第24話 隠された道
「小さな灯りだけを頼りに、私たちは一段ずつ闇の底へと下りていく」
—— 隠されていた地下道
階段は想像していたよりもずっと深く長かった。
セオの掲げる小さな灯りだけを頼りに、私たちは一段ずつ闇の底へと下りていく。
壁も、段も、剥き出しの石。
一段下りるごとに、空気が、少しずつ冷えていくようだった。
誰も、口をきかなかった。
石を踏む四人ぶんの足音だけが、狭い闇に、こつ、こつ、と響いていた。
どれほど下りただろう。
やがて、爪先が、平らな床を捉えた。
「……底に着いたみたいだな。セオ、灯りを、前に」
セオが震える手で灯りを掲げ直す。
照らされた先にはまっすぐ続く通路があった。
私は剣を構えたまま、その通路を、一歩、また一歩、前へ歩いていく。
数メートルいや、十メートルを超えたくらいだろうか。
目の前に、それが現れた。
無骨な扉。
ハーヴィも知らない通路の先にある扉。
私は振り返り、三人の顔を見た。
その瞳には不安の色が滲んでいる。
だが、誰もこの扉を開けるな、そういう思いを滲ませてはいなかった。
「開けるぞ」
ニナも、セオも、ハーヴィも無言で頷いた。
私は扉の方に向き直し、把手に手をかけた。
呼吸を整え、心を落ち着かせる。
そして、私は扉を開いた。
扉の先に広がっていたのは、闇。
ただ、広い闇だった。
小さな灯りの光では、その果てがどこにあるのかも、わからない。
「セオ。灯りを、ゆっくり、まわしてくれ」
「……は、はい」
セオの灯りが、ゆっくりと、闇をなでていった。
――そして。
浮かび上がったものに、私たちは言葉を失った。
---
絵だった。
壁という壁に、幾重にも立てかけられた、無数の板絵。
いや、絵だけではない。
床には、彫りかけの石像が、いくつも、いくつも。
組みかけの木の枠。
削り出された石の塊。
色を塗られた板。
棚には、絵筆が、ノミが、そして見たこともない道具が、隙間なく並んでいた。
そして、灯りが届かないその先にも、どこまでも作りかけのものが並んでいるようだった。
私はようやくこの部屋がなんであるのかを悟った。
――工房だ。
誰かがこの闇の底の工房でひたすらに美術品を作り続けていた。
その痕跡が、この広い部屋の隅々までを埋め尽くしていた。
私はいつのまにか剣を下ろしていた。
斬るべきものなどここには何もない。
地の底、闇の底のこの部屋には、窓も、ガラスもない。
あの"影"が忍び込む隙間はなにもなかった。
あるのは、ただ途方もない量の――誰かの跡だけだった。
「……こんな、部屋が」
ハーヴィが呆然と立ち尽くしていた。
「自分は、何も、存じませんでした。館に、このような工房があったなど……」
ハーヴィの声は途中で途切れた。
その先を続けられる者は誰もいなかった。
---
ニナがふらりと一歩前へ出た。
イーゼルに立てかけられた描きかけの板絵にそっと手を伸ばす。
その指先で幾年分もの白く積もった埃を、優しく払い落としていた。
「……マーレ。これ」
その声がかすかに震えていた。
「これ……館中にあった、あの美術品と、同じだ」
震えながらも、その声は確信に満ちていた。
「作者のわからない、たくさんの、あの品々。……あれ、ぜんぶ」
ニナが部屋をぐるりと見まわす。
「ここで、造られたんだ。……たった、ひとりで」
――たった、ひとりで。
その言葉が、冷たい何かを私の心の中に落とした。
館中に飾られていたあの美術品の数々。
銘がなく、作者がわからなかったあの美術品の数々。
それが、すべて、この闇の底で生まれていた。
いつものニナなら、こういうとき真っ先に飛びつくはずだった。
すごいすごいとはしゃぎ、片端から書き留め、写させ、大きな記事にするのだと目を輝かせて。
だが、いまのニナはただ静かに立ち尽くしているだけだった。
伸ばしていた手は、今はそっと胸にしまっている。
それはまるで触れてはいけないものに触れてしまった後のように。
「……なんか、悪い気がする」
ぽつりとニナが呟いた。
「これ、勝手に見ちゃ、いけなかった気がするんだ。……うまく言えないけど」
私も同じ気持ちだった。
だが、それでも私は灯りの端に浮かぶその板絵の群れに目を凝らしていた。
そしてあることに気がついてしまった。
似ているのだ。
立てかけられた絵も、彫りかけの像も、その多くが、何かひとつの結果に辿り着こうとしているようだった。
何度も、何度も。
少し違えては、また一から。
少し届かなくては、また一から。
それでも辿り着けず、しかし諦めきれず。
そしてまた、何度も、何度も。
だから、すべて途中で投げ出されていた。
この工房に、完成したものは、ひとつも見当たらない。
造っては諦め、また一から造ろうとした――足りなかった何かだけが、この部屋に満ち溢れていた。
いったい誰が、どれほどの時をここに費やせば、これほどの数が積み上がるのか。
そして――なぜ、それを、こんなにも深く、暗い場所で作り続けていたのか。
問いばかりが次々と湧いてくる。
だが、その答えはここにはなかった。
---
「……旦那様が、この館を、買い取られる。そのずっと以前のもの、なのでしょうな」
声を落としたのは、ハーヴィだった。
「この暗がりで、どなたかが、たったひとり。……来る日も、来る日も、これを」
その目は、足元に積もる埃と、無数の作りかけのものとのあいだを、ゆっくりと、幾度も行き来していた。
「この場所も、館の一部であるはずなのに、自分は、そのことを、何ひとつ、知らずにおりました」
畏れとも、悔いともつかないものが、その声には滲んでいた。
---
セオは灯りを片手に、彫りかけの石像の前にしゃがみ込んでいた。
「……この、石像」
ぽつりとセオが言った。
「温もりを感じるのに、でも、それ以上に、悲しみを感じてしまう。……きっと悲しみを込めたくはなかったんです。だから、これ以上、彫るのをやめてしまっている。そんな気がするんです」
見たものを写しとることにかけては、誰よりも敏いこの子だ。
その目は、造り手が込めたものまで感じ取ってしまうのかもしれない。
「……ねえ、セオ。これ、ぜんぶ写せる?」
ニナがすがるように問う。
だが、セオは力なく首を横に振った。
「無理です。……多すぎて。とても、一日や二日じゃ」
セオですら写しきれない量。
それがこの部屋に眠る誰かの費やした時間の重さだった。
---
私は逸れかけた意識を静かに引き締め直した。
ここが何なのか、誰が造っていたのか、その答えはいまはいい。
大事なのはこの先に続く道があるかどうかだ。
私は部屋の奥へと目を凝らした。
――あった。
無数の作品のそのさらに奥。
この部屋のいちばん奥に上へと続く階段が見えた。
この闇の底からどこかへと昇っていく道。
「……あそこに、上への階段がある」
私が指し示すと、三人の目がその一点に集まった。
「隠し通路で下ったから、今度は上るって、それはわかるんだけど……こんな地下の工房とか、ほんとこの館って、どうなってるのよ」
ニナがいつもの調子で軽口を叩いた。
だが、そんなことが言えるなら大丈夫だ。
ニナのその声が聞けて、私は少しだけ肩の力を抜くことができた。
「行き止まりじゃ、なかっただけ、ましだろう」
「うわ、マーレがそういうこと言うの、めずらしい」
ニナが口の端をゆるめる。
「僕は、平気です。……マーレさん、灯りは任せてください」
セオが灯りを握り直した。
「自分も、大丈夫です」
ハーヴィも深く頷いた。
開かない扉の前で崩れ落ちたあのときの姿は、もうどこにもなかった。
この道はまだ続いている。
私はもう一度刃こぼれの剣を握り直した。
答えの見えない問いはひとまずこの闇の底へ置いていく。
――いまは、ただ外へ。
私たちは奥の階段へと歩き出した。
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