第02話 マーレの日常
冒険者ギルドの朝は酒場のなり損ないみたいな匂いがする。
昨夜の酒と、冒険者の汗と、武器の油と、扉から流れ込む都の埃。
私はその匂いにすっかり慣れた顔で依頼札の並ぶ掲示板の前に立っていた。
護衛、荷運びの用心棒、行方知れずの飼い猫探し……
札を上から順に眺めていく。
実入りと、危険と、拘束される日数……頭のなかで手早く天秤にかけた。
派手な討伐の札には目もくれない。
勇者でも名の知れた剣士でもない。
ただの――都で冒険をしない依頼で食っている、いたって普通の冒険者だ。
特別な力はない。
才能もない。
あるのは積み重ねた年月と危ないものを危ないと嗅ぎ分ける感覚だけだった。
それでどうにか一人前になった。
引け目はない。
剣よりこの感覚のほうがよほど安全に依頼を達成させてくれる。
そんな依頼を確認していくと、隊商の護衛が一件――悪くない条件で残っていた。
三日で街道を往復するだけ。
危険といえば、野盗に襲われるかもしれないくらいだ。
しかも安全で名の通った街道だ――つまり、野盗に襲われる可能性も限りなく低い。
これは私向きの退屈で堅実な仕事だ。
この依頼を受けよう。
そう決めて手を伸ばしかけた……そのときだった。
「マーレ! いた、いたいた――ずっと探してたんだから!」
その声がギルドのざわめきを真っ二つに割って飛んできた。
振り向くまでもなかった。
この街で私の名前である「マーレ」をそんなふうに息を切らして呼ぶ人間は……ひとりしかいない。
「……ニナ」
人混みをすり抜けて小柄な影が転がるように駆け込んでくる。
インクの匂いのする外套の裾をひるがえして、ニナが私の腕を両手でつかんだ。
「依頼、探しに来たんでしょ? やめやめ! 今日はあたしのがあるから」
「はぁ……勝手に人の稼ぎを取り上げるな。隊商の護衛をいま押さえるところだったんだ」
「隊商のお守りなんかより、ずっといいって。ううん、それ以上――ビッグな情報を掴んだの!」
ニナの目がいつもより二割増しで輝いていた。
この目をしているときのニナはもう誰の声も聞こえていない。
伸ばしかけた手を引っ込めて小さくため息を吐いた。
ニナは私の幼馴染だ。
同じ田舎の町の同じ孤児院で育った。
ニナの方が一ヶ月だけ早く孤児院に入って、それを盾に今でも姉ぶった顔をする。
孤児院のころから、ニナは「十五歳になったら都に出る」と言い続けていた。
私は――特に目標もなかったし……それに放っておけば三日で身ぐるみ剥がされそうなニナをひとりで行かせる気にもなれなかった。
だから私はニナと一緒に都に出てきた。
最初は二人で一部屋を借りて身を寄せ合って暮らした。
ニナは新聞記者になり、私は冒険者になった。
大人になった今ではそれぞれ別の部屋だが、仕事終わりにはいまだに一緒に酒場で酒を酌み交わしている。
「歩きながら話す。ほら行くよ、マーレ」
ニナに腕を引かれて私たちはギルドを出た。
朝の大通りは荷車と物売りの声で埋まっている。
ニナはその間を猫がやるみたいにするりするりと抜けていく。
私はそんなニナの後ろについていった。
「都はずれの、川沿いの古い空き家。もう何年も人が住んでないはずなのに、夜になると窓に灯りがつくって噂なの」
「浮浪者だろう」
「みんなそう言う。でもね」
ニナは足を止めずにこちらへ顔だけ振り向けた。
「灯りがついた晩の翌朝、家の前に真新しい花が供えてあるんだって。浮浪者がお供えなんかする?」
「花を手向けに来る誰かがいる、というだけの話だ。身内がこっそり弔っているのかもしれない」
「その身内がどこにもいないの。あの家に住んでた一家は何年も前にまるごと消えたことになってる。近所の人もそういえばってくらい忘れているし、役所の記録にも名前が残ってないんだって」
「消えた」という言葉にニナは妙な熱を込める。
名前が残っていない。
誰にも覚えられていない。
あれがいちばん食いつくのがその手の話だった。
放っておけばいつまでも喋り続ける。
私は先回りして訊いた。
「花を見た人間にはもう当たったのか」
「川向こうの豆売りのおばあさん。灯りも花もしっかりと見たって。でも……その人が言うことと、隣の雑貨屋が言うことが、微妙に食い違うのよね。豆売りのおばあさんは灯りがつくのは満月の晩だって言うし、雑貨屋の方は雨の晩だって言うし」
「証言が割れてるなら……片方が嘘か、勘違いじゃないのか?」
「それを確認しにいくの。だ、か、ら、マーレを誘ったの」
ニナはこちらを覗き込むように下から顔を上げた。
そうして外套の襟もとを指でなぞる。
そこには色の褪せた古い鎖のネックレスが一本、いつも下がっている。
ニナは"消えたもの""消えかけているもの"の話をするとき、いつも無意識にそれに触れる。
「誰にも知られずに消えかけているものを、ちゃんと消えないようにしてあげたいの。あたし、そういう記事を書くんだ」
「それが記事になるのか」
「なる。……ううん、する。だから行く」
結局それだった。
私は肩をすくめた。
止めても無駄ならせめて隣にいる。
これが幼馴染の私にできる精一杯だ。
そんなやり取りをしているうちに目的地に辿り着いていた。
その空き家は川のにおいのする裏通りの行き止まりにあった。
空き家の前に若い男がひとり待っていた。
私たちに気づくと律儀に頭を下げた。
「ニナさん、マーレさん。おはようございます。先に着いてしまったので、中には入らず外から様子だけ見てました」
彼はセオ。
ニナの新聞社の同僚で記録係を務めている。
年はニナの一つ下で入社もニナより一年遅い。
つまりはニナの後輩だ。
まっすぐで、素直で、頼まれごとには犬みたいに尻尾を振って駆け出す男だった。
危ないと言えばちゃんと怖がるくせに、記録の役目だけは何があっても一歩も引かない。
ニナに振り回されている私とは、こんな感じで顔なじみになっていた。
「セオ、朝一で頼んだ下調べは?」
「はい。表の井戸の縁に蝋の垂れた跡がありました。それも、けっこう新しいものが」
確かに空き家の前に井戸があり、その縁には蝋の垂れた跡があった。
「あと――玄関の前にしおれかけた花が一輪、このとおりです」
セオが指差した先には、確かに萎れてはいるが、一輪の花が置いてあった。
「ほら見て、マーレ! 花!」
「そうだな、花はあった。だが、灯りの話と繋がるかは、まだわからないぞ」
ニナが唇をとがらせ、セオが困ったように眉を下げた。
「しかし、セオ。勝手に踏み込まなかったのは偉いな」
私が言うとセオはほっとしたように笑う。
「はは、勝手に入ったらマーレさんに叱られますから。それに――なんというか、僕ひとりで入るにはちょっと気が引ける家で」
セオには目にした像を紙や板へ写し取る魔術――"転写"がある。
絵より速く、絵より正確に、そのものを"記録"する力。
文字の記録だけでは足りないものを、セオの転写が写し留める。
ニナの好奇心と文章、セオの転写。
この二人がそろってはじめて取材になり、そして記事ができる。
私はその二人を無事に連れ帰るために雇われている、といった具合だ。
「灯りの正体、供えられた花、住んでいた人の来歴。全部、今日で解明してみせる!」
ニナが指を折って数えあげ、力強く宣言した。
「行こ。さぁ、マーレ!」
「私が先か」
「あなたが先でしょ、護衛なんだから」
当然のように背中を押される。
私は剣の柄に軽く手を添えて軋む扉に手をかけた。
背後でセオが息を詰め、ニナが爪先立ちになって私の肩越しに暗がりを覗き込む気配がした。
――これがただの空き家であればいい、そんなことを思っていた。
初日は4話連続掲載中で、3話目は20時に公開予定となっています。
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