第13話 別館
「父と、母と、その子。寄り添い、こちらを見て、微笑んでいる」
—— 三人の絵画
別館のなかは、やはり暗かった。
「少々、お待ちを」
本館と同じように、ハーヴィは小さな灯りを灯す魔道具を片手に暗がりの奥へと歩いていった。
どうやらこちらにも灯りをまとめて点けるためのあの魔道具の部屋があるらしい。
かちり、というあの音のあとに、別館の灯りが、ぼう、とけだるげに目を覚ました。
薄暗い灯りに照らされた別館の広間は、本館の広間よりもこぢんまりとしていた。
だが、造りは驚くほどよく似ている。
広間は二階まで吹き抜けでつながっていた。
その高い天井からは飾りガラスのシャンデリア。
弱った光も、あのくすんだ色までそっくりだ。
私はこの別館の造りも、頭のなかの地図に描き足していく。
広間、階段、奥と右手側にある扉。
左手側には本館と同じような二階へ続くあの大きな階段。
「別館は、家族が暮らしていた棟だと、言ってましたよね」
ニナがあたりを見回しながら言う。
その声も本館を案内されていた時よりも、いくらか緊張感を持っているようだった。
まだあの手すりの一件が尾を引いているのだろう。
「はい。二階が、家族の皆さまのお部屋だったようです。……階段は、こちらも、古うございます。手すりには、決して、寄りかかられませんよう」
「わかっています」
そう返事をするニナに、私は少し安堵を覚えていた。
「そうですね。では、まず二階からご案内いたしますね」
ハーヴィが二階への階段を慎重に上っていく。
その様子を見る限り、幸いにもこちらの階段は本館ほどには傷んでいないようだった。
ハーヴィにニナが続き、そのあとをセオが続く。
二人も手すりからは距離をとり、慎重に上っていっている。
私も気を抜かず、それに続いて階段を上っていった。
階段は、本館と同じように踊り場で一度折れて二階の廊下へと繋がっていた。
本館と同じように吹き抜けを囲むような廊下。
その廊下は、三つの部屋へと繋がっていた。
「では、奥の部屋からご案内します」
---
ハーヴィが最初に案内した部屋は、この館の主のための部屋のようだった。
大きな机と、天井まで届く作りつけの本棚。
奥には大きなベッドが備え付けてある。
大きな机をよく見てみると、主のいなくなった椅子がきちんと収められている。
几帳面な男の部屋だなと、なんとなく思った。
そんな部屋の壁に、一枚の肖像画が掛かっていた。
少し硬めの表情の、しかし穏やかな眼差しの紳士の肖像画だった。
これは、遊戯室でみた男性だ。
彼がこの館の主人、家族の夫だったのだろう、そう確信した。
カーテンを開け照らされたその肖像画をあらためて見てみると、何か後悔しているようにも見えてしまった。
セオも何かを感じたんだろう。
転写をした後に、その眉が少し垂れ下がっていた。
「几帳面な人だったのかな。……ねえ、ハーヴィさん。前のご当主って、何をしていた人なんです? これだけ本があると、学者さんとか?」
「投資家であったとは伺っております。ただ、これだけの蔵書をお持ちだったのですから、学問も好まれた方ではあったのでしょう」
「ふうん。……なんか、優しそうだけど、どこか寂しそうな顔してるよね。この人」
ニナが、無邪気にそんなことを言う。
私も同じことを感じていた。
だが、それを口にはしなかった。
セオが写し終えると、ハーヴィが本館のときと同じようにカーテンを閉じ、肖像画をまた薄暗がりへと返した。
日の光は美術品を傷める。
写す時はカーテンを開け、写したらすぐに閉じる――それが、この館を回るあいだの決まりになっていた。
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次に案内された部屋は目の前の部屋だった。
その部屋は、先ほどの部屋とはうって変わって柔らかな設えだった。
窓辺にはひとりがけのゆったりとした椅子。
奥にもゆったりとした寝台。
そうして壁にかかっていたのは、優しい微笑みを湛えている一人の婦人の肖像画だった。
そうあの母親の肖像画だった。
「ほんとうに幸せそうだね」
ニナが絵の前でそっと呟く。
いつもの記者の顔ではなかった。
そんなニナを気にしながらも、セオは肖像画を転写した。
ふと入り口の方を振り返ると――入り口の横に小さな化粧台があった。
そして、この化粧台にも鏡はなかった。
外された四角い跡だけが残っているだけ。
私はなんとなくその跡から目をそらした。
そんな私の様子を見て、ニナも気づいたらしい。
「……あ。ここも、鏡ないね」
さっき私が言ったことを思い出したのだろう。
「婦人の部屋にも鏡がないなんて。……やっぱり、変なのかな」
その声には、もう売られたのかも、という軽さはなかった。
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最後に案内された部屋は婦人の部屋のとなりの部屋。
子供の部屋だった。
小さな寝台。
背の低い机。
棚にはたくさんの絵本。
そしてその壁に掛かっていたのは、幼い子供の肖像画だった。
無邪気に笑う小さな男の子。
あの男の子の肖像画だった。
「……この子、幸せだったんだね。きっと」
ニナは肖像画から小さな寝台に視線を移し、そっとその寝台に手を触れた。
「これだけ家族に愛されていたんだね」
その声が、なぜか少しだけ湿って聞こえた。
捨てられた側の目に、この部屋は、この館は、どんなふうに映っているのだろう。
私はそれをあえて訊くことはなかった。
私は三つの部屋を思い返した。
夫の部屋、妻の部屋、子の部屋。
夫は事故で亡くなっているという。
では、妻は?
子供は?
――これほど、互いを想い合っていた人たちが、母子が、いったいどこへ消えてしまったのか。
「ハーヴィさん。この奥さんと子供は……」
気付いてしまったことを、問わないわけにはいかなかった。
「……申し訳ありません。ご当主が亡くなられたこと以外、家族のことは、記録にも、何も残っておらず……」
ハーヴィの声がそこで途切れた。
その先を続けられる者は誰もいなかった。
何かを探すようにセオが子供の肖像画を転写した。
そして、私たちは一階へと降りていった。
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「では、次に居間の方にご案内いたします。この別館では、いちばん、人の集まっていた場所かと」
ハーヴィは雰囲気を変えるようにそういうと、別館の入り口から見て右手側にある扉を解錠した。
扉の先には言葉の通り、大きな居間が広がっていた。
暖炉のある、あたたかな部屋だった。
使い込まれたであろう長椅子。
家族が囲んだのだろう丸い卓。
色褪せてはいるが、足元には柔らかな絨毯が敷き詰められていた。
人の暮らしの匂いが、家族の営みが、どの部屋よりも色濃く残っていた。
いまにもこの家の誰かが帰ってきそうな、そんな気さえするような雰囲気だった。
その奥の壁に……ひときわ大きな絵が掛かっていた。
三人の絵だった。
父と、母と、その子。
寄り添い、こちらを見て、微笑んでいる。
これまで見てきたあの家族。
だが……セオはその絵を、転写をすることなく、じっと見つめていた。
「どうした」
私の問いかけに、セオが首を傾げながら答えた。
「この絵……なんだか、今までの絵とは、その……受ける印象が、違う気がして」
「印象が、違う?」
「はい。今まで見てきた絵は、どれも同じ人が描いたんだと思うんです。なんというか……それだけじゃなく、絵から感じる温もりというかが、どこか似ていて。……でも、この一枚だけ、受ける印象が違うんです。もっと、こう……客観的な、僕の転写みたいな、そんな感じがして」
「別の誰かが描いた?」
「そう、そうです。別の誰か……たとえば、ちゃんと絵を学んだ、本職の画家、みたいな。うまく、言えないんですけど」
「本職の画家……。ってことは、この一枚だけ、よその誰かに、頼んで描いてもらった、ってこと?」
「たぶん、そうじゃないかと。……でも、どうして、この絵だけ……」
セオは首をかしげたまま黙り込んでしまった。
「ふうん? あたしには、どれもおんなじ、幸せそうな家族の絵にしか見えないけどなあ」
ニナが絵とセオを見比べる。
私もそうだった。
絵のことなど、ニナと同じように私もわからない。
どの絵も同じ家族の幸せそうな絵だ。
だが、セオがこういう顔をするのはめずらしかった。
転写をしてきたものだからこそ、その違和感に気がついたのだろう。
なぜこの一枚だけが他と違うのか。
私はその引っかかりを、頭の隅に留めておくことにした。
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