第22話 整理
別館の広間へ戻ると私たちはめいめいに腰を下ろした。
ハーヴィは壁を背にゆっくりと床へ座り込む。
セオはハーヴィの隣に付き添うように腰を下ろした。
ニナは私のそばで膝を抱えていた。
「現状を整理しよう」
私は、頭のなかでこれまでの道筋を並べ直していた。
玄関は鍵が開いているのに開かなかった。
いま引き返してきた別館の使用人のための扉も同じだった。
サンルームも、食堂も、応接室も――ガラスにあの"影"が現れた瞬間に部屋の中のものが襲いかかってきた。
外へ通じる場所は、扉なら開かず、窓ならあの"影"が待ち構えている。
どちらからも私たちは外へ出ることができない。
――目に見えている出口は、もう、ない。
認めたくはないが、それが今の現実で、結論だった。
それはまるでこの館が外の世界から切り離されているようだった。
だが、それをこのまま口にするわけにはいかない。
三人の前で「出口はない」と言い切ってしまえば、三人の希望の糸がそこで切れてしまう。
そして、その先にあるのは、絶望だけ。
そう、絶望はいちばん最後まで隠しておかなければいけない。
「……ひとつめ、はっきりしたことがある」
私は平坦な声で三人に向かって口を開いた。
「あいつが出てくるのは、いつも、ガラスのある場所だ。サンルームのガラス、食堂の窓ガラス、そして、応接室の窓ガラス。……そのガラスの中に、あいつは現れる」
「逆に、言えば……」
セオが遠慮がちに私の言葉を継いだ。
「窓のない、ガラスのない部屋なら……襲われない、ってことですよね」
「そうだ。現にこの広間も、さっきの石壁の廊下も、何も起きていない」
セオは、自分の言葉が間違っていなかったからか、安堵したように息を吐いた。
「さらに言えば、そのガラスも、カーテンで隠されていれば、あいつが現れることはなかった」
「つまり……ガラスが見えなければいい、そういうことですね」
私はセオのその解釈にうなずいた。
少し前まで震えるばかりだった子が、いまはこうして自分の頭で先を継いでくれている。
「じゃあ……ずっと、窓のない部屋にいれば」
ニナが顔を上げた。
だが、その先を言いかけて、自分で口をつぐむ。
「……だめか。それじゃ、外に出られないんだ」
「そういうことだ」
安全と、出口は、別のものだ。
窓のない部屋に閉じこもっていれば、あの"影"からは逃れられる。
だが、そのまま朝が来て何も変わらなければ――いつまでも、この館のなかにいるだけだ。
「……ふたつめ、この館の扉を開くことはできない」
私は、あえてハーヴィを見ながら、このことを告げた。
「玄関の扉も、この別館の扉も、どちらも鍵は開いていた。しかし、扉を開くことができなかった」
ハーヴィは肩を落としながらも、その現実を言葉に変えた。
「はい。扉の先に、動かせない、何かがあるかのような……どんなに強く押しても、どんなに叩いても、だめでした」
「あぁ、私もそう感じた」
ハーヴィもすこしは回復してきているようで安心できた。
これもセオのおかげだろう。
「扉もだめ、窓もだめ……というわけで、ニナ、さっきの話だ」
「……さっきの話って、あたしがさっき廊下でした話?」
「そうだ、隠された道の話だ。セオと、ハーヴィにも、その話をしてくれ」
私が先を促すと、ニナは小さくうなずいた。
「えっとね、あたしが好きな探偵小説にね、こんな話があったの。古いお屋敷が舞台で、全部の出入り口にしっかり鍵がかかっているのに、そのなかで事件が起きる……そういう話」
ニナの口が少しずつ滑らかになっていく。
好きな物語のことを話すときはいつもこうだ。
その姿に、いつものニナが戻ってきたことを感じた。
「そのお屋敷にはね、館の主が、誰にも知られないように造った道があったの。そのお話では、暖炉の奥だったけど、他の小説だと、壁の裏とか、書棚のうしろとかだったりもした。……名探偵は、いつだって、その抜け道を見つけて、謎を解くんだ」
「……それ、小説の話ですよね」
セオが困ったように眉を下げた。
ニナを否定したいわけではないのだろう。
信じたいのに、それが絵空事だとわかってしまう――そんな顔だった。
「うん、小説の話。……でも」
ニナはまっすぐに私を見た。
「あたしたち、いま、その小説みたいな状況にいるんだよ。ぜんぶの出口が、ありえないかたちで塞がれてる。……だったら、ありえない出口が、ひとつくらい残ってたって、いいと思わない?」
理屈ではない。
だが、ニナの言葉には妙な芯があった。
「……当てにできる話じゃない」
ニナの言葉に、私は正直にそう言った。
「そんな道が本当にあるのかも、どこにあるのかも、わからない。無駄骨に終わるかもしれん」
これは否定ではない。
「わかってる」
ニナの決意の確認、そして……
「そのうえで、探すんだな?」
私の覚悟の確認。
「うん」
ニナは迷わずうなずいた。
――ならば、決まりだ。
じっと座って夜が明けるのを待つより、細くとも糸をたぐるほうが、よほどいい。
「問題は、どこから探すか、だ」
私は頭の中の地図を確認した。
部屋の数だけでも、相当なものだ。
壁も、床も、家具も、しらみつぶしに当たっていては、それこそ夜が明けても終わらない。
あてもなく歩き回れば、そのぶん、ガラスのある部屋に足を踏み入れる危険も増す。
「……あの」
そのとき、遠慮がちに声を上げたのはハーヴィだった。
ハーヴィも、ニナの決意に感化されたのだろう。
「もし、この館に、そのような隠された道があるのでしたら……その造りや、来歴が、どこかに書き残されているとすれば」
ハーヴィは、少し考え、そして言葉を続けた。
「……書斎かと存じます。旦那様が館を買い取られたおり、古い図面や証文の類が、あの部屋にまとめて遺されておりました」
「図面……」
セオも覚悟を決めたようだった。
「……図面が見つかったら、写します。頭で憶えるより、そのほうが、間違いがないので」
二人の言葉に、これで全員の覚悟が決まったことを感じた。
「助かります、ハーヴィさん」
私が言うと、ハーヴィはわずかに目を見開き、それから深く頭を下げる。
「そして、セオ。期待しているよ」
セオが自分の鞄をそっと叩いてみせた。
「書斎って……別館の二階の、あの本がいっぱいの部屋だよね」
ニナが確認するように、そう呟いた。
しかし、ハーヴィはそれを否定した。
「いえ、そちらではありません。本館の一階、広間の隣となります。そこには美術品がなかったので、今回のご案内の対象から外しておりました」
「だそうだ」
ニナはハーヴィの回答に驚きながらも、その瞳の輝きが、むしろ一段と増していた。
「……ねえ、その書斎に、この家の人たちのことも、何か残ってたりするのかな」
ニナの目がついそちらへ向く。
それが記者の性だ。
わかってはいるが、いまは寄り道をしている場合ではない。
「いいか、探すのは、この館の図面だ」
私はやんわりとその手綱を締めた。
「それと、ここから出るための道だ。それ以外はいまはいらない。……わかっているな?」
「……はぁい。わかってるよ」
ニナは、ばつが悪そうに鼻の頭を掻いた。
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私は立ち上がり、腰の剣の位置を確かめた。
「戻りましょう、本館に。そして書斎へ」
三人がそれぞれにうなずく。
その顔には力が漲っていた。
「ハーヴィさん、歩けますか」
「はい。……もう、大丈夫でございます」
ハーヴィはセオの手を借りてゆっくりと立ち上がった。
――まだ、終わってなどいない。
私は三人を連れて薄暗い渡り廊下へと踏み出した。
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