい。いつか、この国の全員が、あたしの名前を聞いたことがあるくらいに。……あたしはね、有名になりたいんだ!」
それだけだった。
ふつうならその先に何かが続きそうな言い方だった。
でもニナは続きを言わなかった。
「はい、宣言おわり」
ニナはそう言い終わると、満足そうに頷いて――そのまま、こてん、とテーブルに突っ伏した。
「……ニナさん?」
「寝た」
「早くないですか!?」
「三杯を過ぎていたからな。こいつの限界だ」
ニナは猫みたいに丸くなって、健やかな寝息を立てはじめた。
その寝顔は満面の笑みに満ちていた。
さっきまでのくだも、恨み言も、どこかへ流れていってしまったらしい。
「マーレさんは、ニナさんと、長いんですよね」
「腐れ縁だ。物心つく前からな」
「いいな、って思います。そういうの」
セオは眠るニナの寝顔を見て、少しだけ羨ましそうに笑った。
私は何も言わず、ただ苦笑いでそれに答えた。
長いというのはいいことばかりでもない。
「さて、ニナもこうなってしまったことだし、そろそろお開きにするかね」
「はい、つまみも食べ終わったので、そうしましょうか」
「よし、じゃ、ニナは私が送ってく。こいつの部屋、近いからな」
「僕、手伝います」
「いい。慣れてる」
「じゃあ、僕はここで。……今日も、ありがとうございました」
セオはそういうと、エールとつまみの代金をテーブルに置いてから立ち上がり、深々と頭を下げお店を後にした。
そんなセオの後ろ姿を見送ったあとに、ニナの方を見てみた。
相変わらず、無邪気な寝顔をしている。
お店の勘定をし、私はニナを背に負った。
本当に慣れている。
こうしてニナを担いで帰るのはこれが初めてじゃない。
子供のころからずっと私はこの女の後始末をしている。
突っ走って、こけて、泣いて、それでもまた立ち上がる。
その一部始終をいちばん近くで見てきたのが、そう、たまたま私だっただけだ。
たぶん、これから先もずっとそうなのだろう。
しかし、軽い。
あれだけ威勢のいいことを言うくせに、ニナの身体はいつまでたっても子供みたいに軽い。
店を出ると夜の空気がひやりと頬を撫でた。
エールの火照りを程よく冷やしてくれて心地が良い。
背中でニナが小さく寝言を言った。
何を言ったのかは聞き取れなかった。
ただ、ずいぶん幸せそうな声だったので、私はそのまま聞かなかったことにして歩きだした。
部屋まではもう少し。
明日になれば、この性懲りもない幼馴染はきっとまた別の噂を追いかけるのだろう。
――でも、それでいい。
ニナがニナであることがいちばんなのだから。
2日目も3話連続掲載で、第5話は16時に公開予定となっています。
今後の参考になりますので、面白い・続きが気になると思っていただけたら、
評価・ブックマークで応援いただけると嬉しいです。




