第1部(8)
いったんベーメと別れてシーソー型ベンチに座り、2人は街並みを眺めている。
「どうにかならないかな」
「どうにもならねえよ」
「そうだ!おまえの水魔法で!」
「無理。MPの限界がある」
「でもさ、方法が……」
「ない!」
「いやいや諦めるには早いって」
「そもそもクエストが発生しないんだからどうしようもないだろ!」
「方法は……ないってこと……?」
フラニはむっとした表情を隠さずに、トレースに怒りをぶつけた。
「おまえさ、言うまいとはしてたけど、おかしいぞ!ただのNPC相手に!」
言ってしまったからには、もう戻れない。
「で、ケンカと生け贄問題の解決をおいらに頼むって?」
遅れて顔を見せたローダーが言った。
遠く、それぞれのベンチの端にトレースとフラニが座って、ローダーはその中央。
「普通に考えて無理だろ!」
ローダーが頭を掻いた。
「でも、今回はフラニが正しいだろ。クエストが発生しないってことは、これは悲劇的なイベント。リヴがそう言ってる」
ローダーが慣れない仲裁に入る異常事態だ。
「トレース、おまえが子どもみたいにすねてるだけだ」
はっきりと、ローダーが結論づける。
「ま、何はともあれ情報収集!ベーメの所へ戻ろう」
パーティが工房に入ると、何やら騒がしかった。
「バトス!なんで絵なんて描いてんだよ!」
「そうだって!エリーの所へ行け!」
「エリーのそばにいてやれるのは、おまえだけなんだぞ!」
奥のほうで壁に、壁を埋め尽くす大きなキャンバスに絵を描いている職人、バトス。
彼に四方から他の職人が声を荒らげていた。
「できた。完成だ」
バトスは四方の声には答えずに、壁の絵を見渡した。
壁いっぱいに描かれた、芸術都市シューアンスの絵。シューアンスの街に雨が降り注いでいる。
精緻に、細部まで生き生きと描かれた今のバトスの集大成だったが、この絵は何かがおかしい。
そう、人がひとりもいないのだ。
無人の街に、雨だけ。
それは数刻皆を黙らせる、素晴らしいが、異様な絵だった。
トレースもまたその絵を見て、心を駆け巡るものがあった。
空洞の街に……雨が降る……
自分のせいで消滅してしまった、封印都市ザグレス。
そのもうひとつの未来の姿が重なり、熱く、重い何かが心に沈む。
「俺は絵を描くことしかできない」
バトスが口を開いた。
「エリーを見捨てるってことは、つまりこういうことだ」
四方の職人たちがまた声を上げる。
「なんだよ!自分の芸術で抗議するってか!」
「芸術家である前に、おまえはエリーの……!!なんでそれがわからない!」
「いくら傑作を描いても、掟は覆らないさ」
こいつに言っても無駄だ、職人たちがバトスの所からばらけていく。
さて、ベーメも、トレースのほうも、かける言葉を見つけられていなかった。
「すまねえ」
そこで、言ったのはローダーだった。
「俺もう戻る時間。ログアウトしなきゃならない」
「うん?また解析?」
トレースが聞いた。
「つーか、リアルが忙しい」
「あー、俺も」
ローダーが答え、フラニも続く。
混乱した状況。有限な時間。
難しい顔をすることしかできないトレースに、ローダーが言う。
「❝リアル大事に❞!ゲーマーなら、逆に尊重しなきゃな」
限界だ、とローダーがセーブポイントへ帰っていく。フラニも無言で続いた。
「まだ1日ある!僕は明日もここに来るから!」
その背中に、トレースは宣言をした。
その夜、ハルトはベッドの中で考え続けた。
NPCを救うということ。
ザグレスでの選択。
分かたれた道。
❝間違っているのは、僕なんだろうか?❞
「うー寝不足だ」
大学での責務を寝ぼけ眼で果たし、ハルトはトレースになってシューアンスの街を歩く。
「遅えぞ」
フラニが声をかけた。
「こっちは準備万端」
ローダーもいて、パーティは集まっていた。
「行って、説明する。ベーメもそこにいる」
ローダーは言いながら、すでに歩き出していた。フラニと、トレースも、それについて移動を開始した。
その建物は、シューアンスにしては芸術性のない、無機質な、機能性を感じるものだった。
中に入ると、人は隅の席に座る管理人の老人がひとりだけ。
それ以外は、全て本。
ここはシューアンスのアーカイブ。その全ての記録がおさめられた場所。
ベーメが、後ろから入ってきた。
ローダーはうなずいて、簡潔に道を示す。
「ここにはシューアンスの全てが詰まってる!逆にここになかったら無理!」
天井まで続く本棚が、びっしりと並ぶ。
「あとは探せ!あとは気合い!」
それから、大捜索が始まった。
やはり頼りになるのはローダーだった。データ解析のノウハウから、的確な指示を飛ばす。
そして、ベーメもまた確かな働きを見せた。彼はこの膨大な資料の細かな配置をほぼおぼえて把握していたのだ。
あとは、トレースとフラニの2人が手足となって動くだけだ。
ひたすらに、4人は解決の糸口を探す。
3時間後、何も成果はなかった。
そもそもここにあるのはたいていが芸術論。雨を降らす方法など――。
徒労。そんな言葉が、皆の思考に頭を出し始めた頃。
誰もがただ『諦める』決断、タイミングだけを待っているように見えた。
それでも、目の前に大量の資料を置いて手がかりを探す。
ぽつ。ぽつ。
始め、あまりに久しいその現象に、気づく者もいなかった。
やがて誰かがつぶやく。
「これって……?」
「まさか……?」
「夢じゃ、ないよな?」
「雨だ!」
通りの住民が顔を見合わせて、口をそろえる。
どんどん雨足が強まっていき、シューアンスの住民は皆外へ出て喝采する。
「奇跡だ!」
「いや魔法!?」
「なんでもいい!雨だ雨だ!」
大雨の姿を、パーティの3人とベーメが窓から確認した。
「ご都合イベントだったか。通りでクエストが発生しないはず」
ほっとしたようにローダーが言った。
「何らかの魔力が働いたんだろう……魔法はリヴ世界のエンジンだ」
誰かの、何かの頑張りの結果だろう。トレースはそう言った。
「でもおかしいな……魔力の流れなんて微塵も感じなかったぞ」
フラニが、訝しがった。
ベーメは外へ出て、興奮した様子で言う。
「デンの人はこのときのために準備をしてきました!何より、この雨の量なら、儀式は中止に間違いありません!」
ベーメは周りの住民たちと抱き合って喜ぶ。
「魔力の流れがない?じゃあいったい何の力が働いて……」
トレースがフラニの疑問に引き戻して、問いを立てた。
答えられる者は、いない。
「縁のあるもうひとつの世界からの思し召し、かもしれませんな」
声を上げたのは、管理人の老人だった。
「そこの真剣な顔のお方」トレースだ。「最近大きな選択をなされましたな。そこまで疲弊するほど悩むほどに……世界はそういう選択、可能性のずれで分かたれる、そんな言い伝えがあります。そして、枝分かれした世界は、近くの枝々だけでなく、縁でつながる世界にも影響を与えることがある」
老人はトレースをいたわるように、話を続ける。トレースは、聞く。
「よほど悲しみを背負う決断だったのでしょう。この雨は、世界が強いた犠牲を鎮めるために降っているのやもしれません」
ザグレスの人々を……鎮めようと……
「世界という全体はもともとひとつ。しかしわれわれはもうひとつの世界を想像する。なんででしょうなあ」
老人が話し終えると、トレースの心は少し軽くなっていた。
一方、ローダーは老人の話を途中から厳しい表情で聞いていた。
「ベーメ!今のじいさんの話、資料はあるのか!?」
急な指示だったが、ベーメが戻ってきて資料を探し、ローダーのもとへ運んできた。
「こちらにおさめられている詩ではないかと思います」
ローダーはばっと取って、その内容を読みふける。
『縁』『関係』『世界』――そこに記された単語とそのつながり、意味するところを慎重に解き明かした。
「これって……並列関係縁故説」
誰にも聞こえない声で、ローダーは呟く。
並列関係縁故説。平たく言えば、パラレルワールド、並列世界を認めたとき、それらは隣りや枝といった近接性ではなく関係性でつながっている。
ついこの前発表された論文の最新学説。
議論を呼び、その関係性とは何かを探す旅路のスタート地点に、人類は今立ったところだった。
この内容を、いつものようにべらべら語る余裕がローダーにはない。
なんでそんなものがゲーム世界の片隅に書いてある?
ぶつぶつと何かを呟き続け、最後にこう言った。
「そんなのトレンドを取り入れるとかいう次元じゃない……リヴってゲームは❝よくできすぎている❞」
バトスの前に、救われたエリーがいた。
バトスは一度顔を背けて、感情がおさえられない様子だ。
周りを囲む職人のひとりが言った。
「バトス、もう我慢しなくていい。この雨が、全てを洗い流してくれる」
フラニは、興味深そうにその場面を見ていた。そして、そうだな!というようにトレースのほうを向いてにこやかに笑った。
「トレース!俺たちも外へ出るぞ!バトスさんの一世一代のイベントを見届けるんだ!」
ああ!と2人は建物から飛び出した。
皆が雨に濡れていた。
バトスはエリーに、指輪と花束を渡した。ベタなプレゼントに、エリーは笑った。
降りしきる雨の中のプロポーズ。
芸術都市シューアンスにふさわしいラストシーンだった。




