第14話 最後の美術品
セオはまだあの三人の絵から目を離せずにいた。
首をひねり、写すでもなく、ただじっと見つめている。
よほどあの引っかかりが拭えないのだろう。
「もう、セオったら。さっきから、その絵とにらめっこ。あたしにはどこが違うのかさっぱりだよ」
ニナが腰に手を当てて少し呆れたように言う。
「……すみません。でも、どうしても、気になってしまって」
それでも、まだセオは絵から目を離さない。
やがて意を決したように小さく頷いた。
「……やっぱり、この絵も、写しておきます。うまく言えないんですけど……残しておいたほうがいい、そんな気がしているので」
「あったりまえじゃない。もちろん、この絵も残すんだよ。だからよろしく」
ニナはそういうと、セオの背中を強く叩いた。
セオは一瞬、よろけそうになったが、あらためて姿勢を正すと、絵の正面に立った。
ハーヴィがいつもの通り窓のカーテンを引き開けた。
部屋の中に傾きかけた西日の光が入ってくる。
そうして明るくなった部屋の中で、セオはその手のひらを紙へとかざした。
いつもより少しだけゆっくりと、そして少しだけ長く。
三人の家族の絵が、ゆっくりと紙の上へと移し取られていく。
写し終えると、セオはハーヴィに視線を向け、無言で頷いた。
それを合図にハーヴィは、また丁寧にカーテンを閉じた。
部屋がもとの薄暗がりへと戻っていった。
「……うん。これで、居間は終わりですね……」
そう言うセオの声には、まだどこか割り切れないような響きが残っていた。
「気になるなら、また見返しにくればいい」
「……いえ、大丈夫です」
セオは何かを振り払うように、そう答えた。
「そうか。ところでハーヴィさん、別館で美術品が残っているのは、あと何部屋くらいある?」
「はい。あとは、奥の食堂、一部屋になります。……そちらを見ていただければ、この館の美術品は、すべて、となります」
ハーヴィが広間の奥のほうに視線を向けた。
三人の家族の絵とはちょうど反対側にある扉。
私たちはその扉へと向かった。
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奥の扉の先はこぢんまりとした食堂だった。
本館のあの十人掛けの長い食卓とはまるで違う。
部屋の真ん中に長方形の卓がひとつ。
それを囲むのは数脚の椅子だった。
家族が身を寄せ合って囲むためのささやかな食卓。
「ここで、家族みんなで、ご飯を食べていたのかな」
ニナが食卓にそっと手を触れる。
「……そうなのでしょうね……」
ハーヴィの声がまた少しだけ沈んだ。
誰もその先を続けなかった。
壁に視線を移すと、そこにはこの別館を背景にしていると思われる、家族と、そして使用人たちの絵が飾られていた。
この館で暮らしていた家族、それを支えていた使用人たち。
みな幸せそうな笑顔で、そこに描かれていた。
「わあ、すごい人数。……この人たち、みんな、ここで働いてたのかな」
ニナがその絵を見上げながら呟いた。
「そのようですね。なにしろ、これだけの広さのお館です……かつては、大勢の方が、この館を支えていたのでしょう」
「みんな、いい笑顔だよね。……なんだか、ひとつの、大きな家族みたいだね」
ニナの声が少しだけやわらかくなった。
絵のなかの誰もが身を寄せ合って笑っている。
家族も、仕える者たちも。
いまはもう誰ひとりいないこの館。
それでもたしかにあった過去の賑わい。
その名残が、この一枚にそっと閉じ込められているようだった。
その絵をどうしても写しとっておきたい。
セオはそう思ったのだろう。
外光を取り込むために、厚いカーテンに手をかけ丁寧に引き開けた。
オレンジ色を増した西日が食堂に入り込む。
「そろそろ日も暮れてしまいますし、そろそろ本日は終わり、ということではどうでしょうか?」
窓から差し込む日の傾きを見たハーヴィが、ニナにそう提案をしてきた。
「そうですね。暗くなる前に、館からは出ておいた方がいいですよね」
「では、本館の方に戻りましょうか」
「はい」
ニナがそう答えると、セオの方を振り返った。
しかし、どうもまだセオは写し終えていないようだった。
「……セオ? どうしたの?」
「あ……すみません。もう少しだけ。……ちゃんと見て、しっかりと写しておきたくて」
「もう、しょうがないなあ。……じゃあ、あたしたちは先に行ってるね。あんまり、遅くならないでよ」
「はい。カーテンは、僕が閉めていきますので。どうぞ、お先に」
カーテンの戸締まりをセオに託して、私たちはゆっくりと居間へと戻っていった。
居間の中で少しだけ待ってみたが、それでもなかなかセオはやってこなかった。
痺れを切らしたニナが声を上げた。
「セオ、早く早く! 日が暮れちゃう!」
扉の向こうへとせかすように呼ぶ。
「あ……は、はい、いま!」
急かされて、セオが慌ててカーテンを引いた。
だが、その手つきは雑で、カーテンは窓の半ばまでしか閉じていない。
引き残された隙間からは、傾いた西日が、まだ細く差し込んでいる。
それでも、一日中開け閉めしてきたカーテンの一枚だ。
私はそれを、気にも留めなかった。
セオは食堂を出ると、後ろ手にその扉を閉めて、小走りに私たちのほうへ戻ってきた。
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居間から広間へは、ハーヴィ、私、セオ、そしてニナの順で戻っていった。
「あ、扉、閉めるね」
気を利かせたつもりなのだろう。
ニナが居間の扉に手をかけそっと引いて閉める。
そのときだった。
がこん、と鈍い音がした。
「え……あ、あれ?」
ニナの手のなかに、扉の把手がまるごと抜け落ちていた。
把手を失った扉は、ぴたりと閉じたままだった。
一瞬、その場が静まり返った。
ニナの手のなかに残された無骨な鉄の把手。
閉じた扉。
その二つを、私たちはしばらく黙って見比べるほかなかった。
そのうち、じわりと怒りが込み上げてきた。
「……お前は、本当に、触れるもの、触れるものを壊していくな!」
「ち、違うの! ちょっと引いただけで、勝手に……!」
ニナが抜けた把手を手に持ちながら半泣きで弁明する。
「いえ、どうか、お気になさらず。これも、ずいぶんと古うございましたので」
ハーヴィは抜けた把手を受け取ると、困ったように眉を下げた。
「この扉は、開くことができなくなってしまいましたが……居間へは、食堂からも入れます。どうか、お気になさらず」
「……あたし、今日、壊してばっかり……」
ニナがぽつりと言った。
その声が思いのほかしおれている。
やはりあの手すりの一件がまだ尾を引いているのだろう。
そんな姿を見てしまうと、湧き上がっていた怒りも霧散するというもの。
それに、怒りは無くなったとしても、呆れているのが正直なところではある。
「ニナさん、壊そうと思って、壊したわけじゃ、ないんですから、次からは、また気をつけましょう」
こういう時のセオのフォローは助かる。
ニナはそれでようやく少しだけ頬をゆるめた。
私はニナの頭を軽く小突いた。
ニナは唇を尖らせていたが、気分は浮上したようだ。
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ハーヴィが別館の灯りを落とした後、私たちは別館を後にした。
来たときと同じ渡り廊下を、今度は本館へと戻っていく。
渡り廊下の窓はどれも厚いカーテンで閉ざされたままだ。
本館が近づくと、私は剣の柄にそっと手を添えた。
何かがあったわけではない。
それなのに何かが胸に引っかかった。
「マーレ? どうしたの、こわい顔して」
「……なんでもない」
私は首を振って、その引っかかりを振り払おうとした。
だが、消えなかった。
必要のない危険は絶対に冒さない。
それが冒険者としての私の性分だ。
その性分が、この引っかかりを気のせいだと片づけることを、どうしても許してくれなかった。
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