第38話 お祝い
あの館の出来事から、ひと月が過ぎていた。
いつもの安酒場に私たちは集まっていた。
油と煙草の匂いの染みついた、狭い店。
ニナと、セオと、そして、私。
――もっとも、今日はいつもの顔ぶれよりも、ひとり多い。
ハーヴィが少し緊張した面持ちで座っている。
「ハーヴィさん、そんなに固くならないでよ。今日は、お祝いなんだから!」
ニナが、ハーヴィの前にジョッキをどんと置いた。
「は、はあ……。しかし、こうした賑やかな店は、久しく縁がなく……」
「いいのいいの。座って、飲んで、食べる。そして、楽しく会話をする。それだけ! ね、マーレ」
「……ハーヴィさん。うちのが、すみません」
私がそう言うと、ハーヴィはようやく肩の力を抜けたのか、小さく笑っていた。
「まずは乾杯しましょう」
セオはそういうとジョッキを手に取った。
「ニナさん、おめでとうございます」
セオがそういうと、私たちはジョッキを合わせた。
そう、今日はちょっとした祝いの席だ。
ニナの書いた記事が世に出たお祝いだ。
ただ、記事の載った新聞自体は、かなり前に発行されていた。
だから、本当はもっと早く集まりたかったが、ハーヴィの傷が癒えるのを待ち、それぞれの都合をつけているうちに、こんなに時が経ってしまっていた。
しかし、ニナはそんなことは些細なことだとばかりに、テーブルの真ん中に、一部の新聞を広げていた。
その一面には、『誰も知らなかった、ある一家の物語』と、大きく刷られている。
そう、ニナの署名記事だ。
「見て見て! ここ、あたしの名前! でっかく出てるでしょ!」
ニナがジョッキ片手に得意げに紙面を指さす。
記事はあの館の作者不明の美術品のことから始まっていた。
だがそれだけでは終わっていない。
その品々を作者が、実は館の元の主だったこと。
その主には、妻と、幼い息子がいたこと。
しかし、不幸がその息子を襲い、息子を喪ってしまったこと。
そのことに、妻が心を病んでしまったこと。
壊れてしまった家族への贖罪として、主が生涯を捧げ、美術品を作り続けていたこと。
そう、その作者不明の美術品は、愛する妻と息子への贖罪の作品であったのだ、と。
――もっとも、あの"影"や封印のことは、書かれていない。
それは、あの家族の記録には必要ない情報だったから。
もう、この世にはいないあの家族を、私たちの手で、これ以上傷つけてはいけないから。
ただ、書いたところで、誰も信じないだろうが、それでも、ニナは書かないことを選択していた。
「……編集長、最初は、渋い顔してたんだよ。裏の取れない、名前もわからない美術品の話なんて、って」
ニナがジョッキをぐいと呷る。
「でもね、あたし、言ってやったの。『誰かが書かなきゃ、この人たちは、いなかったことになる』って。『あたしたちの手で、もういちど世の中から、殺してしまうのか』ってね」
その目には、あの二割増しの光があった。
――忘れられていくものを、放っておけない。
私は、ふと、ニナの首もとを見た。
そこには、あの色の褪せた古い鎖のネックレスがあった。
自分を捨てた親を、このニナはいまも探している。
その手がかりは、いまだ、なにもない。
その記事は、ちょっとした評判になっているという。
古い美術品を好む好事家から、身元の知れぬ死者を悼む者まで。
"消えた家族"の物語は、思いのほか多くの人の胸に届いたのだと、ニナは少し照れくさそうに言った。
そんなニナの反応を楽しんでいると、セオが何かを思い出したかのように、口を開いた。
「あの……ひとつ、報告が」
そういうと、セオが鞄の中から古い記事の写しを取り出し、そっと記事の上に置いた。
「気になって、うちの社の、古い新聞を遡って調べたんです。そしたら、あったんです。……エドガーさんの記事が」
そこにはこう記されていた。
――ある資産家の男が、都のはずれで、馬車に轢かれて死亡した。
――その資産家の名は、エドガー。
「……それと、もっと古い記事も」
セオが、もう一枚、鞄から取り出すと、さらに上に重ねる。
――幼い男の子の、葬儀の報。
――享年、五つ。
――名は、リオ。
騒がしい安酒場の中で、このテーブルだけが、しんと静かになった。
あの地下で聞いた、無邪気な声が、耳の奥によみがえる。
『ママ、こっちだよ。はやく』
――ほんとうにいたのだ。
あの子も、あの男も。
私たちの白昼夢などではなく、本当に。
「……あたし、記事には、名前だけは、ちゃんと書いたんだ」
ニナがぽつりと言った。
「エドガーさん。リディアさん。リオくん。……もう、"作者不明"じゃない。ちゃんと、名前のある家族だったって、そう書いた」
その横顔は、いつものはしゃいだニナではなかった。
「セオ、ありがとね。みつけてくれて」
その静けさを破るように、今度はハーヴィが居住まいを正した。
「実は……自分からも、ご報告が」
その声はどこか弾んでいた。
「あの館の取り壊しが……取りやめに、なりました」
「え!?」
ニナが身を乗り出す。
「旦那様が、ニナ様の記事を、お読みになったそうで。……それほどの品が遺された館ならば、ただ壊してしまうのは忍びない、と」
「ってことは、まさか」
「はい。修繕をして、追悼の美術館として遺すことになりました。……名を『愛を弔う館』として」
「すっごい! じゃあ、あの美術品、みんな、あの館に残るんだ!」
ニナがぱっと顔を輝かせる。
「あたし、絶対、取材に行く! ……ううん、いちばんの、お客さんになる」
「ふふ。……いつでも、お待ちしております」
――愛を弔う館。
その名を聞いて、私は胸の奥があたたかくなるのを感じた。
あの男が、たったひとりで作り続けた弔いの品々が。
これからは、人の目に触れ、皆があの家族のことを弔ってくれる。
「自分は、その館長を任されました。……ご一家を看取るどころか、これからは、共に過ごしていく側でございます」
ハーヴィは満面の笑顔で、そう締め括った。
その笑みの奥には、あの時の傷が残っていた。
こめかみの傷。
後遺症などはないが、その痕が薄く残ってしまっている。
はしゃいでいたニナが、ふとポケットに手を入れ、小さな巾着を取り出した。
口の紐をほどき、なかのものを、そっと手のひらに転がす。
――小さな、石の欠片。
館を出たあの朝から、ニナはそれを肌身離さず持ち歩いていたのだ。
ニナはその欠片をぎゅっと握りしめた。
そして、手のなかの小さなそれへ、そっと囁いた。
「……また、行くからね。あの館に」
とても優しい声だった。
「あなたたちに、会いに。……ちゃんと、何度でも、会いに行くから」
よかった、と素直に思う。
私たちはあの館で家族を弔った。
ニナが、その物語を記事にした。
セオが、忘れられていた記録を掘り起こした。
そして、ハーヴィが、その家を守り続ける。
――私たちにできることは、ぜんぶ、やることができた。
「……ねえ、マーレ」
ニナが二杯目のジョッキを傾けながら言った。
「あたし、次はもっとおっきい記事、書きたいな」
その目が、またいつもの輝きをはじめていた。
「北の山にね、誰も帰ってこない廃坑があるんだって。噂だと――」
「やめておけ」
私はため息をついた。
「……で、どうせ、私に護衛をしろと言うんだろう」
「へへ、さっすがマーレ! 話が早い!」
セオが困ったように笑い、ハーヴィが目を丸くしている。
「……皆さまは、いつも、こうなのですか」
ハーヴィがおそるおそる訊いてくる。
「ええ。毎度、これです」
私がそう答えると、ハーヴィはこらえきれずに声をあげて笑った。
つられて私まで苦笑いしてしまう。
――まったく、この女は。
だが、それでいい。
なんでもない、こんな夜が、私の幸せなのだから。
それが、いちばんいいのだ。
私は、ジョッキをそっと持ち上げた。
「……あの家族に。それから、私たちのこれからに」
本編はこれにて終了となります。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
……っが、実はまだあと1話あります。
よろしければ、ぜひそこまでお付き合いいただければ幸いです。
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