第03話 消えた一家
軋む扉を押し開けると埃の匂いが湧き出してきた。
空き家の中は、板でふさがれた窓の隙間から細い光が何本も差し込んでいた。
その光の帯のなかを埃がゆっくり舞っていた。
私は口元を手で覆いながら、まずはいつもの癖で天井の梁と足元の床の状態を確かめた。
梁は乾いて反ってはいるがまだ落ちてくるような気配はない。
床板は所々が黒く湿り腐りかけているようで、踏めば抜ける場所がいくつかあるようだった。
見たかぎり、逃げ道は入ってきた玄関だけだ。
窓はどれも板で塞がれている。
そこまで確認してから、ようやくひとつ息を吐いた。
埃と、かびと、乾いた木の匂い。
人の住まなくなった古い家にある、そんな当たり前の匂いだった。
ニナが腰の吊りランプに火を入れた。
空き家の中がランプの灯りで照らされ出した。
「……ほんとに誰もいない」
ニナはもう私の脇をすり抜けていた。
止める間もない。
そういつものことだ。
面白そうな匂いを嗅ぎつけると、ニナは猫みたいにするりとそちらへ進んで行ってしまう。
「ニナ、床は傷んでる。踏み抜かないように気をつけるように」
「はーい」
返事だけは元気がいいがこちらを振り返る気配はない。
私は舌打ちを飲み込んでニナのあとを追った。
そして、ニナの進む先に視線をむける。
抜けそうな床板を先に見つけてはニナに伝える。
ニナがそこを避けたのを確かめ、また改めてニナの進む先に視線をむける。
これが私の仕事だ。
好奇心の塊が奈落へ落ちないよう、しっかりと危険を教えてやる。
セオはさらにその後ろを慎重についてきた。
「マーレさん、ここまでで何か写すべきものはありましたか?」
「特にないと思うよ。まぁ、もうすぐニナが騒ぎ出すだろうから、そうしたらあいつが騒いだところを片っ端からだろうけどね」
「了解です」
気がつけば誰も意識することはないのにいつも通りになっていた。
ニナが好奇心に突き進み、私が守り、セオが記録として写す。
いつのまにかこの並びに落ち着いていた。
「ねえ見て。この壁!」
ニナが足を止めたのは居間だったらしい部屋の前だった。
がらんとした壁のあちこちに四角い日焼けの跡が残っている。
そこだけ色が濃くかつて何かが掛かっていたことを教えていた。
「絵とか、家族の肖像とか、いっぱい掛かってたんだよ、きっと。それが全部なくなってるの。ねえ、なんだか寂しくない?」
「寂しいねぇ……でも、絵は飾っていたかもしれないが、家族の肖像とかではなかったと思うぞ。こんな場所に住んでいた一家に、そんなものを描いてもらう余裕はなかっただろうよ」
「確かにそうかもしれないけど……。セオ」
ニナが短く呼ぶとセオはもう転写を始めていた。
目にしたものを紙や板へそのまま写し取る――"転写"。
彼の手ひらが光りながら紙をなぞっていく。
「……こんな感じになりましたが、どうですか?」
セオが紙をこちらへ向けた。
そこには壁の日焼けの跡が――その輪郭も濃淡もそのままに――写されていた。
「さすがセオ、もうバッチリだよ」
「いつみても凄いなこれは。しかし、流石に掛かってた物までは写らないんだよな?」
「はい。見たものをそのままでしか写すことはできませんから」
当たり前のことをセオは律儀に答えてくれた。
さらに奥に進むと、そこは台所だった。
台所のかまどには灰が薄く残っていた。
ニナはそれにも飛びついたが、灰にはすでに熱はなく硬く固まっていた。
最近のものではない、かなり時間が経っている灰だった。
私が呆れたように首を振ると、ニナは唇を尖らせて次へと向かった。
「マーレ、セオ! こっち来て、これ!」
次にニナの声が跳ねたのは、台所の裏、納屋のような土間だった。
その土間に据え付けられている棚に、白い蝋がいくつも垂れて固まっていた。
「見て、蝋! 誰かが夜、ここで火を灯してたんだよ。灯りの正体、これだ!」
セオがすぐに写す。
紙に写った蝋を実物と見比べて、彼は首をかしげた。
「……新しいですね、この蝋。ここ半月かそこらのものだと思います。埃のくすみがないですし」
「半月!?」
ニナの声が少し上擦った。
「やっぱり、誰かが来ているんだ」
その嬉しい発見に、ニナは蝋をいろいろな角度から見たり、触ってみたりしていた。
そんなニナを横目に土間の奥に目をやると、ふと板の一枚が外れていることに気がついた。
足を進め、板の先を覗き込むと、そこは空き家の入り口があった道とは違う裏の路地へと繋がっていた。
「これは……近道だな」
「……近道?」
「あぁ、近道だ。空き家の前に井戸があっただろう。夜、その井戸を使うために、誰かがここを突っ切って近道として利用していた。夜だとこの土間の部屋は余計に暗いだろうからな。蝋燭を置いていってたんだろう」
「それが灯りの正体……」
「たぶん、そうだろうね」
「で、でもこの部屋の灯りは、川向こうからは見えないよね!」
「……そうだね」
そう言いながら周りを見渡すと、ふと一枚の鏡が目に入った。
その鏡は窓を閉じている板の隙間から漏れ出ている灯りを写していた。
「もしかして……あの鏡に蝋燭の灯りが写っていたんじゃないか。その灯りが窓の板の隙間から見えていた」
「ま、まさか」
その一言を残して、ニナは鏡に写っている窓へと駆け出し、板の隙間から外を覗いた。
「……川だ」
その事実にニナは肩を落としそうになるが、もう一つのことを思い出した。
「……じゃあ、花は。花はどう説明するの」
「確かにな、まだそっちもあったな……まぁ、同じような結果だと思うけどね」
最後は小声になったが、それが聞こえていないニナの表情は、また明るい雰囲気に戻っていた。
しかし、その花も結局はあっけなく終わってしまった。
裏の路地へ出てみると、そこには玄関へ供えられていたのと同じ花が雑草に混じって好き放題に咲いていた。
「……あの花だ」
ニナがぽつりと言った。
弔いの花にしてはあまりに手近な場所から来ていた。
誰かが摘んで玄関先に置いた。
……いや、もしかしたら風に飛ばされていただけかもしれない。
残るは消えた一家のことだけだった。
しかし、それも裏の路地で会った老人に尋ねたら、あっさり真実がわかってしまった。
ここの一家は何年も前にもっと日当たりのいい場所に引っ越していっただけだった。
役所に記録が残っていないのは、越した先に記録を移したから。
そう、一家は消えてなどいない。
「……でも」
ニナは、まだ空き家を振り返っていた。
「誰かが花を置いていた可能性があるのは、ほんとでしょ。そう思うことは、記事にできなかったとしても……悪いことじゃないよね」
「悪くはないさ」
私はいつものように軽い言葉で返した。
「花を置く誰かがいる。そんな可能性を見つけられただけでも無駄足ではなかったよ」
「でも……記事にはならないけどね」
ニナは大きく肩を落とした。
開かれている手帳の頁には、いくつもの調査の結果と書きかけの見出し。
しかし、その先にあるのは"×"の印。
何回目だろうか、あの"×"の印を見ることになるのは。
当たりの取材のときは見出しが三つも四つも書かれている。
しかし、今日のような取材だと、その代わりに"×"の印がつく。
そんな印を書き込んだあとのニナの姿は、正直、あまり気分のいいものじゃなかった。
セオが困った顔で私とニナを見比べている。
私は慰めの言葉をあまり持っていない。
だからいつもと同じ言葉を使う。
「一杯おごるよ」
「……エールね」
「安いのだぞ」
「十分だよ」
「あの……僕も、ご一緒していいですか」
セオが遠慮がちに手を挙げた。
断る理由はない。
ニナが少しだけ笑った。
その笑いが本物になるまでには、たぶん、酒場のジョッキが二つ三つ要る。
私はそれくらいのことならいくらでも付き合ってやるつもりだった。
初日は3話連続掲載でしたが、これで本日の投稿は最後になります。
明日も3話連続掲載の予定で、投稿は12時、16時、20時の予定となっています。
今後の参考になりますので、面白い・続きが気になると思っていただけたら、
評価・ブックマークで応援いただけると嬉しいです。




