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愛を弔う館 ― 閉じ込められた四人  作者: 智信
第三部

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第31話 オルゴールと祈具

 まずは四つの品を集める、進む道は決まった。

 だが、その前に決断しなければいけないことがある。

 私は長椅子のハーヴィへと向き直った。


「ハーヴィさん。あなたは、ここで休んで、待っていてください」


 私は努めて客観的に聞こえるように言った。


「この居間の窓は、重いカーテンで閉じられている。あれもここへ入ってくる気配はない」


 ハーヴィのこめかみに巻かれている布からは、まだうっすらと血がにじんでいる。

 顔の色も完全には戻りきってはいない。


「それに、あなたの顔色はまだ悪いままだ。だから、ここで待っていてほしい」


 それが、いちばん、理にかなっていた。

 頭を打った人間を、あの本館まで連れ回すなど、正気の沙汰ではない。


「彼女を弔うことができたら、必ず戻ります。……それまで、待っていてください」


 だが……


「……いえ」


 ハーヴィはゆっくりと首を横に振った。


「自分も、ついていきます」


 その声は掠れていたが揺るがなかった。


「……ハーヴィさん」


「この館は、自分が、任された館でございます。……雇われて、日の浅い身でございます」


 ハーヴィの声が少しずつ熱を帯びていく。


「……取り壊しの前に、ただ預かるだけの、空き家の管理人のつもりでおりました。ですが、あの手記を、読んでしまいました。ここで生きた、ご一家のことを、知ってしまった以上……もう、ただの管理人では、おられません。あの奥さまを、弔うところまでは、ご一緒したいのです」


 その言葉に、セオがハーヴィの隣でこくりと頷いた。

 ニナも何も言わず、ただまっすぐにハーヴィを見ている。


 ――誰もこの人を止めようとはしない。


「……また、危険なことが起きるかもしれない。庇いきれないかもしれない。それでもか」


「はい」


 即答だった。

 ハーヴィの目は、決意したものの目に変わっていた。


 私は短く息を吐いた。


 ――こういう目をした人間は、止まらない。


 それはニナでいやというほど知っていた。


「……わかりました」


 私は預かっていた鍵束をハーヴィへと差し出した。


「なら、約束します。あなたも、ニナも、セオも。……私が、必ず守ります」


 ハーヴィが目を見張った。

 そして、震える両手で、その鍵束を力強く受け取った。


「……ありがとう、ございます」


 ――誰も置いていかない。


 私は自分の心の芯にそう誓った。


---


 居間から広間へ通じる扉は壊れたまま開かない。

 私たちは来た道を引き返した。

 居間から食堂へと戻り、厨房を通り抜け、使用人の廊下からふたたび別館の広間へと戻る。

 そして二階へと続く階段を上りはじめた。


 階段を上がるあいだも、あの"影"の気配は絶えずまとわりついてきた。

 温もりの失せた冷えた空気。

 どこからか見られているような粘つく視線。

 この別館への侵食は徐々に深くなっていっていた。


 階段を上りきり、二階の廊下へと出ると、いちばん手前の部屋へと向かった。


「まずは、子供部屋だ」


 ハーヴィが鍵束から一本を選び、扉を開けた。


 小さな寝台。

 背の低い机。

 棚に並んだたくさんの絵本。

 壁には無邪気に笑う幼い男の子の肖像画。


 ――リオ。


 その部屋は、あの子がいまにも駆け込んできそうなほど、時が止まったように静かだった。


 ――だが、この部屋の主は、もういない。


 誰もすぐには部屋に入らなかった。

 ここは、みだりに立ち入っていい部屋ではない。


「……おじゃまするね」


 ニナが部屋に向かい、小さな声でそう言った。


 私も静かに目を伏せた。

 どうか安らかであってほしい。

 声にはしなかったが、そう強く願った。

 ハーヴィも、セオも、同じように頭を垂れている。


 しばしの沈黙は、この部屋で確かに生きた幼い子への、ささやかな弔いだった。


 やがて私たちは顔を上げた。


「……探そう。あの子の、オルゴールを」


 部屋へと、一歩、踏み込んだ。

 その瞬間、空気に温もりが戻ってきた。


 ――あの"影"は、やはりリディアだ。


 そう、改めて理解した。


 私たちは手分けして部屋を探した。


 それは机の上にあった。

 木でできた小さな箱。

 埃をかぶってはいたが、蓋には丁寧な彫りで羽を広げた小鳥が象られていた。


 ニナがそっと持ち上げた。


「……子どものための、オルゴールだ」


 その声が少し震えた。


「ねえ、マーレ。……この箱の曲を、あの子は、きっと何度も聴いたんだよね……」


 ニナの指が蓋の小鳥をそっと撫でた。


「どんな曲なんだろう。……あの子が、いちばん、好きだった曲」


 ニナが私を見た。


「……鳴らしてみても、いいかな?」


 私は頷いた。

 ニナが蓋の脇の小さなねじをそっと巻いた。

 かちり、かちりと、乾いた手応え。


 そして、蓋を開けた……


 ――ぽろん――


 澄んだ音が部屋中に響き渡っていった。


 それは優しい旋律だった。


 子どもが口ずさむような……

 母が、子守唄を、聞かせるような……


 私はいつの間にか目を閉じていた。

 それはきっと、ハーヴィも、セオも、そしてニナも、同じ。

 消えてしまったささやかな幸せの音に、静かに聴き入っていた。


 やがて旋律はゆっくりと途切れた。


 ニナが名残惜しそうに蓋を閉じる。


「……次にこれを鳴らすのは、あの人の前で、だね」


 ニナはそれを胸に抱いてからセオへと差し出した。


「……セオ、お願いできる? あんたの鞄なら、割れる心配も、ないでしょ」


 セオは頷くと、受け取ったオルゴールを布で幾重にもくるみ、鞄の底へとそっとしまった。


---


 私たちは子供部屋をあとにした。


 ハーヴィが扉を閉め、鍵束から一本を選ぶ。

 かちり、と、錠のかかる音。

 もうこの部屋に用はない。

 あの子の眠りを、これ以上、乱すまい。


「……次は、隣の……彼女の部屋だ」


 ハーヴィが、鍵束から別の一本を選び、錠を外した。

 私たちは扉を開け、彼女の部屋へと入っていった。


 窓辺のひとりがけの椅子。

 奥のゆったりとした寝台。

 入り口の脇には鏡の外された古い化粧台。


 そして壁には――優しい微笑みを湛えた、彼女の肖像画。


 ――リディア。


 私たちは、しばらくその絵の前で動けなかった。


「……この人が」


 ニナが呟いた。


「この人が、あれに……」


 絵のなかのリディアはどこまでも穏やかだった。


「……こんなに、優しそうな人なのに」


 その声には、責めるでもなく、ただ悲しみだけが溢れているようだった。


 私も、同じだった。

 ハーヴィも、セオも、その絵をじっと見上げていた。


 手記で彼女がたどった道を私たちは知っている。

 リオを喪い、悲しみの末、あの"影"へと変わり果てたことを。

 だからこそ――この穏やかな微笑みがいっそうつらかった。


 ふと視線を下げると、その絵の真下――小さな卓の上に、ひとつの箱が置かれていた。

 箱の蓋には長い年月の埃がうっすらと積もっていた。


 私は埃をやさしく払い落とし、そっとその蓋を開けた。


 なかに納められていたのは――手のひらほどの、小さな木の盤だった。

 月と、太陽と、いくつもの星が、彫り込まれている。

 そして、その一つ一つに、祈りが込められているようだった。


 盤の両の縁は、人の手の跡が、色濃く残っていた。

 幾度も握りしめられたのだろう。

 これが祈りを捧げるためのものであることは、ひと目でわかった。


 ――赦しを、乞うた、祈具。


 書き置きのあの一行が、耳の奥でよみがえる。


 エドガーはこの盤を握りしめ、絵の中の妻に何度も祈ったのだろう。


 ――彼女は悪くない。どうか、赦してやってほしい、と。


 私は、それをそっと両手で持ち上げた。

 そして、セオに手渡すと、セオは丁寧に布で包み鞄の底へ、そっとしまった。


---


 これで二つ。


 オルゴールと、祈具。


「残りは、本館の二つだ」


 私は皆を見た。


 母と子の像と、叶わなかった未来の絵。


「……行こう」


 剣を提げた私が先頭に立つ。

 その後ろに、ニナ。

 次いで傷を負った、ハーヴィ。

 そして最後に画板を手にしている、セオ。


 私たちは別館をあとにする。

今後の参考になりますので、面白い・続きが気になると思っていただけたら、

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