第17話 出口を探して
開かない玄関の前で、私たちはしばらく動けずにいた。
ハーヴィは、まだ諦めきれないように扉に手をかけている。
ニナは私の後ろで身を縮めたままだ。
そして、セオは鞄を抱いてうつむいている。
誰も口を開かない。
三人は、開かない扉と薄暗い広間の静けさに、押しつぶされていた。
その中で私は、この出来事を整理していた。
あの隠し部屋で、あの像が欠けた、あの瞬間から――確かにこの館は何かが変わってしまった。
うまく言葉にはできない……でも、あの時の感覚がそう告げていた。
私たちは越えてはならない一線を越えてしまったのだと。
もしも、私があの壁紙の違和感を見つけていなければ。
もしも、私がハーヴィに尋ねていなければ。
もしも、私がニナを止めていれば。
もしも……
そんなことが頭をよぎる。
しかし、それは変えられない過去。
今はここからどうやって出るかだけを考えていくべきだ。
そう思った時、ふと気がついた。
建物の出入り口が、この玄関の扉だけのはずはない。
私は大きく息を吸った。
焦らない。
焦りは周りに伝染していく。
私は努めて丁寧な口調でハーヴィへ問いかけた。
取り乱している三人を、これ以上、怯えさせないために。
「……ハーヴィさん」
ハーヴィは青い顔のままこちらを振り向いた。
「玄関のほかに、外へ出られる場所は、ありませんか。勝手口でも、なんでも構いません。この館を、いちばんよく知っているのは、あなたです」
その問いかけが、ハーヴィを我に返らせたようだった。
取り乱すあまり、あまりに当たり前のことを見失っていたらしい。
「そう、ですね。はい。この扉以外にも、この館の出入り口はございます。……なぜ気がつけなかったのでしょう、そんな当たり前のことを」
その目に力が戻る。
「……この本館ですと、サンルームからでしょうか。それと、食堂の先、厨房の奥にも勝手口がございます」
そのハーヴィの情報に、ニナとセオの目にも、すこしだけ力が戻っていた。
「……よかった。出口が、ほかにも、あるんですね」
セオがほっと小さく息をついた。
だが、その手はまだ小さく震えていた。
本当の意味で安心するには、まだ遠い。
それでも、その"ほかにもある"というひと言が、いまのセオをかろうじて支えているようだった。
「そうですか。では、どちらから当たりましょうか」
私がハーヴィに尋ねると、少しだけ考え、すぐに顔を上げた。
「……近いのは、サンルームです。廊下の突き当りから行くことができます。あのサンルームには、庭へ出るための大きなガラスの扉がございます」
ガラスの扉。
その言葉に、私の頭のなかにひとつのことが浮かんできた。
この館に鏡は一枚もない。
……なぜ、いま、そんなことを思い出したのだろう。
自分でもわからなかった。
ただ、この館に入ってからずっと感じてきた何かが、さらに強く疼いているようだった。
だが、いまはそれよりも、外へ出られる可能性を確かめるべきだ。
「わかりました。ハーヴィさん、そこへ、案内してください。……ニナ、セオ、いいか、私のそばを絶対に離れるな。何があってもだ」
「う、うん……」
「は、はい……」
二人の返事は細く頼りなかった。
私はニナの手を握ってやった。
その手が氷のように冷たくなっている。
セオの手も震えている。
――大丈夫だ、必ず私が連れて帰る。
心のなかでもう一度そう繰り返した。
---
ハーヴィに続いて私たちは薄暗い廊下を奥へと進んだ。
魔道具の弱い灯りが点々と廊下を照らしている。
四人の足音だけがやけに大きく響いていた。
私は剣の柄に手を添えたまま歩いた。
だが、こんなもので斬れる相手がいるのかどうか……そもそもその相手がいるのかどうかさえわからない。
わからないということがいちばん恐ろしかった。
やがて廊下の突き当りに辿り着いた。
「ここが、サンルームでございます」
ハーヴィが鍵束を鳴らし、選び出した一本で扉を解錠する。
「では、開けさせていただきます」
そうしてサンルームへの扉を開いた。
その瞬間、サンルームからの冷たい空気が廊下に流れ出してきた。
私は剣の柄を強く握った。
「……行こう」
その私の声に、ニナ、セオ、そしてハーヴィは頷き、サンルームへと入っていった。
サンルームの中の空気は、さらに一段下の冷たさだった。
そして、静かだった。
外の風の音も、夜の虫の声も、何ひとつ聞こえてこない。
重い静けさ……肌が粟立つ。
ニナも、セオも、そしてハーヴィまでも、サンルームの入り口で思わず足を止めていた。
この部屋の異様さは、どうやら私だけが感じているのではなかったらしい。
心を奮い立たせ、部屋の中を見回す。
広い部屋だった。
壁も、天井も、そのほとんどが、ガラスでできている。
太陽の光をたっぷり取り込むために造られた部屋なのだろう、カーテンの一枚も掛かっていない。
むき出しのガラスが私たちを取り囲んでいた。
そのガラスのどれもが、まるでこちらを覗き込んでいるような……そんな居心地の悪さがこの部屋には満ちていた。
昼であればさぞ光に満ちた心地のよい部屋だったのだろう。
だが、いまは――ただ、黒かった。
私もこれまでに何回も野宿をしてきた。
どんなに月のない夜でも少しは明るさがある。
こんな都の片隅でも遠くの家々の灯りが伝わってくる。
たとえ草原であろうとも、雲の切れ間からでもわずかな明るみが降ってくる。
しかし、このガラスの向こうの黒には――そのどれもがなかった。
まるで大きな黒い布ですっぽりと覆い尽くされてしまったかのような。
いや――この建物の外側に、初めから世界そのものが存在していないかのような――そんな色だった。
私は思わずガラスへ一歩近づいた。
目を凝らす。
だが、いくら見つめても、その黒の向こうには何も見えなかった。
「……ハーヴィさん。このあたりの外の暗さは……いつも、こうなのでしょうか」
「いえ……」
ハーヴィの声も震えていた。
「自分も、こんな夜は、初めてでございます。庭も、塀も、いつもなら、うっすらとでも、見えるはずなのですが……」
ハーヴィにもわからない。
あの、開かない扉の向こうに感じたものと同じだった。
――外がない。
私たちは外の世界から切り離された。
そう、この館の中に。
そう思った瞬間、背筋を冷たいものが這い上がっていった。
私は……私はいったい何からこの三人を守ればいいのだろうか。
「マーレ……ねえ、この部屋、なんか、変だよ。すごく、いや」
ニナが私の腕を痛いほど強く掴んだ。
「……ああ。私も、そう思うよ」
嘘はつかない。
いま、この瞬間は、へたな気休めは通じない。
私はもう一度ガラスへと目をやった。
そこに映り込んでいるのは……
私。
ニナ。
セオ。
ハーヴィ。
……四人の影。
そのはずだった。
「マ、マーレさん、あ、あれって……」
セオも気がついてしまったようだ。
ガラスに映り込んだ私たちのすぐ後ろ……誰もいないはずの、その塗りつぶされたような黒の奥のほう。
――ぽつり――
もう一つ、こちらをじっと見つめている姿が……あった。
――ぞわり――
全身の産毛がいっせいに逆立った。
あれは私たちの誰でもない。
「――っ、ニナ、セオ! 私の後ろへ!」
そう叫んだ、その瞬間だった。
――みしり――
どこからともなく重い軋みの音が立ち上がってきた。
次の瞬間、ガラスというガラスがいっせいにがたがたと鳴りはじめた。
それと同時に、部屋に置かれていた椅子が、小物が、ふわりと宙へ浮き上がった。
そしてそれらのすべてが……私たちめがけて、いっせいに襲いかかってきた。
第二部がはじまりました。
そして、とうとう館が四人に牙を剥いてきました。
今後の参考になりますので、面白い・続きが気になると思っていただけたら、
評価・ブックマークで応援いただけると嬉しいです。




