第27話 探索
離れの撞球室を後にし、あの地下の工房と隠し通路を抜け、書斎に戻ってきた。
重いカーテンが窓をしっかりと覆っている。
あの"影"の通り道になるガラスの面は、いまはこのカーテンの裏だ。
それでも私は念のため、カーテンの合わせ目に隙間がないことを注意深く確認した。
ほんの一筋でもガラスがのぞけば、あの"影"はそこから覗きこんでくる。
もう何度も思い知らされた。
問題がないことを確かめ、私は三人を振り返った。
「手分けして探す。館の主が書き残したもの――日記でも、覚え書きでもいい。あれが何なのか、少しでも手がかりになりそうなものを」
三人が頷き、めいめいに部屋のなかへと散った。
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書き物机の上にも、その傍らの棚にも、書類が無造作に積まれている。
先ほど、一度、抜け道を探して漁った部屋だ。
だがあのときは隠し通路を見つけたところで確認をやめたので、いくつかの書類や本は検めてはいない。
ニナが真っ先に机の書類の束に飛びついた。
セオは棚の下の引き出しをひとつずつ丁寧に検めていく。
ハーヴィは壁一面の書棚に向かい本を一冊ずつ抜いては確かめていった。
私もハーヴィにならい、書棚の本を一冊ずつ確認していく。
しばらく書斎には紙の擦れる音だけが満ちていた。
だが……めくってもめくっても目的の情報を見つけることができない。
その手がかりさえ、どこにもない。
私が手に取った帳面も同じだった。
どの頁をめくっても几帳面に並んだ数字と記された署名ばかり。
仕入れ、売り、貸し、返し――記されているのはそれだけ。
この男が日々何を思い何を抱えて生きていたのか……そんなものはどこにも書き遺されてはいなかった。
「……また、売った買ったの紙」
ニナが束を置いて肩を落とす。
「取引の証文、送り状、貸し借りの覚え書き……この人、よっぽど商いに忙しかったんだね」
ハーヴィも書棚の本を棚へ戻しながら静かに首を振った。
「こちらも、会計簿と、取引の記録ばかりでございます。……あれにつながるようなものは、何も」
セオが引き出しから見つけた数通の紙を手に遠慮がちに口を開いた。
「あの……手紙も何通かありました。でも、どれも取引の相手からの……用件だけのもので」
ふとハーヴィの手が止まった。
書棚のいちばん奥、埃をかぶった段の隅に、赤い紐で幾重にも束ねられた紙束がひとつ。
「……これは」
ニナが身を乗り出す。
私はニナを押し留めるようにし、ハーヴィに一つ頷く。
ハーヴィがその紐をそっと解く。
だが……なかから現れたのはただの取引の証文の束だった。
ニナの肩からふっと力が抜けた。
結局、この部屋にあるのは、館の主の取引の記録だけだった。
その瞬間、私の頭の中に一つの考えが浮かんできた。
――工房……憑かれたように、たったひとりで、何かを造りつづけるための部屋。
――撞球室……窓へ向けて据えられた、ひとりがけの椅子、くつろぎのための部屋。
そして……
――書斎……取引の記録だらけの、仕事のための部屋。
私は、手を止めた。
部屋には意味がある。
そして、意味にあわないものは、その部屋にはない。
だとすれば……
……胸のうちを書き残したものも、こんな仕事のための部屋に置くはずがない。
「……ニナ」
そして思い出したのはニナの言葉。
――書斎って、別館の二階の、あの本がいっぱいの部屋だよね。
私は顔を上げた。
「お前、さっき、書斎を別の部屋と間違えていたな。……別館の、二階の」
ニナがきょとんとして、それからはっと目を見張った。
「……あ。本が、いっぱいあった、部屋」
「ああ。ハーヴィさんに、書斎はこっちだと正されて、お前は驚いていた」
あのとき訂正された別館二階の本ばかりの部屋。
あれは――館の主のための部屋だ。
誰にも見せず胸のうちを書き残すとすれば、あの自分だけの部屋のほうだ。
「そこだ。……あの部屋を調べる」
ニナがこくりと頷いた。
「あの部屋の紳士の肖像画……ニナさんが、優しそうだけど、どこか寂しそうって言っていましたよね。……僕も同じことを感じていて……」
セオが少しためらうように私を見た。
「……その人の、過去を、覗くことになるんですね」
「ああ」
私は正直に肯定した。
「私だって気が進まないさ。……だが、きっと私たちは、それを知らなければ、ここから出られない」
セオもこくりと頷いた。
その目にもうためらいはなかった。
ハーヴィが鍵束を握りしめて頷いた。
「……ご案内、いたします」
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書斎を出て薄暗い広間から渡り廊下へと向かった。
私は先頭に立ち、カーテンの隙間に、ガラスの気配に、目を配りながら進んだ。
すべての窓は重いカーテンで閉じられている。
しかし、この古い館では、何が原因でカーテンが開いてしまうか、わからない。
そう、あの手すりのように。
渡り廊下を渡り別館へ足を踏み入れた、その瞬間だった。
ふいに空気が変わった。
冷えきった本館とは違う、人の体温のような……説明のつかない妙な暖かさ。
冷えた石と埃の匂いのなかに、かすかに人肌の温もりの名残のようなものがまじっている。
人のいた部屋特有の、あのやわらかな温もりがこの別館に残っているような、そんな雰囲気。
ニナが小さく身震いした。
「……やっぱり、ここ変な感じ。前に来たときも思ったけど……」
セオも落ち着かなげに周りを見回している。
「……なんだか、いまも、誰かの息づかいが、聞こえてきそうですね……」
消え入りそうな声でセオがつぶやいた。
私も同じものを感じていた。
人の営みがなくなった館で、この別館だけがまだ誰かの暮らしの温もりを手放していない。
まるで住人たちがつい先ほどまでそこで笑い語らっていたかのように……
いまにも二階の廊下から子供の足音が駆けてきてもおかしくないような……
――だが、この館には私たち以外はいない。
行き場をなくした温もりだけが人々の消えたあともそこに漂っている。
それが、いまはただ薄気味悪かった。
だがそれを口にする代わりに私は階段へと足を向けた。
「気にするな。……行くぞ」
軋む階段を一段ずつ登り、二階へと上がっていく。
二階へと辿り着くと、廊下をたどり、奥へと進んでいく。
そして、私たちは廊下の一番奥の扉の前で足を止めた。
「こちらが、前のご当主の私室でございます」
ハーヴィが鍵束から一本を選び、鍵穴に差し込む。
かちり、と乾いた音がして扉の鍵が外れた。
私は把手に手をかけ、扉をそっと押し開けた。
まず窓を見た。
重いカーテンが隙間なく引かれている。
その裏のガラスは余さず覆われていた。
――ここならあの"影"は手を出せない。
いつの間にか止めていた息を吐くことができた。
それから、あらためて部屋の隅々へ目を走らせる。
そこは変わらぬ静かな部屋だった。
壁の一面を天井まで届く作りつけの本棚が埋めている。
びっしりと詰まった革表紙の背表紙の列。
その前に大きな机がひとつ。
主を失った椅子がきちんと机の下へ収められている。
奥にはもう使われることのない大きな寝台。
男が過ごしていた気配だけが濃く残っている。
――この部屋は、大丈夫だ。
私は後ろの三人を振り返り小さくうなずいてみせた。
そうして私たちは部屋の中に足を踏み入れた。
私は壁に掛かった一枚の肖像画を改めて見つめた。
少し硬い表情の、しかし穏やかな眼差しの紳士。
あの工房や撞球室を見たからだろうか、先ほどよりも、その目にどこか悔いを含んでいるように感じていた。
もし、この館のどこかにこの紳士の心が遺されているとすれば……
――それは、きっと、この部屋にある。
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