第37話 帰宅
私たちは本館の玄関を出た。
朝の光が私たちに降りそそぎ、思わず全員が目を細める。
ニナが両腕をいっぱいに広げて朝の空気を深く吸い込んだ。
「……ああ、外だ。ほんとうに、外に出られたんだ」
その声は涙で少し掠れていた。
セオも両手を太陽に翳し、まぶしそうに目を細め高い空を見上げていた。
「……太陽って、こんなにも、眩しかったんですね」
この出来事で彼の何かが変わった、そんな雰囲気を感じさせる声だった。
そして、ハーヴィは扉へと振り返り、ただ静かに見つめていた。
私は、大きく周りを見渡した。
高い塀にぐるりと囲まれた、広すぎる敷地。
膝の高さまで草に埋もれた、かつての庭。
その草をかき分けるように門へと続いている、雑草の生えた石畳。
――ここへ来た、あの時と同じ。
そのことが、現実へと戻ってこられたことを、より強く実感させていた。
――かちり――
うしろから、ハーヴィが扉の鍵を閉める音が聞こえてきた。
「……では参りましょう」
ハーヴィはその言葉に合わせ、私たちは門へと歩みを進めた。
途中、私は足を止め、館を振り返った。
二階建ての本館。
正面にそびえる、塔のような玄関。
いくつも並んだ、カーテンに閉ざされている窓。
建物全体をぬめりと包み込んでいた、あの黒いもやのようなものは、もう、どこにもない。
そこにあるのは、ただ取り壊しを待つだけの建物だけ。
それだけだった。
だが、私たちは知っている。
あの窓の奥で、なにがあったのかを。
サンルームで、食堂で、応接室で。
ガラスから現れる"影"に、幾度も追い立てられた。
あの建物の中に、なにがあるのかを。
リディアとリオ――二人の間にあった温もりを刻んだ母子像。
叶わなかった幸せな未来を描いた、一枚の家族の絵。
そして、あの子――リオのための供養の塔が、ある。
奥に目を向けると、そこにあるのは、渡り廊下でつながった別館。
あの別館の二階に、家族の部屋があった。
すべてが書き残されていた手記を隠していた、夫の部屋。
優しい肖像の掛かる、妻の部屋。
オルゴールの眠る、子供部屋。
そして、幸せだった頃の三人の絵が飾られていた、居間。
そのひとつひとつを思い出すように噛み締めながら、私は、再び歩き出した。
少し歩いたところで、木立の陰に小さな建物が見えた。
撞球室――離れだ。
あの離れの窓から見た、月のない、異様な薄明かりの空。
そして、離れの地下には、工房があった。
私たちは、そこで、たったひとりの男がずっと彫り続けた、弔いの跡を、見た。
私はゆっくりと息を吐いた。
全員で帰ってくることができた。
ニナも、セオも、ハーヴィも、誰ひとり欠けることなく。
---
草を踏む、四人分の足音だけが、朝の静けさに響いていた。
気がつくと、いつの間にか錆びた鉄の門に辿り着いていた。
ここを出れば、本当に終わることができる。
郷愁ともいえない、不思議な感情が湧き上がってきた。
私たちは、この館の封印を壊して、あの家族の過去を無断で暴いた加害者だ。
そして、私たちは、この館に閉じ込められ、襲われた被害者でもある。
しかし、私たちは、あの家族を弔うことができた。
家族ではない、しかし、もう他人としてみることもできない、そんな関係。
名前をつけることのできない、この感情を、私はしっかりと胸に刻む。
私たちはひとりずつ門の外へと出ていった。
そして、最後に、ハーヴィがその門を静かに引きながら、敷地の外へと出ていく。
――ぎい――
錆びた音を立てながら門がしまっていく。
その姿を、私も、ニナも、セオも、黙って見つめていた。
門が閉まると、ハーヴィは腰の鍵束から鍵を選び、錠をかけた。
そして、しばらく門の向こうの館を見つめていた。
「……これで、自分の務めも、ひと区切りでございます」
その声は静かだった。
「取り壊しの日まで、また通うことには、なりましょうが、ただ……あのご一家のことを知ってしまった、いまは」
ハーヴィは私たちの方を振り向いた。
「もう、ただの空き家の管理人では、おられません。……この館は、自分が、最後まで見届けます」
私は頷いた。
「ハーヴィさん。……その傷、ちゃんと診てもらってくださいね」
こめかみには、まだ布が巻かれている。
「はい、必ず、診てもらいますので。……皆さまも、どうか、お元気で」
セオが深く頭を下げた。
「ハーヴィさん。……あなたが、いてくれて、よかったです。……そうでなかったら、僕たち、きっと。……ありがとうございました」
その声は、最後には、震えていた。
「……こちらこそ、でございます。皆さまがいなければ、自分は、なにも知らぬまま、この館を、壊させておりました」
ハーヴィはセオの肩にそっと手を置いた。
「それに、セオ様が、自分を支えてくれなければ、自分は途中で挫けていたことでしょう。こちらこそ、ありがとうございました」
ここで私たちの道は分かれる。
ハーヴィはこの都の端の館を預かる、管理人。
私たちは、こことは違う地区で暮らす、冒険者と、記者と、記録係。
だが……
「……また、会えますよね」
ニナが声をあげた。
「あたし、この取材、ちゃんと記事にするから。……そしたら、みんなで、お祝いしましょう」
その目の輝きは、いたずらを思いついた子供のようだった。
「それに、元はと言えば、あたしがいろいろ壊してしまったせいでもあるし。お詫びの意味も込めて……ハーヴィさん、お願いします」
ハーヴィがふっと笑った。
「……ええ。楽しみにしております」
「やった!」
その答えを、ニナだけでなく、セオも、そして私も、喜んだ。
ハーヴィと別れ、私たち三人は、家のほうへと歩き出した。
背中のあの館が少しずつ遠ざかっていった。
どれくらい歩いただろうか。
ふいにニナが足を止めた。
「……あれ」
その手が上着のポケットのなかを探っている。
そして、そっと何かをつまみ出した。
――小さな、石の欠片。
「……そっか。あたし、あのとき、これを」
それは、母子像の欠片だった。
咄嗟に拾ってポケットに入れて――そのまま、忘れていたのだ。
あの母子像を欠けさせてしまった、そのときから、全てが始まった。
「これ、戻さ……」
そう言いかけてニナは館のほうを振り返った。
しかし、もう館はみえないくらい遠くになっていた。
ニナはその欠片を両手でそっと包み込んだ。
「……ううん。連れて帰ろう」
ニナは強く決意したようだった。
「あたしが、ずっと覚えてる。あの家族のこと。……そして、この子のことも」
――それもきっと、ひとつの弔いの、かたちなのだろう。
そのニナの決意に、セオも続いた。
「僕も、忘れません。……ぜんぶ、この手で、写して残しましたからね」
その鞄には、あの館で写したたくさんの記録が詰まっている。
作者も知られぬまま消えていくはずだった、あの美術品たちの姿が。
私は何も言わなかった。
ただ、心の中で決意していた。
――私も、ずっと、忘れない、と。
三者三様、それが私たちだ。
ニナが、書く。
セオが、写す。
そして私が、そのふたりを守る。
私たちにできるのは、たったそれだけのことだ。
でも、それができるから……
私たちはあの館で、あの家族に出会うことができた。
私たちはあの館から、出てくることができた。
そして、出てくることができたからこそ、あの家族のことを、記録に残すことができる。
記事を書くことができる。
みんなに知ってもらうことができる。
――それは、けっして、無駄なことではないはずだ。
朝の光のなかを私たちは帰っていく。
いつもの、日常へと。
――長い、長い夜が、ようやく明けたのだ。
今日、そして明日はエピローグになります。
この2話で本編終了になりますので、明日もよろしくお願いします。
今後の参考になりますので、面白い・続きが気になると思っていただけたら、
評価・ブックマークで応援いただけると嬉しいです。




