第23話 書斎
「ほんとうに、あったんだ。造った本人しか、知らない道が」
—— 地下道の発見
渡り廊下を抜け、私たちは本館の広間へと戻ってきた。
この広間に来たのは何回目だろうか。
私は改めて、この部屋を見渡す。
カーテンで閉ざされた大窓。
二階の廊下に残る、ニナが壊した手すりの跡。
その真下に、落ちて砕けた木片。
そして、それらが散った先にある、塔のような美術品。
その後ろの隠し扉。
そんな私の視線の先は、今、ハーヴィの前にある扉に移っていた。
玄関の隣、階段の反対側。
そこにある扉。
「こちらが書斎となります」
ハーヴィが鍵束から一本を選び、鍵穴に挿して回す。
かちり、と解錠の音がした。
「この書斎には窓がございます。もちろんカーテンを閉めてはおりますが、十分にご注意ください」
そのハーヴィの注意に、私とニナ、そしてセオは、ひとつ気を引き締めた。
私が把手を引くと、扉は低くきしみながら開いた。
皆を手で押しとどめ、先に一歩、足を踏み入れる。
狭くはない部屋だった。
壁の一面を天井まで届く大きな書棚がふさいでいる。
中央には古い書き物机がひとつ。
そして、ハーヴィの言葉通り窓がひとつあった。
重いカーテンでぴたりと閉ざされている。
――カーテンが閉じているのならば、いい。
私はカーテンから目を離さぬまま、後ろの三人へ告げた。
「入っていい。……ただし、カーテンには、絶対に触れるな。開けた瞬間、あいつが襲ってくる」
三人がこわばった顔でうなずいた。
---
部屋のなかは埃と古い紙の匂いで満ちていた。
書き物机の上にも、その傍らの棚にも、いくつもの書類が無造作に積まれていた。
ハーヴィの言ったとおりだった。
この部屋には館の情報が眠っている。
「手分けして探すぞ。館の図面か、抜け道につながりそうな手掛かり。それらしいものは、どんなものでも見逃すな。……ただし、くれぐれも、窓とカーテンには近づくなよ」
三人は頷くと、それぞれ、書斎の中を調べ始めた。
ニナが机の書類へ飛びつき、セオは棚の下の引き出しを、順に検めていく。
その後ろでハーヴィが書棚の本を確かめている。
私もハーヴィと共に書棚を調べることにした。
やがて、セオが一枚の図面を見つけた。
「……これ、この館の図面、みたいです」
私は、書棚を調べる手をいったん止め、セオが見つけた図面を覗き込んだ。
たしかに本館と別館の間取りが描かれていた。
私はそこに、壁の裏を抜ける道か、床の下へ潜る段か、そういったものが描かれていないかを探した。
だが、どれだけ目を凝らしても、図面には、私たちが知っている出入り口しか描かれていなかった。
「……ないな」
「はい。……でも、念のため、写しておきます」
セオが転写をはじめる。
手のひらが淡く光り、図面の線、一本一本が紙へと移っていく。
ハーヴィも書棚の本を一冊ずつ確認していたが、特に手掛かりが見つからないようだった。
「会計簿や取引の記録、さまざまな記録はございましたが……抜け道のことなど、どこにも」
ニナも机の書類を確認しては、ため息をついていた。
「うう、こっちも、売った買ったの紙ばっかり。年号と、署名と、金額……眠くなってくる」
そんな姿に、私は少しだけ口元をゆるめた。
「隠された道なんだ、ちょっと調べただけで見つかるなら、それは隠されていないのと同じだよ。だから、諦めないで、片端から探すしかない」
そんな私の言葉に、ニナが書類の束を放り出した。
「ねえ、マーレ。やっぱり、図面には載ってないんだよ!」
「……そう、だな。図面に描けば、誰かに知られる」
「そう! 造った本人しか知らない道なんだもん。紙になんて、残すわけない」
ニナの声が妙に確信めいて弾んだ。
――だとすれば、私たちが探すべきは紙の上ではない。
私はあらためて部屋のなかを見回した。
護衛をするときの癖……
どんな部屋でも、出入り口を数え、身を隠せる場所を探し、そして――どこか、おかしいところはないかと目でなぞる。
カーテン……違う。
扉……違う。
書き物机……違う。
壁……違う。
壁一面の書棚……そこで私の目が止まった。
なぜ、と問われてもうまくは言えない。
ただ、その書棚だけが、どこか、そう、どこか、座りが悪かった。
私は書棚へと歩み寄り、その足元に目を凝らした。
――床だ。
書棚の足元。
敷かれた絨毯の毛が、そこだけ不自然に薄れていた。
まるで幾度も重いものが動かされ、そのせいで毛が抜けていったかのように。
「マーレ? どうしたの」
「……この棚。動くかもしれん」
私の言葉に三人の手が止まった。
そして、セオが何か気が付いたかのように、この館の図面をもう一度広げはじめた。
「……マーレさん。この図面の書斎。実際より、少し広いです」
「なに?」
「ちょうど、この書棚の方向。この部屋の奥行きよりも、図面のほうが、奥行きがあります。図面にあるはずの空間が、無いんです」
セオの指が図面の一点と目の前の書棚とを交互に差した。
転写を重ねてきたこの子の目は寸分の狂いも見逃さなかった。
私は書棚の縁に指をかけ、力を込めて押した。
だが、動かない。
今度は押すのではなく、手前へ引くように体重をかけた。
ごとり、と重い手応えが返ってきた。
書棚が壁ごとゆっくりと手前に移動してくる。
そして、書棚のあった場所にぽっかりと暗い隙間が開いた。
人ひとりがようやく通れるほどの隙間。
その奥に下へと続く狭い段が見えた。
灯りの届かぬその底は、ただ黒く沈んでいる。
「そんな……こんなものが、この館に」
ハーヴィが掠れた声を漏らした。
「この書斎に……このような道があったとは……」
セオも、初めて見るものを前に、言葉を失っていた。
「……あった」
そしてニナが、感極まったように、震える声で呟いた。
「ほんとうに、あったんだ。造った本人しか、知らない道が。……ね、言ったでしょ、マーレ」
その顔は、自分の空想が現実になった喜びで、いたずらの成功した子供のように輝いていた。
私は、その笑顔に、苦笑いで返すことしかできなかった。
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私は腰の剣を静かに引き抜いた。
だがその剣はいたるところが刃こぼれしている。
これは、サンルームで、食堂で、応接室で、襲いかかってくるものを片端から叩き落とした、その代償だ。
もう、まともに斬れる刃ではない。
研ぎ直すことも、もう無理だろう。
それでも、いまの私に残された得物は――私たちを守れる唯一のものは、この一振りだけだ。
その一振りを強く握り締め、暗い隙間の奥に見える階段を見つめた。
この道がどこへ通じているのか、その底で何が待っているのか、何ひとつわからない。
だが、目に見える出口はすべて塞がれ、残されたのはこの闇へと落ちていく一本の階段だけ。
――ならば、行くしかない。
「この階段を進む、ニナ、セオ、ハーヴィさん、それでいいな」
三人は迷うことなく頷いた。
「よし、では私が先に行く。セオ、灯りを持って、私のすぐ後ろに」
「わかりました」
セオは深くうなずいた。
その横顔からもうあの怯えは消えていた。
「ニナは、そのまた後ろだ。特に足元には注意してくれ」
「うん、わかった」
ニナもこくりとうなずく。
だが威勢のいい返事とは裏腹に、その指先は上着の裾を固く握りしめていた。
「そして……ハーヴィさん、殿を、頼めますか」
「はい。……では、こちらの灯りを、どうぞ」
ハーヴィが、手燭がわりの小さな魔道具をセオの手へと握らせた。
その心もとない灯りだけが、これから下りていく闇の中での、たったひとつの頼り綱になる。
私はひとつ深呼吸をし、そして暗い階段へと片足をかけた。
その空間は、ひやりと冷たかった。
一段下りるごとに、背後の灯りが遠ざかっていく。
淀んだ空気が下から、私たちを迎えているようだった。
――この四人で、必ず、生きてここを出る。
その思いを胸に、私は闇の底へと足を進めていった。
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